ヴェーユに「人の中にある『聖なるもの』」という記述がある。
それはその人の身体にではないし人格にあるのでもない。むしろ非人格的なものだという。子供が算数の答えを間違えた時その過ちは人格性を帯びるが、正しい答えは非人格的になる。非人格的だからこそ『聖なるもの』なのだと。
芸術における『聖なるもの』もまた非人格的な領域にあるものだけだと。人格的なものとは次元が違うのだと。だから個人の感性と独創性によった表現の領域にとどまる限り『聖なるもの』にはなれないと。
そして、集団は決してそうはならない、孤独しかその領域に入る入り口を持たない。「われわれ」などという言葉は言ってはいけないよと。(画)
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