2021年7月10日土曜日

白槿

キッチンの窓の向こうに白槿の花が咲いている。雨の朝も、曇っている時も、今朝のように日差しがあっても、いつも爽やかな空気を纏って揺れている。風にも光にも雨にも敏感に反応する花だ。

製材所のバイト代で、ガハクは久しぶりに絵筆を16本も買った。お気に入りのメーカーのものだそうで、サイズと形がいろいろある。軸が深緑、銅で束ねてあって、毛先が白。絵筆までもが美しい。

死んだ人と残された人が一緒に生きる為には、この世にいる方がステージを上げなければならない。そうでなければ、到達できずに迷っている悪霊か、死に損ないの中途半端な意識にまとわりつかれてぼんやりと過ごして、その瞬間が訪れても知らずに終わってしまうだろう。

ガハクの夏の絵に白い花が現れた。夏に咲く白い花は永遠を表象している。(K)



2021年7月7日水曜日

楽譜という宝物

今朝、ガハクはギターの弦を注文した。ソフトテンションで押さえやすいのを選んだそうだ。私は楽譜をプリントするために6km下流のコンビニまでドライブ。

次に弾こうと思っているのは『夜間飛行』で、前田ただし氏作。レーシングカーが大好きな息子さんのために作られたという曲は、流れるような華麗さとスピード感がある。

マーエダ六重奏団のスコアは9ページもある。以前はそれをそのまま糊で繋ぎ合わせて、長くて広い台に置き、歩きながら楽譜を眺めて弾いていたのだけれど、今はそんないい加減なやり方はしない。バイオリンとギターのパートだけを鋏で切り取って台紙に貼り付けた。

『月が踊る』だって、弾けるようになって初めて「あゝいいなあ、この曲素敵だなあ」と思ったのだから、これからも新しい発見があるに違いない。

「弾けないのは、弾けるまで弾かないからだ」とガハクが言っているし、前田さんだって私たちが弾けない曲を送って来るはずはない。楽しさと喜びがある限り愉快に弾いていけるだろう。

今夜は七夕だ。雲の上を滑空し行き交う星々を想いながら弾いてみよう。(K)







2021年7月6日火曜日

長雨

 雨の日もテントの下で石を彫る。すっかり新しく生まれ変わった形に、以前の首の長いネッシーの面影はどこにもない。

久しぶりに天使の製材所のアルバイトが入って、二人で朝早く起きて弁当を作って夕方まで働いて来た。しかも三日連続!トワンがいたら気になって仕方がなかっただろうに、金魚だと留守番させても平気だ。悠々と泳ぎながら帰りを待っていてくれる。

バイト代が入った夜にガハクが、「バイオリンの弦を買ったらいいよ」と言ってくれたので、即注文。久しぶりに新しい弦に張り替え4本ともピンク色のシノクサに統一したら、あまりにもそれまでの音と違っていて驚いた。


すぐに思い出したのは、前田整氏が一年半前に私のバイオリンを眺めながら仰った言葉だった。「いろんな弦がありますね」と言った後に弾き始めた曲は『アルフォンシーナと海』で、小さく弱く静かに、でも掠れるような奇妙な音だった。そして、弾き終わって楽器を手渡しながら、「いい楽器ですね。大事にしてください」と仰った。その言葉の意味が、今やっと理解できた。

明るく柔らかく透明な音は、雨に染み込む。(K)



2021年6月30日水曜日

カドミウムイエロー

ガハクが絵の具を練っている。鮮やかな黄色だ。ヒンヤリとした光にもなるし、熱い光線も描ける強い色だ。このメーカーのカドミウムは、ねっとりして重くて練りにくいのだそうだ。顔料を詰めてある瓶を指差しながら、「ほら、毒のマーク」蓋に髑髏が黒のマジックで描いてあった。

画家にとって色は命だ。どんな欲望よりも勝るのがカドミウムレッドと言った画家がいる。でも反対に、カドミウムは毒だから決して使わないという人も実際に知っている。でも、ほんとはどうだろう?カドミウムの顔料は値段がすごく高いから、自分の絵にそこまで投資しようとは思わないだけかもしれない。人の本心というのは本人が誤魔化しているうちに、自分でも分からなくなっていることが多いのだ。

まっすぐに進めなくても、何度も打ちのめされても、その度に立ち上がった人は、そこに天使がいたことを知っている。自分の力だけじゃ生き残れなかった。

絵の具を練り終えた頃に、路地奥から救急車が出ていった。近所の爺さんまたすぐに戻って来るだろう。自分でマスクの紐を掛け直している姿を窓から眺めて、安心した。(K)



2021年6月28日月曜日

グリーンウォーター(生きるための水)

ガハクの『夏』の絵を見つめていると、緑の光線が、梢を透過し、枝の間をすり抜けて私の方へやって来る。キャンバスの前に立つ少年の目が朱文金のようだ。真っ黒でくりくりした目、まばたきもせず対象をじっと見つめている。パレットが緑の光線に照らされている。一色だけで描こうとしている。一色あれば十分か。

水槽を買って水温を一定に保つためのヒーターも取り付け、室内で飼うようにしてからは、金魚たちはみるみる元気になった。輝く水とは、グリーンウォーターのことだったのか。魚が生きて行くのに必要な微生物たちが活動している水の色は、淡く輝く緑色をしている。

グリーンエアに満たされて、S氏は今日も天界で絵を描いている。ガハクとぴったり視線を重ねて、真っ直ぐと、彼らは決して標的を外さない。(K)



2021年6月23日水曜日

太陽の裏側

夏至の朝、5時に起きた。血圧がいい数値だったので、すぐに動き始めた。ガハクも起きて来て、それから二人とも早起きになった。スフィアが変わったようだ。

病院にいる6週間ほとんど眠れなかったというガハクは、最後の数日だけよく眠れたのだそうだ。そんな朝に11階の病室の窓辺のベッドから眺めた赤城山から昇る太陽や、窓の横を飛び交う小鳥たちの様子を、決して忘れることのないその時の感慨と共に話してくれる。

『昇る太陽』の裏に回って彫り始めた。なんとなくそうなってしまっている形を 目指す方向にじわじわ動かして行く作業は、なかなかしんどい。根気が要る。ぐずぐずの石がパカッと割れて抵抗するのを宥めながら、細かな打撃で刻んで行く。立った姿が美しいのは、光が綺麗に回っているからだ。影がしっかり支えてくれるからだ。(K)



2021年6月17日木曜日

昇る太陽

「 女の人のような柔らかな線が出て来たね」とガハクが言う。手彫りでゆっくり詰めて行くと、無意識なものが形になって刻まれる。そういうのが芸術じゃなかったか。機械を使ってでも急いで彫らなくちゃ期日に間に合わないとか、ちょっと気に入らないところがあってもこのまま仕上げちゃえとか、他人の意見には耳を貸さないとか、石の脆さや節理を生かすも殺すも作り手の意のままという傲慢とか、思えばいろんな理屈を付けて回避して来た。

新しい仕事場を得たら、今まであったこと、やって来たことの中身やその詳細、そしてそこにあった落とし穴や迷路が見えて来た。やっと抜け出した。

彫刻に可愛らしさが出て来たのは、金魚のせいだ。あの子たちは水質を良くして水温を上げたら、まず眠り出した。今までの疲れを取ろうとしているのかと思ったけれど、きっと体の中に巣食っていた白点虫がだんだん消滅して来たので休めるようになったのだろう。よく食べる金魚は元気だ。まだ眠ってばかりいる金魚はゆっくり回復していくのだろう。

霊的な事柄はゆっくりと成就する。この世のことは性急だ。ごちゃ混ぜにしないこと。

シモーヌ・ヴェイユが聖書を引用して考察していた。パンを求めている者に石を与える人がいるだろうか、良いものを求め続けていれば決して悪いものが与えられるはずはないだろうと。だから自分も良いものに向かおうと。マタイ伝7章9を開いたら、確かにそのように書いてあった。「求めよ。さらば与えられん」というのは、ここのことか。

ずっとコーヒーは飲んでいないのを知ってか、昨日天使がスタバのコーヒーを降らせてくれた。今朝は久しぶりにパンとコーヒーで朝食をとった。喫茶店で一緒に飲もうよというのではなく、別々の場所で同じものを共に味わおうよという天使の気持ちが、今朝分かった。(K)



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