2022年1月4日火曜日

買い出し


朝食の後久しぶりに一人で街までドライブ。
目的は役所に書類申請。もう一つは買い物。今日から仕事始めの市役所だったがすぐに用事は終わった。しかし次に買い物をと車の中を見たらバッグだけで現金もクレジットカードも家に置き忘れたことに気づいた。そのまま帰宅。部屋に入るとバッグも財布も机の上にきちんと揃えて置いてあったではないか。
昼食を終えてから出かけ直すことにした。

買い物も久しぶりだった。カゴを抱えて野菜や魚や肉を吟味するなんて、いつからやらなくなっていたのか思い出せない。ほとんど妻に任せていたのだ。
2年前の入院以来彼女がどんなにボクを庇って来たかを思い知らされた。

午前中は気が楽だ。昨日から考えていたやらねばならないことをやるのに時間はたっぷりある。午後になると少し気持ちが焦って来る。午後遅くなるに従い落ち着かなくなり、気づけば常に立ちっぱなしでウロウロしているではないか。

洗濯したりゴミを片付けたり掃除したり池の氷を割ったり散歩したり、そんなことで時間を使う。それから料理、ネットで検索したりしながら。これが一番気持ちが前向きになっていい。
そうか、マーエダさんの料理好きの理由はここにあったのか。

制作はほとんどできずにいる。アトリエにいてもどこか常に緊張していて腰が座らない感じ。2年前にボクが死の縁を彷徨っていた頃、病院への見舞いの後でキョウちゃんはアトリエに行きしっかり石を彫っていたのを思い出す。根性が違うな。

明日は病院に入院用品を届けに行く。コロナで面会は非常時以外一切禁止。病状に大きな変化(危ない)がなければ連絡はしないとのこと。だから今のところ大丈夫、と自分に言い聞かせている。
(ガハク)

2022年1月3日月曜日

初雪


久しぶりにガハクが書いている。新しい年。2022年の今日はもう3日の月曜日。2020年の冬に僕が重症肺炎で入院してから二人で交代で書いていたものをKだけが記述していた。

去年の30日の午後、いつも二人で行く裏山の頂点に立った時、彼女がうづくまり動けなくなった。僕一人ではとうてい運べず救急車を呼んだ。救急隊の他に山岳救助隊まで来て彼女を運んだ。救急車の中では寒い寒いと訴えながら握った手に気づいたのか「あなたはどこにいるの?」ボクはここにいるよ大丈夫だよと答える。頭を振りながら宙を見るようにして「頭がぼんやりしてよくわからない」

倒れたのが午後3時。5時病院に入り緊急手術。終わったのが翌日の午前5時過ぎ。案内されて医師やナースに囲まれ管やコードをいっぱい着けたKを見せられた。閉じた瞼と濡れた顎、全体がアルミニュウムでできたような顔だった。
壁には一面に計器類が張り巡らされていて波形や数字が次々と忙しく動いている。中には見慣れた数字もある。2年前の僕も見ていたものだ。

しかしそんな中で担当医が今は安定しているように見えるがいつ発作が起きてもおかしくない、最悪の場合は植物状態もありうるという言葉が恐ろしい。よく理解できない。シーツの上から足に触り、彼女の頬に手で触れて「キョウコがんばってねキョウコしっかりしてねボクがいるよトワンもついてるよ」と言うのが精一杯だった。

寝台から離れて元の待機室までもどった。何も思いつかない。考えるということが苦痛だった。手が震えた。要するに怯えていたのだ。何に?彼女が死ぬことによって俺が孤独になることが。二人の生活がこれから新しく始まるとさえ思っていた瞬間に、終わるのか、、

タクシーでの帰路雪が降って来た。アガノの道も真っ白に変わっていた。持ち帰り品の詰まった大きな青いビニール袋を家まで運ぶ道も白い。庭も玄関前も白い。家の中に袋を下ろして中を開けた時山に履いて行った彼女の靴がその中にないのを思い出した。付き添いの看護師が入院用の私物として持って行ったのだった。すぐ死ぬ人間に日常用の靴は必要ないだろう。そうだよね、すぐ死ぬと決まった訳じゃない。

2021年12月31日→2022年1月1日→2日と過ぎてだいぶ気持ちも落ち着いて来た。病院からの連絡は緊急でなければなし。順調であればなし、あれば悪い知らせ。ないことを願う。安心していよう。

料理もずいぶんやってなかった。やればできる子だからね俺は(笑)
(ガハク)


2021年12月27日月曜日

後退り

 前に突き出ていた手を奥の方へと彫り直した。ぱーっと大きく膨らんでいたスカートも、腰に張り付くような薄い布にした。そうやってあちこちいじっていると、だんだんこの彫刻の物語が変化していく。

この女は広い道を歩もうとしているのではなく、後ろを警戒しながら、前を行く人から離れないようにそっと彼の背中に手を当て後ろ向きに歩いている。

二人の目は合わせて四つ、犬の目も入れれば六つになる。道は始まったばかりだ。(K)



2021年12月20日月曜日

もう一つの『赤い街』

 これまでガハクは3枚の『赤い街』を描いている。この絵にも、やっぱりスエデンボルグが絵の中にいて、ここでは走っている。宮廷の要職に就いていた頃なんだろう、忙しそうだ。

絵には思想がなけりゃ、そこに物語がなけりゃ、ただの色だ。そんな色遊びは、時空を超えてはとても生き残れないだろう。ポンペイの遺跡が発掘されて、2千年の時を超えて鮮やかに蘇る。火山灰に一瞬にして埋まって消えたかに思えたあの頃の壁画は、人々の日常の生活の無常とは関係なく、命のあるものの姿を美しく伝えている。幻想と実在を取り違えないようにしよう。日々の苦労に潰されてしまうことの無いように、目が曇らされないように心がけている。

画家が善良で無垢ならば、絵の具もテーマも与えられるという。ガハクの様子はそんな風だ。ギターとバイオリンの合奏がやっと一曲できるようになったから、今日から新しい曲に取り掛かった。(K)



2021年12月14日火曜日

広い道

30年前の大理石の彫刻『広い道 、狭い道』の続きを彫り始めた。

これは彫り直しではなく、途中で技術的限界とイメージの貧困と迷いが生じたから、そのままに放ってあったのだ。今ならいろんなものをもっと自由に刻めるはずなんだ。

どこから取り掛かろうかとしばらく眺めていたが、まず広い道からいじってみることにした。女の子が道の中央に立っている。周りで飛んだり跳ねたりしているのは、あの頃の夢に出て来た霊たちだ。ピッポパッポ ピッポパッポ と、機械仕掛けの人形のように手足を動かすその様子は、ダンスの練習をしているみたいだった。表現になる以前の退屈で単調で冷たい繰り返し、その名は訓練。広い道を行く人は能力を競わなきゃならないんだ。消耗戦のはじまり。愛とは遠い世界に広い道は続いていく。

月が端に彫ってあった。夜を照らす満月だ。もっとくっきり彫ろう。(K)



2021年12月8日水曜日

邪馬台国の巫女

『Mの家族』の中でいちばん独立心の強そうな女の人の服が、いつの間にか描き変えられていた。咄嗟に頭に浮かんだのが、『邪馬台国』。あの頃の人だったら、きっとこんな風にキリッとしていたはずだ。今よりずっとチャーミングで、憂いのない意志的な顔をしていただろう。嘘のない顔、外と内が一致した人の立ち姿は美しい。

昨日久しぶりに山の上の小さな神社まで登った。社の中は落ち葉がいっぱい吹き込んでいて、埃もいっぱい溜まっていた。お祓いの榊の小枝でガハクが掃除を始めた。私も裏に回って、柱に絡んだり床を這っている蔦を引っ張った。スルスルと簡単に抜けた。

自然は人間が関わって初めて動き出すというのは本当だ。誰にも見られないで触れる人がいなければ、自然はいつまでも粗野で乱暴なままだ。あっ、人もそうかな?(K)



2021年11月27日土曜日

全光(ぜんこう)

光を正面から浴びたモチーフの照明の状態を”全光”と言う。これは専門用語なんだろう。

庭に出て彫刻を眺めたら、今朝も全光だった。せっかく浮き彫りにした細かな形がぼんやりしてしまう。これは黒い石の場合は特にそうで、彫り痕の白い点々を消さない限りぼんやり感はずっと続く。ここは妥協せずに進むしかないと決意して、ゆっくり研ぎ始めた。

炎の側面に荒砥をかけ、その後200番、今やっと400番までかけた。少しグレーになって形が盛り上がって見える。こんな細かなことをこのサイズの黒御影石でここまでやったことはないから、冒険心が密かに湧き上がっている。これは、じっくりと腰を据えてかからねばならない探検なんだ。刺繍をしている女のような気持ちで冬の庭に立って労働をしている。芸術という意識の革命が静かに始まった。(K)


 

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