2021年7月25日日曜日

dawn

 庭のあちこちに親指の太さくらいの深い穴が空いているのに気が付いた。蝉の子が地上に這い出た跡だ。門を開けようとしたら、ポンと腰に蝉がぶつかって来た。昨日リンゴの木に移動させたあの蝉かもしれない。羽がしゃんと伸びて体に力がみなぎって来たので、朝を待って飛び立ったんだ。ちゃんと門から出て行くところが律儀。

昨日メダカ池に針子(メダカの稚魚)を見つけた!まだほんとに小さくて、大人のメダカに食べられてしまいそうだ。泳ぎ回る大きなメダカの周りの何もいない空間をじっと見つめる日々が始まった。生まれ出たばかりのものたちの可愛らしさは、特別だ。

今朝も朝いちばんに日除けをかけた。日曜日だから彫り始めるのはずっと後になるのだけれど、石が熱くならないようにしておく。黒い球体。太陽から飛び散る火花。きゅっと括れた腰がぱっと解放される辺りを今日は彫る。(K)



2021年7月21日水曜日

永遠の眼差し

 またS氏の顔が変わった。人間を知れば知るほどその目は涼しく澄んでくる。その目とは誰の目のことか?鑑賞者の目でも画家の目でもない。目が描ける人はほんとに少ない。じっと見つめ続けても飽きない目。長い年月に耐えられる視線は、一言で言えば愛ある人が愛する人を描く時にしか現れないんじゃないかな。

ガハクは人を描く時に、男とか女とか、あまり考えないで描いているそうだ。経済も政治も家族でさえ、性愛が深く絡み合っていると言われるけれど、そんなものに惑わされることもなく誠実に仕事をやり遂げることができればなあと思う。人がそのままでいて、そのままの姿で美しく見える領域に達するには、なんと遠い道のりだろう。

『告白』(町田康)を読み終わったガハクが、続けて本棚にあった『冷血』(トルーマン・カポーティ)を手に取って、何度も読み直している。そしてカポーティの他の著作まで取り寄せた。感情の剥奪を受けてしまった人たちの犯す罪、その過酷な状況を映し取る筆力に感動したからだ。

この絵に描かれているS氏は、48年前に私たちの前からいなくなった。先を行くパーティーが落とした岩が当たって滑落して亡くなってしまったのだ。現場のすぐ近くを登っていたガハクも、テントプラッツにいた私も、そのことがショックで、事故の後もずっと彼のことを語り合って来た。岩を落とした人、死んだ人(殺された人)、生き残った人たちのことをああでもない、こうでもないと、考え続けて来た。

S氏の命日が三日後に迫った。あの年のように今年の日差しは強烈だ。カドミウムイエローが燃えている。青い影に吸い込まれそうだ。(K)



2021年7月18日日曜日

貴婦人

横から見ると、ずいぶん薄くなった。すらりと立つ姿が貴婦人のようだ。こういう大きなものを彫っていて人の姿を想うなんてことは、今まではなかった。そうしようとしてそうなるのではなく、そうなって行くのなら、きっとそれは良いことじゃないかな。無理矢理に作ろうとしても出来ないことは、似合わない服を着たがっていることに等しい。

綺麗なものは相応しい状況の中で自然と現出する。しかもじっくり時間をかけて誰にも知られず成就される。そういうものが『美』らしい。(K)





2021年7月16日金曜日

梅雨明け

今朝から梅を干し始めた。三日三晩、外に出しっぱなしで 夜露にも当てる。1.5kgしか漬けなかったので、笊一つで足りた。

製材所のアルバイトの時に、大小二つあるアルミの弁当箱にご飯を詰めて、真ん中に梅干しを置く。一個の梅干しを半分こでちょうど良い。これだけあれば、一年分は十分だろう。

ゆうべは涼しい夜だったが、二人とも夢を見た。私のは、街に出た夢。ガハクのは、阿蘇のような清々しい高原の家が舞台。

(夢には霊がその人の記憶の中から素材を探して演出する夢と、天使が見せる夢があるそうだ。遠ざかれば遠ざかるほど、いい夢にに近づくか、怖いものに包まれるかは、遠ざかる対象に依る)

ガハクの夢に出て来た高原の我が家を訪れた人々は、皆それぞれ個性的で美しい身なりをした人たちで、中には裸ん坊の人もいたそうだ。「理想的な生活をしていたよ」とのこと。ビルの屋上に点在する出来の悪い巨大な造作物に嫌悪感を覚えるのを、じっと堪えている私の夢よりずっと素敵だ。ガハクと途中ではぐれたけれど、無事に合流できてよかった。

梅雨明けの空は明るく、清々しい。(K)



2021年7月10日土曜日

白槿

キッチンの窓の向こうに白槿の花が咲いている。雨の朝も、曇っている時も、今朝のように日差しがあっても、いつも爽やかな空気を纏って揺れている。風にも光にも雨にも敏感に反応する花だ。

製材所のバイト代で、ガハクは久しぶりに絵筆を16本も買った。お気に入りのメーカーのものだそうで、サイズと形がいろいろある。軸が深緑、銅で束ねてあって、毛先が白。絵筆までもが美しい。

死んだ人と残された人が一緒に生きる為には、この世にいる方がステージを上げなければならない。そうでなければ、到達できずに迷っている悪霊か、死に損ないの中途半端な意識にまとわりつかれてぼんやりと過ごして、その瞬間が訪れても知らずに終わってしまうだろう。

ガハクの夏の絵に白い花が現れた。夏に咲く白い花は永遠を表象している。(K)



2021年7月7日水曜日

楽譜という宝物

今朝、ガハクはギターの弦を注文した。ソフトテンションで押さえやすいのを選んだそうだ。私は楽譜をプリントするために6km下流のコンビニまでドライブ。

次に弾こうと思っているのは『夜間飛行』で、前田ただし氏作。レーシングカーが大好きな息子さんのために作られたという曲は、流れるような華麗さとスピード感がある。

マーエダ六重奏団のスコアは9ページもある。以前はそれをそのまま糊で繋ぎ合わせて、長くて広い台に置き、歩きながら楽譜を眺めて弾いていたのだけれど、今はそんないい加減なやり方はしない。バイオリンとギターのパートだけを鋏で切り取って台紙に貼り付けた。

『月が踊る』だって、弾けるようになって初めて「あゝいいなあ、この曲素敵だなあ」と思ったのだから、これからも新しい発見があるに違いない。

「弾けないのは、弾けるまで弾かないからだ」とガハクが言っているし、前田さんだって私たちが弾けない曲を送って来るはずはない。楽しさと喜びがある限り愉快に弾いていけるだろう。

今夜は七夕だ。雲の上を滑空し行き交う星々を想いながら弾いてみよう。(K)







2021年7月6日火曜日

長雨

 雨の日もテントの下で石を彫る。すっかり新しく生まれ変わった形に、以前の首の長いネッシーの面影はどこにもない。

久しぶりに天使の製材所のアルバイトが入って、二人で朝早く起きて弁当を作って夕方まで働いて来た。しかも三日連続!トワンがいたら気になって仕方がなかっただろうに、金魚だと留守番させても平気だ。悠々と泳ぎながら帰りを待っていてくれる。

バイト代が入った夜にガハクが、「バイオリンの弦を買ったらいいよ」と言ってくれたので、即注文。久しぶりに新しい弦に張り替え4本ともピンク色のシノクサに統一したら、あまりにもそれまでの音と違っていて驚いた。


すぐに思い出したのは、前田整氏が一年半前に私のバイオリンを眺めながら仰った言葉だった。「いろんな弦がありますね」と言った後に弾き始めた曲は『アルフォンシーナと海』で、小さく弱く静かに、でも掠れるような奇妙な音だった。そして、弾き終わって楽器を手渡しながら、「いい楽器ですね。大事にしてください」と仰った。その言葉の意味が、今やっと理解できた。

明るく柔らかく透明な音は、雨に染み込む。(K)



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