2022年2月3日木曜日

支え

ようやく昼間にも絵が描けるようになった。

絵の前に立つ事はできるようにはなったが、筆をとっても絵具を画布に載せるという所まで行くのに時間がかかった。今までそんな事は一度もなかったように思う。意味も理由も分からなかった。どうして絵を描かねばならないのかと自問した。この歳でおかしな事だ。

夜なら描けるようになり先日遂に昼間から絵具を練ったり画布に向かって何かをする時間が増えた。しかし『妻の肖像』この主題なら描けるとは思ったが、本当に体の奥から突き上げて来るような衝動を元に描くという所までは行っていない。空虚だ。

元々そんな衝動や情熱が自分にあっただろうか。何を以て絵を描いてこれたのだろうか。そんな疑問が湧く。

画面の上で何かをすればその結果何か問題が発生し解決しようと作業が続く。疲れたらおしまい。今はそうやって時間を使う事。描くという事をするしかないらしい。そうやって描いているうちに絵の方が教えてくれるに違いない。(ガハク) 


2022年2月2日水曜日

覚悟

なんと今年最初の絵具練りだ。もう二月ではないか。通常なら三日に一度くらいは色を練ってもおかしくないが去年の暮れに起きた衝撃で絵を描く気力が湧かなくなってしまっていた。少しずつ描いてはいても去年までのストックで十分だった。その絵具もとうとう無くなり今日は二つの色を練ることにした。特に気力が出て来たわけでもないが以前の制作のペースが戻って来るならそれに越したことはない。

練りながら考えていた。2年前の今日、重症肺炎で90パーセントの死亡率を宣告された時、明け方の光が差し込む待合室の窓から空を見上げていたKyokoの心境はどうだったのだろう?当時のブログを見ると「その時静かに覚悟が広がって行った」と書いてある。

その後の僕は奇跡の様に回復できたので当時の彼女の「覚悟」がどういうものだったのかよく確かめずに来てしまった。立場が逆になり今は病室で眠っている彼女の状況を考えた時その「覚悟」がどいうものか知りたい。相手の死の予感を前にしての「覚悟」。(ガハク)



2022年1月27日木曜日

森に行く

毎日森に行く。嘗ては趣味のようなものだった。春夏秋冬、季節の移り変わりを見るのが面白かった。やがてそれが絵に行き詰まっていた頃に新しい主題として救いのように降りて来た。風景自体を主題とするのではなくとも周りの自然は、たとえば人物表現の上でも通奏低音のように響いているのを感じた。

あの日を境に趣味のようなものだった事が今や義務のようになった。取り憑かれてしまったのかもしれない。1日に1度では足りず2度登るようになり、今日は遂に早朝と昼と午後の3度森を往復した。できる事なら戻りたくない。少しも疲れないし、このまま歩き続けてどこまでも行けるならどんなにいいだろうと度々思う。

しかし戻らなければいけない。Kyokoがいるのだ。その身体は今は少し離れた所ではあるけれど確かにそこにいて生きて呼吸しているのだ。そういう彼女を見守る義務がある。それは僕の喜びなのだ。彼女が真剣に心を込めて作り上げた作品と共に彼女自身も僕も一緒にいなければならない。

森に埋没するのを求めるのではなく今は「何か」をそこに見出したい。「何か」を教えて欲しい。できれば新しい自分を発見したい。そしてそれはきっと今よりずっと良い「私」であるはずだ。(ガハク)

2022年1月21日金曜日

妻の肖像

絵が描けない。筆を持って画布に向かっても画面に届く頃には力が入らない。どうして俺は絵を描くのか?数週間経ってこれなら描けるかもしれないというものを見つけた。妻の肖像だ。

肖像というのを意識して描きたくなかった。現象に引きづられるのが嫌だからだ。一つの個性とかありようというものを念頭に置いて描こうとすると、その形の特徴とか個性的な印象とかいうものに激しく囚われてしまい、自発的に自由にキャンバスに向かえなくなるのを恐れるからだ。

しかし恐れていたら描けなくなるだろう。これ以外に描けるものがないならそれを描かねば。例えばゴッホが麦畑でたった一人グリーフに捕まって死んだように、描かねば死ぬかもしれない。

しかし妻が今生きている以上僕が死ぬ訳にはいかない。互いに相手を守るという約束を今こそ果たさねばならない。ここに描く主題を見つけた。これなら何とかなるかも。

「妻の肖像」を描く。(ガハク)



2022年1月13日木曜日

パレット

今日の結果はこれだ。

僕が救急車で運ばれる直前まで使っていたこのパレットを入院中にKyokoが掃除してくれたのを思い出す。あの時はもっと絵の具で汚れていたがこんな感じだった。それ以外にパレットを掃除させた事など一度もない。いい思い出になるんだろうか。

現実の過酷さに比べれば絵は夢想の中にあると思えたが今日それも又違うような気がして来た。これも一つの過酷な現実かもしれないと。鳥のように歌うように絵を描けるなら夢想は続くだろう。そうできない画家はやはり現実の中にいるしかない。いやそうあるべきだろう。過酷な現実に向かわねば本当の絵は描けないはずだ。

勇気を出せ。(ガハク)



2022年1月12日水曜日

『癒す手』

今日はこの絵を描いていた。小さな画面だ。10cmくらいしかない。

時々ひどく苦しくなる。今日もアトリエに入り絵の前に立つと、そのままじっと立っていられず、ただぐるぐると歩き回っていた。パレットさえ持つ気になれない。パレットは生きていく杖のようなものだと言ったこともあるのだ。その杖を持てなければ生きていけないではないか。

とにかく描こうと小さなのを選んだ。ずいぶん以前の天使の絵だ。ほとんど潰すように描き直しながら、
「あ、これは、Kyokoだ」と気づいた。「そうだ、彼女を描けばいいんだ」
そう思うといつの間にか描くことに集中できたのだ。

Kの彫刻に『癒す手』というのがあった。それを思い出した。彫刻でも同じように胸の前にもう一人の人が立っている。ただその人たちには目がない、または隠されているのだが。
(ガハク)


 

2022年1月11日火曜日

恐怖

面会に行った。ベッドが個室に移っていた。今までよりずっと静かで気持ちがいい。

病人の上にかがみ込んで顔を覗き込んだり、話しかけたり、浮腫んで大きい手を握ったり、額や髪を撫でたりしていると、唯ぐっすり眠っているようにしか見えない。ベッドの脇の椅子に腰掛けて静かに顔を見ていた。

そうか俺はこの人から片時も離れたくないんだな、ここに住めばいいんだと思った。

多くの励ましと慰めを思い出すと感謝の涙が流れる。心が折れそうになるとそれを思い出す。時に四方に深くお辞儀をする。自分の傲慢さが少しずつ削らて行くのだ。

でもいろんな用事が済むと、さて俺は何をしたらいいのかと考えてしまう。勿論分かってる絵を描かねば。しかしアトリエに入るのが実は怖いのだ。絵の前に立っている時間が怖いのだ。絵を描いていると彼女から自分が離れていくようで怖いのだ。

『悲しい、と思ったらその気持ちを俳句にしようとしたらいい、俳句にする為に言葉を選び出した瞬間から悲しみが癒されていく』という漱石の言葉が胸に刻まれている。

絵を描いていた。その瞬間は時空の別の場所にいるように思えた。これは人生の色々な脚色された一部分を演じているのだというような感覚。しかし時々ギクっとして

いまわたくしがそれを夢でないと考へて
あたらしくぎくつとしなければならないほどの
あんまりひどいげんじつなのだ』宮沢賢治

絵の前で慟哭。悲しみと孤独の圧迫感で胸が詰まってくる。気が狂うんじゃなかろうか。でも負けてはならない。狂気につかまるほど俺は利口じゃない。絵を無茶苦茶にしてしまいたいと思って筆を動かしていた。
(ガハク)



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