やがて医師が入って来て死亡を確認する。午前4時ちょうどと言う事だった。
看護師に部屋から追い出され暫くして呼ばれて入った。やっぱり眠っている。名前を呼んでみたが相変わらず返事はない。君は死んじゃったんだってね。
Kyokoの転院が終わった。
大学病院の集中治療室を出て距離がさらに遠くなる病院に移った。今までの大学病院に比べれば建物も小さいし古い。病室も廊下も狭く待合室も広くはない。地域病院というのはこういうものだろうかという感じ。
でも印象は悪くない。転院先の条件が厳しく紹介された二つのうちでここしか選びようがないという事情の割には幸運だと思えた。あの大病院の広さと冷たさ、よそよそしさには閉口し始めていたし、むしろ小さくても人が見えるような気がする方が心強い。最初の紹介段階で会った院長の話しぶり看護師の人柄も気に入っていたのだ。
今日改めて場所を変えて寝かされているKyokoを見て顔つきの穏やかさに安堵した。今度の入院中で一番美しかったのが嬉しかった。歯はもっと綺麗になると言うしマッサージも髪も切ってくれると言う。頼もしい。
ただ病状に関しては厳しい事を言われた。覚悟をする為の時間に余裕はなさそうだ。病院を出て駐車場から彼女が寝かされているであろう病室の窓を両手でハンドルを持ったまま見つめていた。これがあの人との最後の面会になったのかもしれない覚悟をしなければと。
病院から帰る途中で車を公園に停め行動食のサンドイッチを食べ散歩した。桜は未だ満開には遠い。強い風が吹く中を人のまばらな広場や川のほとりを歩いた。
季節は移り人も変化する。何かが始まれば何かが終わる。何かが終われば何かが始まる。それを悲しいと思うか嬉しいと思うか。それは感じ方考え方でしかないのか。Kとガハクは今どこにいるのだろうか。
ガハク
この季節を恐れていた。やって来るのが怖かった。とにかく時間が過ぎるのが怖かったのだ。寒い冬のまま時間が凍結してくれた方がいいと思っていたから。
でも否応なく気温が上がり暖かい季節がやって来た。春。暖かい風が吹き強い日差しが来る。どうした事か怖いものがやって来たというのに心のどこかにワクワクするようなものを感じる。何かが新しく始まっているのだという気さえする。
今まで感じたことのない春がやって来た。ガハク
いつも時間に追われた気忙しない毎日が続いている。というのは錯覚で実は多くの時間があるのにその殆どが無為な過ごされ方をしているという思いがあるからそんな気がしているだけなのだろう。
少しずつ現実の状況に合わせて動かざるを得ないという事実に抗っている自分がいる。現実の過酷さと時間という鈍く重い凶器のような圧力。苦い悔恨の持つ鋭い痛苦。そういうもの全てに全体で抗っている。
悲しみこそが永遠の友であり続けるだろう。それだけが今を生き抜く為の武器であるとしか思えない。
Kとガハク
久しぶりにエヴァの木をしげしげと見た。あの時以来いつもちらと視線を向けはしても余り注意せずに通り過ぎた。光が強くなって来たせいもあるのだろう。木がくっきりと浮かび上がる。上へと伸びる力強さとその肌合いも冬を抜けつつあるこの日に復活したかのようだ。この木をエヴァと名づけ左の木をアダムと名づけたのもKとガハクの象徴として感じたからだった。しかしそれをKyokoに伝えたことはない。
悲哀が心の底に鉛でできた錘のように据えられて体全体から蠢くような勢いが出てこない。どうしたらこの苦しい状態から抜け出すことができるか。
悲哀を乗り越えるのではなく解消しようとするのでもなく悲哀を現実のものとして共に生きる。通奏低音のように常に聞こえている空間の中で。それでしか生きていくことはできないのじゃないか。そんな風にしか今は考えられないでいる。
Kとガハク
ようやく昼間にも絵が描けるようになった。
絵の前に立つ事はできるようにはなったが、筆をとっても絵具を画布に載せるという所まで行くのに時間がかかった。今までそんな事は一度もなかったように思う。意味も理由も分からなかった。どうして絵を描かねばならないのかと自問した。この歳でおかしな事だ。
夜なら描けるようになり先日遂に昼間から絵具を練ったり画布に向かって何かをする時間が増えた。しかし『妻の肖像』この主題なら描けるとは思ったが、本当に体の奥から突き上げて来るような衝動を元に描くという所までは行っていない。空虚だ。
元々そんな衝動や情熱が自分にあっただろうか。何を以て絵を描いてこれたのだろうか。そんな疑問が湧く。
画面の上で何かをすればその結果何か問題が発生し解決しようと作業が続く。疲れたらおしまい。今はそうやって時間を使う事。描くという事をするしかないらしい。そうやって描いているうちに絵の方が教えてくれるに違いない。(ガハク)
なんと今年最初の絵具練りだ。もう二月ではないか。通常なら三日に一度くらいは色を練ってもおかしくないが去年の暮れに起きた衝撃で絵を描く気力が湧かなくなってしまっていた。少しずつ描いてはいても去年までのストックで十分だった。その絵具もとうとう無くなり今日は二つの色を練ることにした。特に気力が出て来たわけでもないが以前の制作のペースが戻って来るならそれに越したことはない。
練りながら考えていた。2年前の今日、重症肺炎で90パーセントの死亡率を宣告された時、明け方の光が差し込む待合室の窓から空を見上げていたKyokoの心境はどうだったのだろう?当時のブログを見ると「その時静かに覚悟が広がって行った」と書いてある。
その後の僕は奇跡の様に回復できたので当時の彼女の「覚悟」がどういうものだったのかよく確かめずに来てしまった。立場が逆になり今は病室で眠っている彼女の状況を考えた時その「覚悟」がどいうものか知りたい。相手の死の予感を前にしての「覚悟」。(ガハク)