今日でガハクが入院して38日経った。こんなに離れて暮らしたのは、私が31の時に阿蘇の彫刻シンポジウムで2ヶ月間石を彫った時以来だ。生活も仕事もずっと二人でやって来たから、こんな風に引き離されるのは35年ぶりということになる。この二つの出来事の意味を考えている。
シンポジウムは華々しいイベントだった。でもすっかり体が消耗した。だって10トンの石を使って 形にするのだもの。いくら慣れているとは言え、真夏の2ヶ月の重労働はきつくて体重がグンと減った。その後に依頼の仕事も立て続けに来たので、それをやり終えた頃には完全に体を壊して寝込んでしまった。激痛で眠れない夜をひと月過ごして、少し歩けるようになるまで更にひと月。ずっとガハクに介護してもらって過ごした。その頃飼っていた黒猫が、寝たきりの私の体を跨いで通っていく。世の中は私がいなくても関係なく何事もないように動いていた。不思議な気持ちになった。それからしばらくは、あの激痛にまた襲われるんじゃないかと怯えて暮らした。野心というものに与えられた罰のように思えてひたすら祈っていた。「もう悪いことはしません」って。
ところがもっと怖いことがあることを知ったのは、それから数年経った頃だ。ある明け方に、ガハクが無呼吸で失神して倒れていたのだ。布団の上からのしかかっている体の重さで気が付いた。口移しに息を吹き込んで、心臓マッサージをやろうとしたら、蘇生した。本人はケロッとしたものだ。逆に私が狂乱したかと思って落ち着かせようとする。夜が開けて病院に行ってCTスキャンをしたけれど、何の異常もなかった。でもそれからは私の中に怯えはしっかり根付いてしまった。独り取り残されるという怯えだ。
夜中に目が覚めると、耳を澄ます。寝息が聞こえなければ、手をかざしたりしていた。そんなことが繰り返されていた時にガハクが厳しい問いかけをして来た。
「僕の死を受け入れてくれますか?YesかNoで答えなさい」数分唸った後、Yesと答えた。するとガハクは、「ありがとう。僕はもう決して死なないよ」と言ったのだ。
今回ガハクが救急車で運び込まれた時に、廊下でずっと待たされている間、暗い空がだんだん明るくなっていくのを眺めながら、あの時の問答のことを思い出していた。 死なないということを信じて祈ろうとその時にやっと怯えから脱して勇気を持って前へ踏み出せたのだ。新しい場所へ向かって。
ガハクから今夜は電話がない。きっと同じことを考えているのだろう(K)