またS氏の顔が変わった。人間を知れば知るほどその目は涼しく澄んでくる。その目とは誰の目のことか?鑑賞者の目でも画家の目でもない。目が描ける人はほんとに少ない。じっと見つめ続けても飽きない目。長い年月に耐えられる視線は、一言で言えば愛ある人が愛する人を描く時にしか現れないんじゃないかな。
ガハクは人を描く時に、男とか女とか、あまり考えないで描いているそうだ。経済も政治も家族でさえ、性愛が深く絡み合っていると言われるけれど、そんなものに惑わされることもなく誠実に仕事をやり遂げることができればなあと思う。人がそのままでいて、そのままの姿で美しく見える領域に達するには、なんと遠い道のりだろう。
『告白』(町田康)を読み終わったガハクが、続けて本棚にあった『冷血』(トルーマン・カポーティ)を手に取って、何度も読み直している。そしてカポーティの他の著作まで取り寄せた。感情の剥奪を受けてしまった人たちの犯す罪、その過酷な状況を映し取る筆力に感動したからだ。
この絵に描かれているS氏は、48年前に私たちの前からいなくなった。先を行くパーティーが落とした岩が当たって滑落して亡くなってしまったのだ。現場のすぐ近くを登っていたガハクも、テントプラッツにいた私も、そのことがショックで、事故の後もずっと彼のことを語り合って来た。岩を落とした人、死んだ人(殺された人)、生き残った人たちのことをああでもない、こうでもないと、考え続けて来た。
S氏の命日が三日後に迫った。あの年のように今年の日差しは強烈だ。カドミウムイエローが燃えている。青い影に吸い込まれそうだ。(K)