絨毯の模様が浮き出て来たぞ。消しては描き、また消されて、今度はどんな模様になるのだろう。
ガハクには子供がいないのに子供が描かれているのを不思議に思う人がいたけれど、絵というものがどこからどうやって生まれるのか知らないからそんなことを言うのだ。絵は、謂わば空飛ぶ絨毯。何だって描けるのが画家なのだ。
昔、大江健三郎の小説を夢中になって読んでいた頃のこと、友人の中に「彼のは私小説だからつまらない」と言う人がいた。事実と真実がごちゃ混ぜになっているとそういうことが起こる。面白い話が始まったら、最後まで聞いてみることだ。時が成熟してくれるのを待つことだ。真理はずっと後で現れる。
家族が集まる正月にはなかなか画室に籠もれないと愚痴をこぼすずっと年上の画家を思い出した。子供が遊んでいるのを楽しいと思えたら、もう空飛ぶ絨毯に乗り込んでいる。(K)