ザラザラした樹皮が幹にぴっちり張り付いて、洗い晒しのGパンみたいだ。
眺めているうちはトワンの森だけど、内部に入るとガハクの森になる。そして、今朝見たものは夜には画布に乗り移る。「歌うように描きたい」と言っていたガハクの時間は、こうやって作られていく。(K)
ザラザラした樹皮が幹にぴっちり張り付いて、洗い晒しのGパンみたいだ。
眺めているうちはトワンの森だけど、内部に入るとガハクの森になる。そして、今朝見たものは夜には画布に乗り移る。「歌うように描きたい」と言っていたガハクの時間は、こうやって作られていく。(K)
今朝、このアトリエのことを「ストイックな空間」とガハクに言われた。久しぶりに聞く言葉だった。学生の頃によく言われていたんだ。石を彫っていても、粘土で裸婦像を作っていても、ストイックだって。今思えば、あれはただの流行りで、語彙の少ない学生同士が相手のことを褒めもせず貶しもしないで評論するときの手法だったのだろう。
でもガハクの使う「ストイック」なら理解できる。人を指すのではなく、場に漂うスフィアのことだ。誰かに見せたり見られたりすることで歪んでしまう自意識が、ここには無い。
背中を彫るために石を回転させようとしたが、やめた。顔も時々眺めながら彫りたいので、投光器で背中を照らすことにした。赤いっぽい300wの電球で、私の背中も暖かくなった。
「石を彫っていることが、時間を作っているのだよ」とガハクが言う。余裕があり暇があり時間があるから石が彫れるのだなんて誰かが思ったとしても、ここには何にも届かない。それほど静かで寂しく護られた場所なんだ。(K)
朝食の時ガハクが、「また夢を見たよ」と話し始めたのだけど、それが長くて複雑で聞いているうちに頭が回らなくなって来た。もっとポイントを絞って話すように頼んだら、「いや、僕にもはっきりしない夢だったんだよ」と言う。
【 子供のガハクがどう言うわけか、一人でパリ空港に到着。チケットのような紙切れを出したのだが、係官に止められて通してもらえない。それにフランス語だし、言ってることがよく分からないのだ。大人の影に隠れて税関をすり抜け、地下鉄のプラットホームまで来たら、風変わりな日本人の男がいた。ケイタイで商談の失敗と相手のミスをがなり立てている。怪しみながらも、日本語が通じる男に話かける。すると、山本浩二の三塁ホームランのことで盛り上がるが、少年ガハクはそのシーンは実際には見ていない。やがて抜け道を教えてくれた。(あちこち通って)最終的には船に乗ってマルセイユへ出れば良いと言うのだ。でも、ガハクの目的地はマルセイユだったの? いや、ごく近くの日本のどこかに行きたかっただけなのだ。そこに行けば、家に帰れるから。】
馬は真理のメタファーと言うではないか。赤い馬のタテガミから 月がこぼれる。(K)
今朝はガハクの方が早く起きた。夢にトワンが出て来たそうだから、気分が良かったのだろう。庭で灯油ストーブの掃除をしていて、横にトワンが寝そべって眺めているという日常の風景。
アメリカ大統領選挙は、やっと決着が付いた。一人一人の苦労がすぐに解決するわけじゃないのに、皆があんなに喜んでいる。孤独が癒されるわけじゃないのに、明るい気分は伝播する。
よく通る声で副大統領になる人が言った。 " While I may be first, I won't be the last. " 初の女性でアジア系の彼女は、ウェディングドレスのような光沢のある白のパンツスーツに身を包んでいた。日本の女性議員たちの顔がパッと浮かんだ。元気で鋭く歯に衣着せぬ発言をする彼女たちも、今朝はさぞ羨ましく眩しく眺めただろう。
夜になって、ビデオニュースの番組を観た。ロッキード事件をずっと追って来たジャーナリストが、巨悪の正体を突き止め、本に書いたというのだ。アメリカが如何に戦後からずっと日本をコントロールして来たかがよく分かった。思い当たることがある。ぼんやりしていたら見落としてしまうし、この状況を勘違いしてしまいそうだ。
悪いことと善いことが滲み合うことがないように、空を見上げて大きく深く呼吸をしながらペダルを漕いでいる。(K)
アガノ村のどの犬とも仲が良かったし、どの犬にも好かれたけれど、トワンには彼女はいなかった。村のほとんどの犬は虚勢や避妊がなされていたが、トワンは獣医さんのアドバイスにより(大人し過ぎる犬だから男の子らしさが消えないようにと)自然のままだったのだ。それでも、春先にどこからか漂って来るメスの臭いにはどうしても反応してしまう。落ち着きがなくなる。もしどこかの雌犬に孕ませてしまったら申し訳ないから発情期には緊張した。でもメスを追うこともなく、呼べば戻って来た。
トワンにとってガハクはリーダーで、私のことは守るべきものと思っていたようだ。野原の隅っこで用足しをすると、すぐに飛んできて周りを警戒し始める。
夏のぞうけい教室に大勢の子供達がやって来たときは、まるで牧童犬のようだった。山にスケッチの材料を探しに出ると、集団の前に出たり、後ろに回ったりして走り回っていた。
「来年はトワンが来るよ」とガハクが言う。どうやって現れるのか全く分からないそうだ。ただその事実だけの予言だ。
今日は「また絵を描きたい」という人が現れた。嬉しかった。どういう風にやろうか、これからゆっくり考えよう。教室運営のような商売ではなく、芸術が生きる力になるということを自覚した人に教えたいとガハクは言っている。(K)
山の中に陽だまりができる。もう少し進むと道は陰に入って暗くなる。 ここは山の北斜面だから明暗がはっきりしている。
「時間というのは、山の中を歩いたり、草や木を眺めたり、薪を集めたりしている時に作っているんだね。そういうことをやるには時間がないとか言うけれど、そういうのは時間じゃないんだ」と、山で考えたことを話してくれた。
ガハクが山に行っている間、私はバイオリンを弾いている。やっと一つの曲を何も見ないで弾けるようになった。何の目的もないのに弾く。こういうのは初めてじゃないかな。楽しいとか嬉しいとか面白いというシンプルな気持ちが、悲しいとか寂しいとか苦しいという想いにまさって来て、救い上げてくれる。日々鍛えている筋力は馬鹿には出来ない。
今日は今シーズン初めてアトリエの薪ストーブに火を起こして暖を取った。煙突掃除も完璧にやったから、紫色の透き通った煙がすーっと上がって西風にゆっくり押されてたなびいた。この冬はいい仕事ができそうだ。(K)
三日前に埃をかぶったように燻んで立っていた自画像が、今夜は一転してカッコよくなっている。人間が生まれ変わると、絵の中の人まで変わるのか。リラックスした姿勢。カットしたばかりの髪。床屋をやった時の感触が思い出された。すーっと立ち昇るスフィア。
大自然の写真を撮って来て、家に帰ってそれを見ながら絵に仕上げ、それをまた写真に撮って画集に仕立てている人がいた。「あまり絵を描いたことがないんだなあ。数枚描いただけで飽きちゃうだろうに」とガハクが言う。内側を通って来た風景はもっと、面白いものなんだ。(K)