2021年9月23日木曜日

朝の『ねくすとすぷりんぐ』

 朝の光が「綺麗だ」と言ってガハクが撮ってくれた。

クラビノーバの上に大理石の彫刻を置いているのは、電子楽器特有のビビビッとプラスチックに響く雑音を消すためだ。小さいけれど、持ち上げようとするとけっこうずっしり来る。

光がなければ彫刻は生かされない。実際に手で触ると、石の冷たさに驚く人が多い。

この小さな天使の名は『ねくすとすぷりんぐ』。毎日家にいて、朝も昼も夕方もガハクといっしょにご飯を食べ、いろんな話をする。彫りたいときに彫れるというのは、凄いことだ。秋なのに春のように生きている。(K)



2021年9月18日土曜日

ゴッホの友達

ガハクが不思議な絵を描いている。この絵は7年前に法然院に持って行って並べた中の一枚だ。あの時は蓮の葉の中央に女の人が眠っている顔が描かれていたのだったが、大きく変わった。「ゴッホが見たら笑うよ」と言ったら、「笑ってくれるかなあ。嬉しいなあ。昨日は一日中これ描いてたんだよ」とガハクも笑う。

今朝は自転車で使った筋肉があちこち張っているそうだ。痒い所にムヒを塗っている。筋肉は鍛えられて太くなって来ると、皮膚とズレが生じるらしく、湿疹が出て痒くなる。それもしばらくすると治まって、いよいよ強くなる。落ちるのは三日、付くのにはひと月もかかるのが筋肉だ。

私の足の爪に境界線があるのに気が付いた。くっきりと段差になっている。それがだんだん押し上げられて、あともう少しで、たぶん2回爪切りするとすっかり新しくなる。『新しい人よ目覚めよ』と呼ぶ声が聞こえる。(K)


 

2021年9月12日日曜日

蛮人の信仰

メルヴィルの『白鯨』を読み始めたガハクを追いかけるように、私も毎晩読んでいる。クジラの肉を子供の頃はよく食べたし、馬の肉もよく食卓に出て来たけれど、どっちの動物も大きく逞しく美しい。 人間よりずっと素直で優れているかもしれないのに、皆で好きなように扱って来た。小さなものが如何に大きなものや優れたものたちを支配するか、その方法を考え出したのが人間だ。

人間の一番悪いところは嫉妬心だ。自分より優れたものを見たら、惚れ惚れと見上げて愛するのが最初の情動だったはずなのに、いつどこで捻じ曲げてしまったのか?闘争となじり合いばかりに明け暮れている間に終わってしまう寂しい人々のなんと多いことか。

ガハクの馬が突然素敵になっていて驚いていると、「もうどうでもよくなったんだよ。勝手に描くことにしたんだ」と言う。詩人は本なんて出さないんだよ、展覧会なんかしないのが絵描きなんだと言うガハクは、世を捨てて海に出た。(K)



2021年9月7日火曜日

8日ぶりの日差しに

 早朝に起きて出窓のブラインドを上げたら、金魚が騒ぎ出した。「朝だね!朝ご飯ちょうだい」と言っているのだ。金魚は私たちの動きをよく見ている。テーブルでお煎餅を食べ始めると、「私も食べるっ!」と騒ぎ出す。ガハクが机の陰からちょっとだけ顔を出すと、「あ、パパだ!」と皆で水槽のガラスに顔をくっつけて並ぶ。声も聞いているようだ。コツコツと水槽をノックする必要もない。いつも金魚にもメダカにも話しかけているガハクである。

今朝は久しぶりに太陽が出て来て、昨日刻んだばかりの溝を横から照らして、くっきりと浮き上がらせた。曇っているとぼんやり沈んでしまう黒御影の中の窪みをどうやったら際立たせることができるか、呻吟しながら彫っている。

黒御影石のノミ音は金属を叩いているように甲高くて、頭の中にまで響く。一昨日は軽く頭痛がしたくらいだ。でももう大丈夫。数日すれば適応する。

家の2階で絵を描きながら聞いていたガハクが、「今日は黒御影石を彫っていたでしょう。体に響く音だね。生活の中にああいう音は必要だよ」と言う。体を貫く音で太陽光を刻んでいる。(K)



2021年9月4日土曜日

窓辺のヒヨドリ

絵に命を吹き込むのは、画家の(愛しいものを描きたいという)善への意思に流入する者達だ。ガハクの絵が変わった。優しいその一コマは見るものを拒まない。

ここに描かれた物語は、実際にあった出来事に主題を取ったものではあるけれど、もう過去のものではなくなった。今そこで起きていることのように新鮮なのは、彼らが絵の中に住み、そこで動き始めたということなのかな?(K)


 

2021年8月26日木曜日

彫刻の裏側

 大きな石を立てたまま(最終セッティングの状態)で彫っている。横から、斜め下から、ハンマーを振り下ろす(振り上げる)。機械を使わないからゆっくりだ。一皮剥いては、もう一皮、だんだん形が引き締まって行く。どうしてなのか、いつも裏側の方が形が柔らかくて優雅に見える。何にも気にしてないからだな。人に見られることのないところに自由がある。(K)



2021年8月24日火曜日

オレンジ色の空

毎年お盆の頃になると、遠く離れた故郷を想ってか、いつも寂しかった。そんな時に「女よ、あなたは許された。安心して行きなさい」という言葉を聖書の中に見つけて、幾度となく心の中で反芻していたっけ。罪障感は自分の奥深くまで探訪し、自分で抉り出し、言葉にし得た時、軽くなる。

毎晩寝る前に『冷血』(トルーマン・カポーティ)を読んでいるのだけれど、昨夜遂に殺人者らが捕まった。刑事の尋問への反応が実にうまく書いてあって怖い。でもその後すぐに眠りについても怖い夢や悪い夢を見たことはない。河内十人斬りに題材をとった『告白』(町田康)を読んでいた時もそうだった。優れた表現は悪霊を運んで来るわけじゃないんだな。優しい言葉をつらつらと述べたてた文句に鬱陶しさを感じることがあるのは、そこに潜んでいる目的が悪いからだ。無意識の領域は深く広い。見えないところまで透かして眺められる眼力はないけれど、嗅覚は持っている。だから無事にここまで生きて来れたんだ。

お盆明けの早朝、山も庭も辺り一帯がオレンジ色に輝いた。二階に上がって窓を開けたら大きな虹が見えた。白い人の谷から出てずっと遠くまで。ちょうどアトリエがあった辺りまで伸びていた。(K)


 

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