2021年6月30日水曜日

カドミウムイエロー

ガハクが絵の具を練っている。鮮やかな黄色だ。ヒンヤリとした光にもなるし、熱い光線も描ける強い色だ。このメーカーのカドミウムは、ねっとりして重くて練りにくいのだそうだ。顔料を詰めてある瓶を指差しながら、「ほら、毒のマーク」蓋に髑髏が黒のマジックで描いてあった。

画家にとって色は命だ。どんな欲望よりも勝るのがカドミウムレッドと言った画家がいる。でも反対に、カドミウムは毒だから決して使わないという人も実際に知っている。でも、ほんとはどうだろう?カドミウムの顔料は値段がすごく高いから、自分の絵にそこまで投資しようとは思わないだけかもしれない。人の本心というのは本人が誤魔化しているうちに、自分でも分からなくなっていることが多いのだ。

まっすぐに進めなくても、何度も打ちのめされても、その度に立ち上がった人は、そこに天使がいたことを知っている。自分の力だけじゃ生き残れなかった。

絵の具を練り終えた頃に、路地奥から救急車が出ていった。近所の爺さんまたすぐに戻って来るだろう。自分でマスクの紐を掛け直している姿を窓から眺めて、安心した。(K)



2021年6月28日月曜日

グリーンウォーター(生きるための水)

ガハクの『夏』の絵を見つめていると、緑の光線が、梢を透過し、枝の間をすり抜けて私の方へやって来る。キャンバスの前に立つ少年の目が朱文金のようだ。真っ黒でくりくりした目、まばたきもせず対象をじっと見つめている。パレットが緑の光線に照らされている。一色だけで描こうとしている。一色あれば十分か。

水槽を買って水温を一定に保つためのヒーターも取り付け、室内で飼うようにしてからは、金魚たちはみるみる元気になった。輝く水とは、グリーンウォーターのことだったのか。魚が生きて行くのに必要な微生物たちが活動している水の色は、淡く輝く緑色をしている。

グリーンエアに満たされて、S氏は今日も天界で絵を描いている。ガハクとぴったり視線を重ねて、真っ直ぐと、彼らは決して標的を外さない。(K)



2021年6月23日水曜日

太陽の裏側

夏至の朝、5時に起きた。血圧がいい数値だったので、すぐに動き始めた。ガハクも起きて来て、それから二人とも早起きになった。スフィアが変わったようだ。

病院にいる6週間ほとんど眠れなかったというガハクは、最後の数日だけよく眠れたのだそうだ。そんな朝に11階の病室の窓辺のベッドから眺めた赤城山から昇る太陽や、窓の横を飛び交う小鳥たちの様子を、決して忘れることのないその時の感慨と共に話してくれる。

『昇る太陽』の裏に回って彫り始めた。なんとなくそうなってしまっている形を 目指す方向にじわじわ動かして行く作業は、なかなかしんどい。根気が要る。ぐずぐずの石がパカッと割れて抵抗するのを宥めながら、細かな打撃で刻んで行く。立った姿が美しいのは、光が綺麗に回っているからだ。影がしっかり支えてくれるからだ。(K)



2021年6月17日木曜日

昇る太陽

「 女の人のような柔らかな線が出て来たね」とガハクが言う。手彫りでゆっくり詰めて行くと、無意識なものが形になって刻まれる。そういうのが芸術じゃなかったか。機械を使ってでも急いで彫らなくちゃ期日に間に合わないとか、ちょっと気に入らないところがあってもこのまま仕上げちゃえとか、他人の意見には耳を貸さないとか、石の脆さや節理を生かすも殺すも作り手の意のままという傲慢とか、思えばいろんな理屈を付けて回避して来た。

新しい仕事場を得たら、今まであったこと、やって来たことの中身やその詳細、そしてそこにあった落とし穴や迷路が見えて来た。やっと抜け出した。

彫刻に可愛らしさが出て来たのは、金魚のせいだ。あの子たちは水質を良くして水温を上げたら、まず眠り出した。今までの疲れを取ろうとしているのかと思ったけれど、きっと体の中に巣食っていた白点虫がだんだん消滅して来たので休めるようになったのだろう。よく食べる金魚は元気だ。まだ眠ってばかりいる金魚はゆっくり回復していくのだろう。

霊的な事柄はゆっくりと成就する。この世のことは性急だ。ごちゃ混ぜにしないこと。

シモーヌ・ヴェイユが聖書を引用して考察していた。パンを求めている者に石を与える人がいるだろうか、良いものを求め続けていれば決して悪いものが与えられるはずはないだろうと。だから自分も良いものに向かおうと。マタイ伝7章9を開いたら、確かにそのように書いてあった。「求めよ。さらば与えられん」というのは、ここのことか。

ずっとコーヒーは飲んでいないのを知ってか、昨日天使がスタバのコーヒーを降らせてくれた。今朝は久しぶりにパンとコーヒーで朝食をとった。喫茶店で一緒に飲もうよというのではなく、別々の場所で同じものを共に味わおうよという天使の気持ちが、今朝分かった。(K)



2021年6月16日水曜日

庭の菜園

夏至前にして、もう夏野菜が採れ始めた。古バケツに植えているナスがずいぶん大きくなった。大収穫が予想されるので、嬉しくなって牛乳パックで嵩上げをして肥料と堆肥を足しておいた。このやり方でならどんどん成長しても大丈夫、対応できる。

ずっと懸案だったスモモの横枝も切った。隣の塀ぎわに影を落としていたからだ。手鋸でゆっくり切った。切断面にボンドを塗り、和紙を貼っておいた。こうしておくと切り口が腐らずにすぐに再生する。

今年はリンゴの木にネットは被せないことにした。相変わらず黄色い葉っぱが出るけれど、今年も実が付いている。猿もよく知っているんだなあ、この辺りの様子がだんだん変わって行くのを。栗の木は切り倒され、斜面の整備が進んでいる。(K)



2021年6月14日月曜日

存在に会う

「いつまでもあると思っていちゃいけないの。すぐに無くなるものなの」と言ったのはシャーロットだ。『野生の棕櫚』(フォークナー)に出てくるヒロイン。彼女は晩秋の湖で素っ裸になって泳ぐ。ブルブル震えながらストーブで暖をとる姿が傷ましくも美しい。

出会った人は知っている。”存在”にもし出会えたら、それはもう奇跡だと。

画室のドアが開いていたので声をかけずに覗いたら、「わっ、ビックリしたあ」と、ガハクにすごく驚かれた。集中していたんだな。泳ぐ人が強くなっていた。世界にひとつしかない真珠を探しにぐんぐん潜って行く。(K)








2021年6月13日日曜日

石を彫るにも体幹

 今までで一番良い姿勢だ。毎日やっている腹筋と背筋の筋トレが効いて来た。腰を痛めなくなった。これなら今年の夏は元気に乗り切れるだろう。日焼けし始めたので、風呂敷やらシーツ、アルミブランケット総動員♪

若い頃は御影石を彫る時には、1.2kgの石頭(せっとう)を振っていたのだが、今回は大理石用の 800g のを使っている。軽過ぎて跳ね返されるかと思いきや、真芯に当たれば着実に剥がれていく。それにこの白御影石はグズグズで脆いから、小さな衝撃で着実に削って行くのが良いと分かった。軽いハンマーだからこそ、横打ちの連続が出来る。

大理石は石のうちに入らないなんて生意気なことを言う先輩がいたっけ。柔らかな石より、硬くて力持ちでなけりゃ彫れないような石を彫るのが偉いと思っている単細胞がけっこう多いw。

でも今、40年ぶりに彫り直していて分かったことは、大理石で鍛えた彫り方や見え方、考え方、陰影の使い方が如何に豊かで彫刻の領域を広げてくれたかということだ。立っている姿を見つめながら美しい形を探して彫り続けている。(K)



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