内なる人が覚醒すると、こうなるんだ。それはもう一人の私ではない。預かったもう一人、あるいは、与えられたもう一人だ。大事にするもしないも、その存在を知ることすら稀有なことだ。知ったからには引き受けるしかないでしょ。
昨日と今日は、ガハクはずっと版画室に籠っていた。私は裏庭でスコップと熊手とジョレンを使って、フォークリフトの周りを埋め立てていたんだ。地盤が緩いところには、石ころが混ざった山の土を入れながら。
ずっと絵を描いて行くのも、死ぬまで好きなことをやれるのも、内なる人がいればこそだ。熱意はそこから湧いて来るんだから。目的によって人は知られる。何のためにそれをやるのか?何でそれを言うのか?無意識の闇を照らせ!(K)