2021年10月6日水曜日

トワンの声が聞こえる

 昼間、ケイトウの花のスケッチを探していたら、トワンがガハクにぴったり張り付いている素描を見つけた。横に犬のセリフも書いてある。

「ボクがパパを好きなのは、パパがボクを好きだからじゃないんだよ。ボクはパパが好きなんだよ」たしかにトワンの言いそうなことだ。

ガハクがやっと腰の痛みが癒えて、ふた月ぶりにお風呂に入って出て来たところを 待ち構えていたトワンが、最大級の敬意と称賛の眼差しで迎えていた場面だ。それからは毎回風呂場の出口で待つようになった。きれいに洗われた体から発散する匂いをくんくん嗅いで喜んでいる。

洗礼とか、禊とか、滝に打たれるとか、身を清める宗教的行為が実体あるもののように見せられた。病気からの回復は身も心もきれいになることだ。

ガハクが9割の致死率から生き延びてこの家に戻って来た時の痩せ細って削ぎ落とされて骨だけのようになった体。そこから出される声の大きかったことを思い出す。ホールに響き渡るようなクリアーな音声。その時天井が高く感じたのは、ふたりとも同じだ。空間は変化する。それは地獄にもなるし、天国にもなる。

山で視線を感じて振り向くと、梢の間に小鳥の目があるそうな。山で鹿に会うと「トワン!」と呼びかけるガハクの最近の絵には実感がある。女が服を脱ぎ始めたのは、春の陽気と集中のせいだろう。(K)



2021年9月29日水曜日

黒い炎

 黒御影石の磨きは、大理石の数倍時間と手間がかかる。力も要る。今やっと400番の砥石に入ったところだ。この後、♯600、♯800、♯1000、♯1500、♯2000までかけて、ピカピカにしてみようと思っている。大理石だと艶が出る手前でやめることが多いのだけど、これは太陽だからね、最高に輝いた方がいいだろう。

太陽には裏側がない。でも、彫刻には裏側がある。この裏側の炎はもっと太くて柔らかくて飛び出すような凸面で彫ろう。冬になる前には出来るだろう。

夕暮れが早くなった。足腰が冷えると筋肉が硬くなって突っ張ってくる。手彫り手磨きでやっているから、冬が来る前が勝負だ。(K)



2021年9月23日木曜日

朝の『ねくすとすぷりんぐ』

 朝の光が「綺麗だ」と言ってガハクが撮ってくれた。

クラビノーバの上に大理石の彫刻を置いているのは、電子楽器特有のビビビッとプラスチックに響く雑音を消すためだ。小さいけれど、持ち上げようとするとけっこうずっしり来る。

光がなければ彫刻は生かされない。実際に手で触ると、石の冷たさに驚く人が多い。

この小さな天使の名は『ねくすとすぷりんぐ』。毎日家にいて、朝も昼も夕方もガハクといっしょにご飯を食べ、いろんな話をする。彫りたいときに彫れるというのは、凄いことだ。秋なのに春のように生きている。(K)



2021年9月18日土曜日

ゴッホの友達

ガハクが不思議な絵を描いている。この絵は7年前に法然院に持って行って並べた中の一枚だ。あの時は蓮の葉の中央に女の人が眠っている顔が描かれていたのだったが、大きく変わった。「ゴッホが見たら笑うよ」と言ったら、「笑ってくれるかなあ。嬉しいなあ。昨日は一日中これ描いてたんだよ」とガハクも笑う。

今朝は自転車で使った筋肉があちこち張っているそうだ。痒い所にムヒを塗っている。筋肉は鍛えられて太くなって来ると、皮膚とズレが生じるらしく、湿疹が出て痒くなる。それもしばらくすると治まって、いよいよ強くなる。落ちるのは三日、付くのにはひと月もかかるのが筋肉だ。

私の足の爪に境界線があるのに気が付いた。くっきりと段差になっている。それがだんだん押し上げられて、あともう少しで、たぶん2回爪切りするとすっかり新しくなる。『新しい人よ目覚めよ』と呼ぶ声が聞こえる。(K)


 

2021年9月12日日曜日

蛮人の信仰

メルヴィルの『白鯨』を読み始めたガハクを追いかけるように、私も毎晩読んでいる。クジラの肉を子供の頃はよく食べたし、馬の肉もよく食卓に出て来たけれど、どっちの動物も大きく逞しく美しい。 人間よりずっと素直で優れているかもしれないのに、皆で好きなように扱って来た。小さなものが如何に大きなものや優れたものたちを支配するか、その方法を考え出したのが人間だ。

人間の一番悪いところは嫉妬心だ。自分より優れたものを見たら、惚れ惚れと見上げて愛するのが最初の情動だったはずなのに、いつどこで捻じ曲げてしまったのか?闘争となじり合いばかりに明け暮れている間に終わってしまう寂しい人々のなんと多いことか。

ガハクの馬が突然素敵になっていて驚いていると、「もうどうでもよくなったんだよ。勝手に描くことにしたんだ」と言う。詩人は本なんて出さないんだよ、展覧会なんかしないのが絵描きなんだと言うガハクは、世を捨てて海に出た。(K)



2021年9月7日火曜日

8日ぶりの日差しに

 早朝に起きて出窓のブラインドを上げたら、金魚が騒ぎ出した。「朝だね!朝ご飯ちょうだい」と言っているのだ。金魚は私たちの動きをよく見ている。テーブルでお煎餅を食べ始めると、「私も食べるっ!」と騒ぎ出す。ガハクが机の陰からちょっとだけ顔を出すと、「あ、パパだ!」と皆で水槽のガラスに顔をくっつけて並ぶ。声も聞いているようだ。コツコツと水槽をノックする必要もない。いつも金魚にもメダカにも話しかけているガハクである。

今朝は久しぶりに太陽が出て来て、昨日刻んだばかりの溝を横から照らして、くっきりと浮き上がらせた。曇っているとぼんやり沈んでしまう黒御影の中の窪みをどうやったら際立たせることができるか、呻吟しながら彫っている。

黒御影石のノミ音は金属を叩いているように甲高くて、頭の中にまで響く。一昨日は軽く頭痛がしたくらいだ。でももう大丈夫。数日すれば適応する。

家の2階で絵を描きながら聞いていたガハクが、「今日は黒御影石を彫っていたでしょう。体に響く音だね。生活の中にああいう音は必要だよ」と言う。体を貫く音で太陽光を刻んでいる。(K)



2021年9月4日土曜日

窓辺のヒヨドリ

絵に命を吹き込むのは、画家の(愛しいものを描きたいという)善への意思に流入する者達だ。ガハクの絵が変わった。優しいその一コマは見るものを拒まない。

ここに描かれた物語は、実際にあった出来事に主題を取ったものではあるけれど、もう過去のものではなくなった。今そこで起きていることのように新鮮なのは、彼らが絵の中に住み、そこで動き始めたということなのかな?(K)


 

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