Kとガハクのアトリエ日記
2025年1月3日金曜日
生きる意欲
2024年12月31日火曜日
ちょうど3年になるんだね。
Kがいなくなったのはもう少し後(5月)になるわけだけど晦日の山散歩で倒れてから彼女との会話も連絡も交流というものが全くなくなった時からすれば。
受け容れる事ができたのかどうか、そんなことはよくわからないがずっと書く気になれなかったブログを急に書こうと思い立ったのは歳の瀬で何か感傷的になってるだけじゃない気もする。
日々の生活がすっかり変わり、ほぼ毎日が労働者のような暮らしにも慣れた。こういうのも悪くない。今まで一番自分には合ってる気さえする。確実に貰える給金であんなに苦労した画材もまあまあ買える。多少高価だとしても新しい道具だって買える。最近ではメゾチント用のベルソーというのを購入したしオイルスティックというのも試しに買ってみた。
それからこの夏には新しいギターも買った。毎日触っている。絵を描かない日はあっても(たくさんある)ギターを弾かない日はほとんどない。
今日は朝から映画をずっと見ていた。前観たやつでも気に入ったのは何回でも観る。最近の発見は『マルホランド・ドライブ』ってやつ。絵も筋も面白いし女優さんが素晴らしい。
気づいたらしい。何を支えに生きていったらいいのかに。
(画)
2023年8月22日火曜日
Kのその後
やがて医師が入って来て死亡を確認する。午前4時ちょうどと言う事だった。
看護師に部屋から追い出され暫くして呼ばれて入った。やっぱり眠っている。名前を呼んでみたが相変わらず返事はない。君は死んじゃったんだってね。
2022年3月29日火曜日
季節は移り人は変化する
Kyokoの転院が終わった。
大学病院の集中治療室を出て距離がさらに遠くなる病院に移った。今までの大学病院に比べれば建物も小さいし古い。病室も廊下も狭く待合室も広くはない。地域病院というのはこういうものだろうかという感じ。
でも印象は悪くない。転院先の条件が厳しく紹介された二つのうちでここしか選びようがないという事情の割には幸運だと思えた。あの大病院の広さと冷たさ、よそよそしさには閉口し始めていたし、むしろ小さくても人が見えるような気がする方が心強い。最初の紹介段階で会った院長の話しぶり看護師の人柄も気に入っていたのだ。
今日改めて場所を変えて寝かされているKyokoを見て顔つきの穏やかさに安堵した。今度の入院中で一番美しかったのが嬉しかった。歯はもっと綺麗になると言うしマッサージも髪も切ってくれると言う。頼もしい。
ただ病状に関しては厳しい事を言われた。覚悟をする為の時間に余裕はなさそうだ。病院を出て駐車場から彼女が寝かされているであろう病室の窓を両手でハンドルを持ったまま見つめていた。これがあの人との最後の面会になったのかもしれない覚悟をしなければと。
病院から帰る途中で車を公園に停め行動食のサンドイッチを食べ散歩した。桜は未だ満開には遠い。強い風が吹く中を人のまばらな広場や川のほとりを歩いた。
季節は移り人も変化する。何かが始まれば何かが終わる。何かが終われば何かが始まる。それを悲しいと思うか嬉しいと思うか。それは感じ方考え方でしかないのか。Kとガハクは今どこにいるのだろうか。
ガハク
2022年3月19日土曜日
一年目の春
この季節を恐れていた。やって来るのが怖かった。とにかく時間が過ぎるのが怖かったのだ。寒い冬のまま時間が凍結してくれた方がいいと思っていたから。
でも否応なく気温が上がり暖かい季節がやって来た。春。暖かい風が吹き強い日差しが来る。どうした事か怖いものがやって来たというのに心のどこかにワクワクするようなものを感じる。何かが新しく始まっているのだという気さえする。
今まで感じたことのない春がやって来た。ガハク
2022年2月23日水曜日
新しい出会い
いつも時間に追われた気忙しない毎日が続いている。というのは錯覚で実は多くの時間があるのにその殆どが無為な過ごされ方をしているという思いがあるからそんな気がしているだけなのだろう。
少しずつ現実の状況に合わせて動かざるを得ないという事実に抗っている自分がいる。現実の過酷さと時間という鈍く重い凶器のような圧力。苦い悔恨の持つ鋭い痛苦。そういうもの全てに全体で抗っている。
悲しみこそが永遠の友であり続けるだろう。それだけが今を生き抜く為の武器であるとしか思えない。
Kとガハク
2022年2月18日金曜日
エヴァの木
久しぶりにエヴァの木をしげしげと見た。あの時以来いつもちらと視線を向けはしても余り注意せずに通り過ぎた。光が強くなって来たせいもあるのだろう。木がくっきりと浮かび上がる。上へと伸びる力強さとその肌合いも冬を抜けつつあるこの日に復活したかのようだ。この木をエヴァと名づけ左の木をアダムと名づけたのもKとガハクの象徴として感じたからだった。しかしそれをKyokoに伝えたことはない。
悲哀が心の底に鉛でできた錘のように据えられて体全体から蠢くような勢いが出てこない。どうしたらこの苦しい状態から抜け出すことができるか。
悲哀を乗り越えるのではなく解消しようとするのでもなく悲哀を現実のものとして共に生きる。通奏低音のように常に聞こえている空間の中で。それでしか生きていくことはできないのじゃないか。そんな風にしか今は考えられないでいる。
Kとガハク
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