2021年8月11日水曜日

コロナ

金魚の尾っぽみたいになったり、フクロウの背中のように膨らんだりしたけれど、だんだん太陽の炎に見えて来た。これも酷暑のおかげだ。やってみるもんだね。想っているものに必ず到達する。

漕ぎ始めたオールから手を離しちゃダメだ。踏み始めたペダルから足を外しちゃおしまいだ。休んでは漕ぎ、また回す。労働の報いは、賞賛でも銭でもなかった。いつも見てくれている人の目がすぐ傍にあるということが力を湧き起こさせる。

存在とは何か?死は虚無とはなんの関係もなかった。意識が何と繋がっているかだけだ。コロナが激しく燃えている。(K)


 

2021年8月4日水曜日

絵の中の子

いつの間にか、この子ずいぶんやんちゃになったなあ。うーうー、きゃんきゃん。この二人の間に、怒り、疑い、試しが入り込む余地はない。

「人間、信頼関係だからさ」とは、私たちが困っていた時に助けてくれた人の言葉だ。その逆は「裏切らないでね」という言葉だろう。割って入って盗んでいく者がよく使うセリフだ。

『告白』(町田康)。昨夜は時間切れになって、今朝、外が熱暑なのを言い訳にして最終章を一気に読み上げた。心の中の心、さらにもっと奥にあるその心の中の心の心というのがある。本当のことを言おうとして探って行くと何度もひっくり返る。

「みんな『純粋』を誤解しているんだよね」と言われたことを思い出した。あなたは純粋過ぎる、使い物にならないということで排除される。それでも壊れなかったものが最後の頼みだ。

「あなたたちには子供はできないと思いますよ」と言われたこともある。そう決まっているんだそうな。善と真理が一つになって初めて生まれるものがある。怯えを知らない怒りを持たない溢れる喜びと楽しさを体現している小さく可愛らしい生き物が絵の中に出て来た。(K)



2021年8月1日日曜日

左右差

 今日は、左手が気持ちよく動いてくれた。休まずずっと彫り続けられた。この庭に仕事場を移して4ヶ月が経って、やっと解体作業の疲れが取れたようだ。

パワステではない私のフォークリフトのハンドル捌きには力が要る。重い石を持ち上げて、狭い場所でぐりぐりハンドルを切るのは、本当にキツかった。時には、右手も加勢しなきゃタイヤが回らないくらいに重かった。

腕を持ち上げてポパイのようなポーズをしては、腕を下ろす動作を繰り返していたら、関節のハマりがしっかりして来た。だんだん左腕が強くなったように感じる。それでも左右差はずっとあるだろう。左は右に永久に追い付かないけれど、右のやることをずっと支え続ける為には、頭を使わなくちゃ、工夫しなくちゃ。

振り下ろすハンマーがノミの真芯に当たる。いつもそこだけは、ピカピカだ。ハンマーの方も、ピカピカだ。(K)



2021年7月27日火曜日

夜の窓

ガハクに「今日は何を描いたの?」と聞いたら、「自画像の窓のところを描き直していた」と言っていたのはこれか。真っ黒な外の闇。クロームイエローのねじれたカーテン。

この絵を見ていると、30年も前に唐突にガハクが言った言葉を思い出す。「世界と繋がるとはどういうことか、僕は分かったんだ」と、天啓のように降りた認識を話してくれた。

深夜のアトリエでキャンバスを前に描いている時に善い霊たちが窓の外から覗いている。明るい画室の白い壁によりかかって、愉快そうに絵を眺めているゴッホやブレイクやデューラーがいる。右後ろのガハクの肩口から一緒に絵をじっと見つめているのは、ガハクの親友の秀太郎さんだ。

昨夜は、画室の窓から満月が見えたそうだ。雲が切れて現れた満月は、マーエダさんだろう。ガハクが『夜間飛行』(前田ただし作曲)のギターパートを毎日練習している。とても難しい曲なんだけれど、もうすぐふたりで合奏できそうだ。(K)



2021年7月25日日曜日

dawn

 庭のあちこちに親指の太さくらいの深い穴が空いているのに気が付いた。蝉の子が地上に這い出た跡だ。門を開けようとしたら、ポンと腰に蝉がぶつかって来た。昨日リンゴの木に移動させたあの蝉かもしれない。羽がしゃんと伸びて体に力がみなぎって来たので、朝を待って飛び立ったんだ。ちゃんと門から出て行くところが律儀。

昨日メダカ池に針子(メダカの稚魚)を見つけた!まだほんとに小さくて、大人のメダカに食べられてしまいそうだ。泳ぎ回る大きなメダカの周りの何もいない空間をじっと見つめる日々が始まった。生まれ出たばかりのものたちの可愛らしさは、特別だ。

今朝も朝いちばんに日除けをかけた。日曜日だから彫り始めるのはずっと後になるのだけれど、石が熱くならないようにしておく。黒い球体。太陽から飛び散る火花。きゅっと括れた腰がぱっと解放される辺りを今日は彫る。(K)



2021年7月21日水曜日

永遠の眼差し

 またS氏の顔が変わった。人間を知れば知るほどその目は涼しく澄んでくる。その目とは誰の目のことか?鑑賞者の目でも画家の目でもない。目が描ける人はほんとに少ない。じっと見つめ続けても飽きない目。長い年月に耐えられる視線は、一言で言えば愛ある人が愛する人を描く時にしか現れないんじゃないかな。

ガハクは人を描く時に、男とか女とか、あまり考えないで描いているそうだ。経済も政治も家族でさえ、性愛が深く絡み合っていると言われるけれど、そんなものに惑わされることもなく誠実に仕事をやり遂げることができればなあと思う。人がそのままでいて、そのままの姿で美しく見える領域に達するには、なんと遠い道のりだろう。

『告白』(町田康)を読み終わったガハクが、続けて本棚にあった『冷血』(トルーマン・カポーティ)を手に取って、何度も読み直している。そしてカポーティの他の著作まで取り寄せた。感情の剥奪を受けてしまった人たちの犯す罪、その過酷な状況を映し取る筆力に感動したからだ。

この絵に描かれているS氏は、48年前に私たちの前からいなくなった。先を行くパーティーが落とした岩が当たって滑落して亡くなってしまったのだ。現場のすぐ近くを登っていたガハクも、テントプラッツにいた私も、そのことがショックで、事故の後もずっと彼のことを語り合って来た。岩を落とした人、死んだ人(殺された人)、生き残った人たちのことをああでもない、こうでもないと、考え続けて来た。

S氏の命日が三日後に迫った。あの年のように今年の日差しは強烈だ。カドミウムイエローが燃えている。青い影に吸い込まれそうだ。(K)



2021年7月18日日曜日

貴婦人

横から見ると、ずいぶん薄くなった。すらりと立つ姿が貴婦人のようだ。こういう大きなものを彫っていて人の姿を想うなんてことは、今まではなかった。そうしようとしてそうなるのではなく、そうなって行くのなら、きっとそれは良いことじゃないかな。無理矢理に作ろうとしても出来ないことは、似合わない服を着たがっていることに等しい。

綺麗なものは相応しい状況の中で自然と現出する。しかもじっくり時間をかけて誰にも知られず成就される。そういうものが『美』らしい。(K)





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