「 女の人のような柔らかな線が出て来たね」とガハクが言う。手彫りでゆっくり詰めて行くと、無意識なものが形になって刻まれる。そういうのが芸術じゃなかったか。機械を使ってでも急いで彫らなくちゃ期日に間に合わないとか、ちょっと気に入らないところがあってもこのまま仕上げちゃえとか、他人の意見には耳を貸さないとか、石の脆さや節理を生かすも殺すも作り手の意のままという傲慢とか、思えばいろんな理屈を付けて回避して来た。
新しい仕事場を得たら、今まであったこと、やって来たことの中身やその詳細、そしてそこにあった落とし穴や迷路が見えて来た。やっと抜け出した。
彫刻に可愛らしさが出て来たのは、金魚のせいだ。あの子たちは水質を良くして水温を上げたら、まず眠り出した。今までの疲れを取ろうとしているのかと思ったけれど、きっと体の中に巣食っていた白点虫がだんだん消滅して来たので休めるようになったのだろう。よく食べる金魚は元気だ。まだ眠ってばかりいる金魚はゆっくり回復していくのだろう。
霊的な事柄はゆっくりと成就する。この世のことは性急だ。ごちゃ混ぜにしないこと。
シモーヌ・ヴェイユが聖書を引用して考察していた。パンを求めている者に石を与える人がいるだろうか、良いものを求め続けていれば決して悪いものが与えられるはずはないだろうと。だから自分も良いものに向かおうと。マタイ伝7章9を開いたら、確かにそのように書いてあった。「求めよ。さらば与えられん」というのは、ここのことか。
ずっとコーヒーは飲んでいないのを知ってか、昨日天使がスタバのコーヒーを降らせてくれた。今朝は久しぶりにパンとコーヒーで朝食をとった。喫茶店で一緒に飲もうよというのではなく、別々の場所で同じものを共に味わおうよという天使の気持ちが、今朝分かった。(K)