絵に命を吹き込むのは、画家の(愛しいものを描きたいという)善への意思に流入する者達だ。ガハクの絵が変わった。優しいその一コマは見るものを拒まない。
ここに描かれた物語は、実際にあった出来事に主題を取ったものではあるけれど、もう過去のものではなくなった。今そこで起きていることのように新鮮なのは、彼らが絵の中に住み、そこで動き始めたということなのかな?(K)
絵に命を吹き込むのは、画家の(愛しいものを描きたいという)善への意思に流入する者達だ。ガハクの絵が変わった。優しいその一コマは見るものを拒まない。
ここに描かれた物語は、実際にあった出来事に主題を取ったものではあるけれど、もう過去のものではなくなった。今そこで起きていることのように新鮮なのは、彼らが絵の中に住み、そこで動き始めたということなのかな?(K)
大きな石を立てたまま(最終セッティングの状態)で彫っている。横から、斜め下から、ハンマーを振り下ろす(振り上げる)。機械を使わないからゆっくりだ。一皮剥いては、もう一皮、だんだん形が引き締まって行く。どうしてなのか、いつも裏側の方が形が柔らかくて優雅に見える。何にも気にしてないからだな。人に見られることのないところに自由がある。(K)
「いっしょに登ろうか」とガハクに誘われて二人で山散歩に出かけた。雨はずっと同じ調子で降り続いている。ときどき蝉が目の前をぴゅーんと横切る。枝っきれを振り回しながら歩いているのは、蜘蛛の巣を払っているのだ。
ペダルを漕ぐのに比べたら、全然楽だ。ハアハアするくらいに早足にしてみたが、やっぱり自転車の方がキツいな。三日前にガハクは、この山道を林道の入り口からてっぺんまで、一度も足を付かずに登り切ったそうだ。凄い体力だ。
去年の今頃にガハクは病院通いから解放され『終診』となった。今は体重61kg。筋肉に包まれた脚や腕は丸くて逞しい。もう角材のように四角い骨が浮き立っていた形はどこにもない。
山道を降りながら、今日宅配でガハク号のサドルが届くのを思い出した途端、家に向かって駆け出した。還って来た人の足は軽やかだ♪(K)
いつの間にか、この子ずいぶんやんちゃになったなあ。うーうー、きゃんきゃん。この二人の間に、怒り、疑い、試しが入り込む余地はない。
「人間、信頼関係だからさ」とは、私たちが困っていた時に助けてくれた人の言葉だ。その逆は「裏切らないでね」という言葉だろう。割って入って盗んでいく者がよく使うセリフだ。
『告白』(町田康)。昨夜は時間切れになって、今朝、外が熱暑なのを言い訳にして最終章を一気に読み上げた。心の中の心、さらにもっと奥にあるその心の中の心の心というのがある。本当のことを言おうとして探って行くと何度もひっくり返る。
「みんな『純粋』を誤解しているんだよね」と言われたことを思い出した。あなたは純粋過ぎる、使い物にならないということで排除される。それでも壊れなかったものが最後の頼みだ。
「あなたたちには子供はできないと思いますよ」と言われたこともある。そう決まっているんだそうな。善と真理が一つになって初めて生まれるものがある。怯えを知らない怒りを持たない溢れる喜びと楽しさを体現している小さく可愛らしい生き物が絵の中に出て来た。(K)
今日は、左手が気持ちよく動いてくれた。休まずずっと彫り続けられた。この庭に仕事場を移して4ヶ月が経って、やっと解体作業の疲れが取れたようだ。
パワステではない私のフォークリフトのハンドル捌きには力が要る。重い石を持ち上げて、狭い場所でぐりぐりハンドルを切るのは、本当にキツかった。時には、右手も加勢しなきゃタイヤが回らないくらいに重かった。
腕を持ち上げてポパイのようなポーズをしては、腕を下ろす動作を繰り返していたら、関節のハマりがしっかりして来た。だんだん左腕が強くなったように感じる。それでも左右差はずっとあるだろう。左は右に永久に追い付かないけれど、右のやることをずっと支え続ける為には、頭を使わなくちゃ、工夫しなくちゃ。
振り下ろすハンマーがノミの真芯に当たる。いつもそこだけは、ピカピカだ。ハンマーの方も、ピカピカだ。(K)