2020年10月28日水曜日

えくぼ

 朝食を食べながら、しげしげとガハクの顔を見つめていたら、皺の中にえくぼがあるのに気が付いた。若かった頃は無かったように思う。痩せていたからかな?

ガハクの体重は61kgになった。私より10kgも重い。身長は13cm高いから、ちょうどいい感じだ。長い間ずっと数kgの差しかなかったのが、今は見るからにしっかりしている。

今日は弁当を作った。大根の葉っぱを刻んで炒めて胡麻と鰹節入れたのをふりかけたご飯、そして卵焼きだ。私はアトリエに持って出かけた。ガハクは家で弁当を食べて、さらに3時にラーメンを作って食べたそうな。

石の顔にもえくぼを彫ってみたら、まわりに影響が出て、瞼や口元や鼻梁もいじる羽目になった。表情が変わると、視線が動く。それに合わせて、瞳孔の暗がりをもっと深くしなくちゃならない。細いヤスリの先で少しずつほじっている。

顔に皺を彫ることも怖れなくなった。老いたガハクの顔に浮かんだえくぼのおかげだ。(K)



2020年10月27日火曜日

夜も尚明るい森

ガハクがこういう澄んだ絵を描くようになったのは最近のことだと思っていたけれど、これは数年前に描いたものだというので驚いた。繊細な枝先を描いていたのは覚えている。あれが、こんな風に仕上がっていたとは知らなかった。

下の方に人がいるのに気が付いて、あれは白い人?と聞いたら、「漁る人」だと言う。そうか、もう白い人は出ないと言っていたものね。僕らの中にいるからって。

「僕が見たものが本当だとしたら、『死』というものはないんだよ」というのが、ガハク生還後の最も重要な発言だ。でも、この絵の中にすでにあるじゃないか!(K)



2020年10月26日月曜日

森が生まれる

トワンといっしょに自転車で駆け下りたこの辺りも 木漏れ日が美しい森になった。

この辺りは鉱山跡で、ゴロゴロの石ころとボサボサの雑草に覆われただけの殺風景な荒地だったのだけど、いつの間にかこんなに木が増えた。勝手に伸びて来たこの木々は、小鳥と風と動物が運んで来た種から芽吹いたのだろう。私たちが見ているたった37年の間でさえ、こんなに風景が変わるのだ。森はゆっくりと、毎日刻々と、確実に作られて行く。

昨日からガハクは薪拾いを始めた。山の中の所々に集めておいて、紐で結えて運び下ろす。足腰が丈夫になったのを実感しながら山を降りているそうだ。11月になったら、早起きしてアトリエに行こう。朝は薪ストーブを焼べよう。(K)



2020年10月25日日曜日

飛翔と跳躍

翼を動かすのは肩甲骨辺りの筋肉だ。雛鳥は肩を上げたり下げたりして、飛ぶ準備をいつもしている。人間の子らも放っておくと走り出す。じっとしていられない、ついやってしまうというのが、意欲と好奇心の正体だ。

ガハクは、山でやっている素振りに『飛び込み面』を導入した。坂道を登りながらやるのだから、かなりキツくてヘロヘロになる。それでも毎日やっていると、だんだん跳べるようになって踏み込む距離も伸びて来た。子供の頃からの得意技が戻って来た。

彫刻の後ろ髪を 苦心しながら彫っている。善と真理がより合わさって 背後を守っている。(K)



2020年10月24日土曜日

霊視

この絵は大きい。100号もある。『白い幡』が空中にひらめいていたのだが、さっき画室を覗いたら無くなっていた。ガハクは、「消しちゃった。また描くかもしれないけど、描かなくてもいいかな」と言う。彼女だけにしか見えなかったものなら、描かなくてもいいのかもしれない。

お使いの帰りに白い布が空を飛んで行くのを見た女の子は、急いで家に向かって走っている。なにか不気味な怖い気がしたからだ。次の日に、布が飛んで行った方にある家の人が亡くなったと聞いて、自分が昨夕に見たものがその兆しだったことを知る。

この話は、ガハクの親友で画友だった人の母上から直に聞いた話だ。親子ほど年が離れたその彼女が話す東北訛りのある声が、今も心に響いている。山で亡くなった親友のことを語り合いながら、秩父の札所巡りをした。自分たちの父母を案内しているような、親孝行をしているような、そんな満足までいただきながら。宿に着くと、父上はすぐにカウンターで宿泊代を私たちの分まで払ってしまう。だから親孝行というより、甘えさせてもらうばかりだった。

ガハクが描いている赤い着物を着た女の子がどんなに美しい心を持った女性であるかは、彼女の夫であり親友の父でもあった人との絆を見せられて来た私達には、よく分かるんだ。

ある時ガハクがその二人に向かって、「彼が山で死んだからご両親にお会いできた」と言ったので私は慌てふためいた。黙って聞いてくださった。

とても超えられそうもない苦しい体験、忘れようとしても消えない記憶がある。それをそのまま持ち堪えて生き続けることは、亡くなった人への愛なんだ。(K)



2020年10月23日金曜日

線が形を蘇らせる

線が引けなきゃ何も始まらない。絵を描くにも線だ。彫刻はマッスだと教わっても来たが、ここまで来ると、やっぱりしっかりした線が刻めるかどうかにかかって来る。

髪の毛の後ろの方まで線を彫り始めた。 雨の音に寂しい気持ちにさせられたが、彫り出してみたらいつものようにだんだん集中して来た。石を彫っている時は、悪い霊がいなくなる。それだけこの仕事は過酷だということだ。ゴロゴロ寝転んで楽して自己実現したいと言うのが悪霊たちの望みなのだから、こんな寂しいアトリエでコツコツ石を叩く音だけ聞いていると、退屈でだんだん眠くなってしまうのだろう。

悪霊が去ると、入れ替わるように「いくらでもお付き合いしますよ」的な善良な霊たちが傍に来る。すると、じわっと楽しい気持ちが湧いて来て、いつまでも彫っていたい気持ちになる。

夕方になって雲間から赤い光がさして、谷間から霧が湧き上がった。車検が終わったばかりのぴかぴかのバンに乗って走り出したら、月が雲の上で光っている場所を見つけた。カーブを曲がる度に現れる月の舟を見上げながらハンドルを握った。(K)



2020年10月22日木曜日

鞍掛豆を食べるのは誰?

鞍掛豆の選別で撥ねられた分を山の食卓に置いて来たガハク、これはその証拠写真だそうな。誰が食べてくれるだろうか?小鳥が真っ先に見つけるかな?リスもいるし。

そういうことを考えながら毎日同じ山道を登るのは楽しいだろう。目的があるわけじゃない。餌付けするつもりもない。でも思い付いたのだから何かあるのだろう。心が動く時、そのモチベーションの元へと辿ると、鹿の足跡だったり、小鳥の声とか、リスの姿、梢が揺れてひんやりした風が吹いて冬の気配を感じたからとか。きっと何かコンタクトしたいものがあるのだ。

何もない時は、ポケットにどんぐりを入れて行くこともあるガハクである。(K)



2020年10月21日水曜日

妻の肖像

『どこまでも行こう 道は険しくとも 口笛を吹きながら 歩いて行こう』という歌のことを思い出して、私たちもこれで行こうということになった。そして「いつか大陸に行ってみたいな」とガハクが言い出した。この国ではどこまでもという訳にはいかないんじゃないかと、狭過ぎるんじゃないかと言うのだ。目的地を決めない終わりのない旅とは、永遠のことだろう。

アガノ村の小さな谷で絵を描いているガハクは、自在に時間や空間を遡ったり移動したりしている。私から話を聞いただけなのに、子供の頃のお洒落な髪留めまで描いている。母の友人がアメリカで買って来たものだ。クリーム色と空色の二つ。蝶々の形をしていたというところまでは話していなかったな。

これから妻の肖像をどんどん描いて行くそうだ。(K)



2020年10月20日火曜日

髪の毛に挑戦

髪の膨らみを石に彫るのは難しい。一旦は磨いてみたのだけれど、ぬるっとして凹凸が消えてしまったので、再度チャレンジしている。 気持ちを強く持たないと、仕上げていくにつれてだんだん弱くなってしまうのだ。宝石みたいに輝いてどんなに立派で高価に見えても、それはもう芸術じゃないだろう。ただの置物、死んだ顔だ。

弟子たちや石工達がたくさんいたミケランジェロの工房ならば、髪の彫り方の形式があっただろうし、画期的なウェーブを思い付いたら早速誰かが彫り込んでもいただろう。

トンボが秋の終わりを楽しむようにアトリエ前の野原を滑空していた。蜘蛛の巣にかからぬように上手に飛んでいる。皆んな何とか生きている。私もずっと彫り続けている。ガハクがこの画像を見て「こんなにいっぱいあればいいけどねえ」って言い置いてシャワーに向かった。筋トレをしていたらしくハアハアしていた。健やかな精神は健やかな肉体に宿るというのは本当のことです。(K)



2020年10月19日月曜日

中庭の空

「僕にはあんたとトワンがいたからね」
人は何を支えに生きているのだろう?待ってくれている人がいるから生きて帰って来れるのだ。トワンと待っているからねと言った私の言葉を ガハクはあの混乱の中でどうも覚えているらしいのだ。

酒やタバコを少しでも減らして、その人の大事な仕事や生活を安寧に長く続けて欲しいと願うことはいけないことだろうか?そのことで病に倒れたと思えば、もっと口煩く言えばよかったと思う。しかしそれはすぐそばにいる人だけに出来ることだ。私だったら、嫌われてもいいから四六時中見張っているだろう。その人の本当にやりたいことが見えているからだ。やり遂げられるようにしてあげたいと思う。

ガハクと膵炎や肝炎や糖尿病について話し合った。なんて複雑で苦しい病気だろう。考えるだけで、じわじわと締め付けられるような気持ちになる。それでもガハクが一言「きっと良くなるよ。まだ若いんだしさ」と言ったから、一気に寛いだ。過剰な心配より、その言葉を信じている方がよい。祈りだ。

中庭から見上げた空が美しい秋風の色だった。松を切り過ぎたようだ。でもまた元気になるだろう。(K)



2020年10月18日日曜日

地獄の花

二階の画室を覗いたら、昨日引っ張り出した古い絵のひとつに加筆している最中だった。こういう絵も描いていたのか、、、すっかり忘れていた。すぐにブロッケン山を思い出した。

この絵のタイトルは何?と聞いたら、「赤い花」だと言う。続けて、「ここにいる二人は地獄の花を見せてもらっているんだよ」と、馬の背を指差す。ぼんやりと白く見える姿は、まだ子供のようだ。

デジカメのレンズを向けて、写してもいいかと尋ねたら、ぜんぜん構わないと言う。ガハクは他人に見せる為に描いていないから、こういう途中の状態でも気にしないのだろう。どっちかと言うと、放って置かれたい人なのだ。自意識から解放された芸術家は自由で強い。悪霊が寄り付かない。(K)



2020年10月17日土曜日

ガハクの目

ガハクの目は今までで一番澄んでいる。なんとかそういう目を彫刻に表現したいと、目ばかりをここ数日いじっている。瞼の影と眼球の光がきれいなハーモニーを作り出せば、明るく澄んだ眼差しが出て来るはずだ。彫っている途中で、ギロッと睨んだような目になる時がある。でもそこで怯んじゃダメなんだ。そういう時ほど、ほんの少し先に綺麗な形が待っている。砥石を当てたら、視線が和らいだ。

今日ガハクは古い絵を幾つか引っ張り出して、また描き始めたそうな。「けっこういい絵があったぞ」と喜んでいる。以前は一つの方向へ向かって修練させねばならないと思っていたけれど、今はいろんなことを絵の中でやってみたいと思うようになったそうだ。9割の致死率から生還した人はやっぱり面白いことを言うし、何をやっても楽しそうだ。(K) 



 

2020年10月16日金曜日

大きな目のシュゾク

 大きな目をした人たちが夢に出て来てガハクに話しかけた。まっすぐ強く見つめて来たあの目のことは、何年経っても忘れようもないだろう。夢の中で起きたことは、現実にも起きる。

山を歩いていると、突然ぴゅーっと近くで鹿が鳴く。ガハクが驚いて飛び退くと、鹿も慌てて斜面を駆け登る。その時の鹿の目は、命そのものを生きていて何も考えていないような、澄んだ大きな目をしていたはずだ。

言葉を弄して語るほど目は汚れていく。反語を繰り返すうちに宙ぶらりんになって不確かなことしか言えなくなる。天にも地にも触れることのない幽霊の足。だから子供は目をじっと見る。大人の目を覗き込む。この人を信頼していいかどうかを知る為に。

大きな目のシュゾクは真実を見つめる目を持っている人々のことだ。(K)



2020年10月15日木曜日

絵が動く時

ウィリアム・ブレイク の『ヨブ記』は22枚の銅版画で構成されているが、その最後の刷りには楽器を手に持って弾いている人たちが描かれている。それまでは楽器は大きな木の幹にぶら下げられて、単なる飾りに過ぎないものとして忘れられたように背景になっていたのだった。破滅と絶望と落胆の嵐が過ぎて、人も小鳥も歌い始めたという絵だ。

今日はガハクは、ずっと描きかけのまま放っておいた小さな絵に久しぶりに筆を入れた。緑の女が動き出した。" Alfonsina y el mar " の楽譜が広げたままになっている。ガハクが昼間弾いたようだ。動き出すキッカケは、あたたかく明るい光が差し込んで来たからだった。(K)



2020年10月14日水曜日

鳥のような無個性な顔

鳥の顔に個性はないが、どの小鳥も可愛らしい。小鳥のように美しく端正で隙のない形にしたいと思いながら、砥石とサンドペーパーとヤスリを駆使しながらこの子の顔をいじっていた。すると、だんだん無機的だった目に生気が宿ったように感じた。こんなに小さな顔だと、少し影が強くなるだけで表情が変わる。ペーパーで擦っただけで柔らかな頬になる。絵のようだ。こういうことをずっとやっていてもいいんだなと思えた。すると焦りが消えて、またこの先のことを希望を持って見渡せる。この続きを楽しみに思うと道も見えて来る。ガハクの顔の砥石の当て方を工夫してみよう。石の中にある色は一色じゃないのだから。艶と色だけじゃなくて、濃さと深さが出せたらなあ。これから長期戦になるはずの地道な作戦を考えている。(K)



2020年10月13日火曜日

再び楽器を弾く

今朝、ガハクが山に散歩に出かけている間に 久しぶりにバイオリンを引っ張り出して弾いた。4本の弦はすっかり緩み、黒檀の顎当てがカビで白くなっていた。マーエダさんが家に来て『アルフォンシーナと海』を優しく小さく変わった不思議な音で弾いてみせてくれた後、「いい楽器ですね。大事にしてください」と言いながら、私の手に戻してくれたあの時から 一度も弾いていなかったのだ。明日がコンサートという前夜に、初めてお会いした。すごく寒そうだった。それにとても疲れた様子だった。車でホテルまで送って別れてから、車の中でも家に帰ってからも心配でガハクとずっと話していてなかなか眠れなかった。でもコンサートは素晴らしかったようで、皆が称賛していた。

ギターに積もっていた埃をきれいに拭いてからガハクに渡したら、弾き始めたのは『禁じられた遊び』だった。肺炎で倒れる2週間前に弾いて以来、ずっと壁に立て掛けられたままになっていたギターが、やっと音を出した。あんなに面白がって毎日弾いていたのに、ずっと弾くこともできずに、そのうち弾こうとも思わなくなってしまっていたのだった。それが今日突然弾く気になったのは何でだろう?朝から晴れたからだろうか?

いや、そうじゃない。昨夜そう心に決めて、ガハクの前で口に出したからだ。
「今日からバイオリンを弾く!」と。声に出すと動き出すんだ。

ガハクは「Kが弾けと言うから弾いたんだよ」と言う。(K)



2020年10月12日月曜日

銀色の羽

 12時過ぎにアトリエに着いた。自転車を壁に立て掛けドアに近づいたら、足元に一枚の羽が落ちているのに気が付いた。軒下の真ん中で、ちょうど雲間から出て来た太陽に照らされてキラッと光っている。何の羽だろう?鳩にしては少し大き過ぎるから、アオサギかもしれない。

すぐに、映画『ノスタルジア』の中の一場面が浮かんだ。(主人公の詩人が僧院の周りに広がる野原を歩いていると、空から一枚の白い羽が降ってくる。拾い上げて辺りを見回すと、遠くに翼をつけた天使がいて、ゆっくり小屋の中に消えた。頭痛でもするのか、男は頭に手を当て、何かが鎮まるのを待っている)暗示的なプロローグのシーンだ。でもその小屋は、最後のシーンに再び出てくるんだ。

二人の人間が全く同じ夢を見るということがあるだろうか?狂信者と詩人は夢を共有した。

そんなことを考えながら羽を拾い、少し夢見心地でアトリエの鍵を開け、大理石像の間を歩き、机の引き出しから白いコピー用紙を出して、その上に羽を置いた。いつものように筋トレから始めて、ガハク像の胸を砥石で磨き、それから犬も彫った。羽を拾った時だけ晴れていて、後はずっと曇り空の1日。暗くなる直前の17時に帰宅。自転車では昼間しか走らないことにしたんだ。(K)



2020年10月11日日曜日

鹿の通り道

これは鹿が齧った痕だ。根方に置いてある栗が身を寄せ合っているように見えるのが、なんか可愛いいな。まだ食べられていないということは、鹿がここを通らなかったということだ。また別の場所に置いてみたりするのかな?

ガハクが山散歩から帰って来てから、すぐに紅茶を入れ、バームクーヘンを添えて、そのまま2時間半ずっとモニターを凝視していた。今朝届いたばかりのDVD『ノスタルジア』を観たのだ。かなり集中したらしい。今夜は二人とも頭の中にぎっしり詰まっているものがある。いいものに出会うと無言の会話がいつまでも続いていて、心が弾んで賑やかなんだ。(K)



2020年10月10日土曜日

新しい青

絵具メーカーも考えていて、次々に新しい色を出しているそうだ。ちょっと軽かったり、ハデだったりする。ガハクは最近そんな新しい色も取り寄せて使ってみている。「今まで使ったことのない色が画面にひとつ入るだけで、周りに影響が及ぶんだよ」と言っているから、きっとこの青がそうだろう。「空にも塗ってあるよ」と言う。そうでしょう、変な空だもん、すぐに分かったよ。

調和、説得、魅了というような目的で描いていないから。かと言って、個性、自我、克己ということでもない。「病気くらいした方がいいよ」と言う今のガハクには、はっきり見えているものがあるようだ。(K)



2020年10月9日金曜日

フンコロガシのモチベーション

 朝から冷たい雨が降っていた。雨の日も散歩に出るようになったガハクは、林道の入り口に置いてある木刀代わりの枝は持たずに、傘をさして登っていく。

なんで毎日登るのかと言うと、大股で歩くとか、急ぎ足で歩くとか、いろんな工夫をしているうちにだんだん体力が付いて来て面白くなったからだ。それに加えて、動物たちが残した痕跡を読み取れるようになったことも大きい。

鹿の溜め糞も見つけた。それをフンコロガシが2匹で協力して運んでいるのも観察したガハク、「なだらかな場所まで運んだら、あとは任せたよという風に1匹は他の方に向かう。仕事の段取りを考えているみたいだ」という。フンで穴を塞いでいるようだが、何のためにやっているのか、ほんとに必要な仕事なのか、それにしてもあまりにも勤勉過ぎる。次の日には鹿のフンがすっかり無くなっているそうだ。

好きでやっていることが活動なんだな。モチベーションこそ生命力だ。(K)



2020年10月8日木曜日

すこやかな胸

 今朝のガハクの顔色が素晴らしくて、角度を変えて何度も眺めた。ステロイドの投薬が終わって3ヶ月経って、やっと爪の段差(闘病中に伸びた爪は色も悪くて、指先を使わないから内側に折れ込んでいたのだった)が無くなって、足首に残っていた浮腫もほぼ消えた。

アメリカ大統領のトランプ氏が薬の影響で躁状態なのだそうだが、確かに薬の影響が消えるまでずいぶん長いことかかるのだ。元に戻ることができれば御の字だと思っていたが、ガハクの場合は前よりも良くなった。胃弱が治った。胸が厚くなった。髪の毛が生え揃って来た。オーバーホールしたということだな。

でも一番大きなことは、絵を描くことが生活の真ん中に据えられたことだ。喜びを持ってやれるようになったことだ。

だから彫刻も、すこやかな新しい胸に作り変えることにした。痩せっぽちの貧弱な胸はあたたかな曲面に包まれて白く発光するようにと、砥石の番数を前に戻した。形も変えた。顔も研ぎ直している。あたたかな優しい人が生まれるように。(K)



2020年10月7日水曜日

鹿の足跡

雨上がりの山道にくっきりと残った足跡は、偶蹄類特有の二つに分かれた爪の形をしている。鹿に間違いない。夜は草むらで寝転んで眠るのだろうか?そう思って見渡せば、草がぺたんこになって丸く押し潰されている場所が所々に残っているそうな。

山の樹木の影や草むらからひょっこり頭を出して、ガハクが山道を登って来るのを見つめている目がある。無数の動物たちの目だ。小鳥たちの小さな目だ。

死んだトワンの姿を求めて歩いていた人は、今はせっせと落ちている栗を拾い集めては山道に並べている。「食べてくれたかなあ?」と楽しみにして毎朝山に出発する。今朝は庭の小林檎を3個ポケットに入れて出かけた。

悲しみは楽しみになり、喜びを生む。不思議だなあ。まるっきり反対にある情動と行動のように思えるけれど、トワンも鹿も鳥もみんな一つの大きな目だ。優しい人を知っている。(K)



2020年10月6日火曜日

水辺に佇むトワン

 10時になってガハクが二階から下りて来た。もう夜の部終了だ。朝早く起きるには、夕飯を早く食べることだと分かった。お腹が減るから自然と起きちゃうのだ。明るい昼間に活動していると、いろんなことが起きる。小鳥の声が1日の始まりで、虫の声で今日が終わる。Tシャツから出ている腕が日に焼けている。この夏は昼間に自転車で行き来しているから、やっぱりいつもより日焼けしたのだ。でっかい白菜が育っているのも、よく世話をしているからだな。

大きな画面のあっちこっちを行き来しながら今日もガハクは忙しかったようだ。どこが変わったのだろうと夜の画室に入ってじっと見つめていると、森の中の草がざわざわと動き出しているのが見えて来た。トワンはそのままだ。いつもの位置でずっと佇んでいるけれど、周りの草も木もどんどんおしゃべりになっている。水が動き出した。黒い淵に魚影が見える。あれは蛇のようだけど、藤蔦だ。ぐるぐる巻き付いて木を苦しめるけれど、春には薄紫の花で山を香らせる。何が何のためにあるのやら、ただじっと見つめているトワンがいちばん愛おしい。(K)



2020年10月5日月曜日

受粉の朝

 長カボチャの花が開こうとしている。これは雌花だ。もう軸のところが少し膨らんでいる。

人工授粉というのをやってみた。雄花を2輪ほどちぎって手に持ち、雌花を探して葉っぱを掻き分けながら進んだ。でも、やっと見つけた雌花はすでに萎んでいたり、実が黄色くなって腐っていたりしていて、タイミングよく受粉させるのはなかなか難しいようだった。で、すぐにやめて、虫に任せることにした。

この花は明日開くだろう。黄色の羽をしたテントウムシたちが、花から花へと飛び回って、花びらをむしゃむしゃ食べている。きっとあの子らが、この花の受粉をやってくれるはずだ。

蜘蛛の糸が秋の日差しにキラキラ光っている。小さな虫がときどきピタッと飛ぶのを止める。蜘蛛の巣にかかったのだ。長い棒を持って来て、ぜんぶ払い落としてしまおうかと思ったが、それも止めた。

自転車で走っていたら、目の前の路上に小さな蛇が這いずっていた。タイヤで踏めば一発で死んじゃうだろうと思ったけれど、大きく避けて通過。みんな何かを食べて生きているんだ。無事に過ごせよ、なんとか生き抜けよ、という気持ちだ。(K)




2020年10月4日日曜日

磨くほど鋭く強く

 毎日このガハク像に砥石を当てることから始めている。磨くことで変化する石の色を見ながらやっているので、わざと砥石の400番のままにしてある所と、600番まで磨き上げた場所があるのだけれど、違いが分かるだろうか?例えば袴の帯は高い番数で磨いてある。今日は手を磨いたので、まだ水で濡れている。石は濡れると色が濃くなる。結晶の内部の色が透き通って見えるからだ。

顔はもう一度引き締めなくちゃいけない。砥石とノミとヤスリのぜんぶ使って。そのうち見えてくるだろう。ガハクの胸は今はもうこんなじゃない。筋肉でふっくら盛り上がっていて、安定の60kgだ。(K)



2020年10月3日土曜日

観天望気

 空を読むことを観天望気という。
空は三つの層に分かれていて、絹雲、高層雲、積雲と、そこに流れて来る雲や湧き立つ雲の色も形も速度もはっきり違う。それはまるで天界の階層のようだ。

キャンバスの上の方を鳥がいっぱい飛んでいて、「カラスだろうか?」と聞いたら、ガハクは笑っているばかりで答えてくれない。シルエットだから何とでも言えるし、見る方の勝手でいいんだろう。この木にもこれから小鳥が留まるはずだ。

地上に無造作に佇んでいる人たちは、映画『ノスタルジア』(タルコフスキー)のようじゃないか。あの人たちは皆んなこっちを向いて、何を見ているのだろう?映画もそうだけど、Mの家族だってそうだ。人は執着している情念から解放された時、風景を直接目に焼き付ける。(K)



2020年10月2日金曜日

山の食卓

 山道に食べかけのアケビが転がっているのを見つけたガハク、さらにアケビを拾い集めて石の上に並べておいたんだそうな。次の日どうなっているか見にいったら、跡形もなくぜんぶ無くなっていた。

誰が食べたか分からないけれど、この山の動物には違いない。すっかり面白くなって、今朝は家の近くで拾っておいた小さな山栗をポケットに入れ、庭のヤマボウシの赤い実も持って山に出かけた。石の上に5個ずつ並べてある。山の学校の算数の時間みたいだ。

栗は何個あるでしょう?
赤いヤマボウシも足してください。
そう、15+2=17 ですね。
他にはアケビ、クルミ、黄色の実。

「明日どうなっているだろう?」と、ガハク前夜から楽しみにしている。(K)



2020年10月1日木曜日

鮮やかに蘇る

 思い切って彫れるよりも、無駄に彫ることがなくなったのがいい。たとえ彫り過ぎてもそれは形を研ぎ澄ますキッカケになる。見えた時だけ彫っている。分かる所にノミを当てている。

「なんでお前はそんなに可愛いの?」とトワンの足を洗いながらよくガハクは呟いていたっけ。今日がトワンの誕生日だった。こうやって彫って行けば益々強く立ち上がって来て、やがてその謎は解けるだろう。(K)



2020年9月30日水曜日

チカラシバ

 灯火のように燃えているこの草は、力芝(チカラシバ)と言うのか。今知った。草刈りする時になかなか切れなくて、何度も何度も鎌を振る手強い草だ。こんな風に優しく撮ってもらって、可愛いじゃないか。見る人がいて救われる。でも目立ち過ぎると絶滅する。それでも逞しい者は生き残る。

朝の太陽は眩しくて緑の斜面がまだらになる。冬になったら太陽をよく浴びよう。1日に一回は家の中に風を入れよう。今から気合を入れている。(K)



2020年9月29日火曜日

100メートルの飛翔

「Kと毎日同じ高さまで上がるのを 意識してやっているんだ」とガハクは言う。

 ここがガハクの山散歩の終点だ。退院して間もない頃は、いろんなルートを歩いていたが、今はここに決めたようだ。その理由の一つに、私の彫刻のアトリエの標高がここと同じだということがある。

雨が降っていなければ、MTBに跨ってアトリエに出かける。家からさらに山奥に向かって、6km走る間に100m高くなる。勾配がキツいのは途中の2箇所で、あとはほとんど気にならない。すっかり慣れてしまった。

子供の頃よく空を飛ぶ夢を見たが、羽も翼も無くて、ただ両手をパタパタ必死に動かしていた。地上から数メートル、せいぜい屋根の高さだった。数年前に、ビルを乗り越えるほど高く飛んでいる夢を見たのが最後。

ガハクも飛ぶ夢を子供の頃に見ていたそうだ。今は二人とも自分の足で飛んでいる。(K)



2020年9月28日月曜日

操り人形

人形は実在するが、操っているのはどうも後ろに立っている男のようだ。でも足が無いから、幽霊かもしれない。 人形は歌手の真似をして歌っているように見えるが、声を出しているのは後ろに立っている男。どっちが主役だろう?やっぱり操っている方かな。

でもそんなことより、歌手の歌を聴こうじゃないか。

でも今の世の中、そういうようなことがあちこちで起こっている。オリジナルは軽んじられ、上手に真似をした器用で軽くて剽軽な者たちが受け入れられ持てはやされる。これはこの国の特徴だろうか。自分のところまで降りて来てくれなきゃ引きずり下ろしてまで付き合わせるという気質があるからなあ。それに付き合わなければ、「俺の酒が飲めねえのか」と怒り出す始末。

ガハクの脚の浮腫みが消えて来て、いよいよ完全回復だ。言動も冴えて来た。今日は久しぶりの快晴だったので、昼間はずっと窓を開け放していた。須く風通しを旨とすべし。冬を前に、体力を付けている。遂にガハク60.3kgになった。(K)



2020年9月27日日曜日

回廊を彫る

ついに背中の辺りもくり抜いた。向こう側から光が差し込むと、天窓が開いたようにパッと明るくなる。彫刻の醍醐味を味わうのは、こんな時だ。やっとここまで彫れるようになった。よく切れる道具があっても、それを使える腕がなければ脚が折れてしまう。だから今までくり抜けなかったのだ。行き止まりの奥まった白い穴の中では、光が乱反射するばかりで、フォルムも輪郭もぼんやりして見えなくなってしまうのだが、光が差込んで回り込むと影が遊び出す。脚の間は回廊のようだ。回転台をクルクル回して、しばらく喜んで眺めていた。

雨が上がるのを待っていたら、帰りはすっかり暗くなってしまった。今夜はペダルを踏む脚に力が入って気持ちが良かった。心が軽いんだな。(K)



2020年9月26日土曜日

草の露を払いながら進む

ここら辺りまで来ると、もう素振りはしない。道はないし、足元は凸凹だし、頭上は木に覆われて木刀が枝に引っかかるからだ。草の露を払い落としながら進む。そうしないと、ゴム長を履いていてもズボンの膝から腰までびっしょり濡れてしまう。ときどき蜘蛛の巣を払ったりもする。ネバついた糸が顔にべったり張り付くと、不愉快だからだ。

「ちょうどこの辺りだよね。トワンがいなくなったのは」とガハクが言う。あの時は深い雪に覆われた山の斜面を猪を追いかけて、しかもそれからミゾレが降り続いて、臭いが消えて、帰って来れなくなったのだった。必死に探した。5日目の夕刻、山向こうの村でトワンと遭遇した時の喜びは忘れない。車に乗せて二人と1匹で眺めた山の上の星々の美しさも。あれからトワンは獣と出食わしても、二度と深追いしなくなった。失敗は繰り返さない。

獣道とガハクの踏み跡が重なって、新しい道が作られて行く。(K)



2020年9月25日金曜日

空の方舟

今日不思議なことがあったんだよ!
雨の中、アトリエの屋根に上って煙突の先端部の改良に取り組んでいた時だった。「こんにちは〜っ」と明るい声がかかったので下を見ると、こっちを見上げて満面の笑みを浮かべている人がいる。風が変わった。こういうのは突然来るんだ。全く予期しない時に。

ガハクが庭のモミジの木に上っていた時と同じだ。いつも無愛想で挨拶もしてくれない爺さんが自分の方から「ご苦労さん」と声をかけて来たので、木から落っこちそうになったくらい驚いたと言っていた。こういうことが起こるのは、力関係とか情勢とか何かが動いたからだろうけど、こっちはいつものようにやっているだけなので何の用意もない。気の利いた受け答えもできないままただ風に吹かれている。

方舟はいつでも乗り込めるように用意されている。あの山の上まで今朝もガハクは登った。傘をさしていたから今日の素振りはお休みにして、草の水滴を払い落とすのに棒を横に振りながら歩いたそうな。台風は東の海上をゆっくり遠ざかって行ったようだ。雨は細かな粒で降り続いている。(K)






2020年9月24日木曜日

超自然のパン

今朝 私が練って、ガハクが焼いたパンだ。形も味も色も安定して焼けるようになった。このペースがいいみたい。ガハクが生還してからずっとこのペースでやっている。

朝はご飯を炊いている。で、お昼はサンドイッチとふりかけ弁当。夜は冷やご飯で、おかずをしっかり作っている。ガハクの体重が遂に60kgに届いた。初めて見る数字だ。ぶかぶかだったズボンがちょうど良くなった。骨がコツンと当たったお尻や腰にしっかり肉が付いている。

ほっそりした体型は個性だと思っていた。子供じゃないのだから、お腹が減ったら自分で何か冷蔵庫から出して食べればいいとも思っていた。食欲がないということがあっても気にしていなかった。日々の食べ物が何よりの薬ということを身を持って知った。病気になれば薬を飲めばいいくらいに簡単に考えていたけれど、こんなに大きな影響を及ぼしているなんて。

ガハクの体は倒れてからひと月で32kgまで落ちた。 それからリハビリして、少しずつ体を鍛えながら作って来た。無くなったものを一つ一つ作り直すのは、感動的だ。ストレッチの効果がすぐに出た。普通なら何年もかかるはずなのに、数ヶ月で体が柔軟になって行った。無からの出発は、邪魔をするものがないので、体の反応が素直なのだ。

目の前にいる人が日々元気に蘇って行くのを喜びを持って眺めている。(K)



2020年9月23日水曜日

朝霧に包まれた山

今日から心を入れ替えると宣言した10日前、ガハクに「心を入れ替えるって、どういうことだろうね」と聞かれて、「自分の中にある執着や習慣や思惑の良くないと思えるものをすっかり外に出して空っぽにすること。そこへ、新しいこと、やりたいこと、大事にしたいことを一つずつ入れて行く」と答えた。

砕石山のサイレンは毎朝8時に鳴るのだが、それよりずっと前からゴロゴロガタガタと砕石を運ぶベルトコンベアの音が響いている。でも、何時から動いているのか30年以上もここに住んでいて考えたことはなかった。まだ布団の中だったからか、意識したことはなかったんだ。それが昨日と今日でぴっちり7時13分に動き始めることに気が付いた。おそらく担当の作業員が7時に機械を点検して、作動するのはその時刻になるのだろう。

まだ山が静かなうちにガハクは散歩に出た。素振りは回数が増えて250回。最初の50回は大きくゆっくりと振る。次の100回は歩くのに合わせて振り、最後の100回は鋭い振りに合わせて速く歩くのだそうな。

山の上はすっぽり霧に包まれていた。(K)




2020年9月22日火曜日

小さな翼の飛翔力

鍛え直したノミはよく切れて、とても彫れないと思って諦めていた場所にノミ先が届いた。ヤスリが当たらないえぐれた凹面のキズも、平ノミを使って舐めるようにそっと叩いて削り落とした。

なんだ、やれば出来るじゃん!という感じ。

最後に胸に張り付いていた翼を引き離して小さくした。この方がずっと力強い。飛翔力が上がったのだ。(K)



2020年9月21日月曜日

白い樹

 「今日はずっと樹を描いていた。この絵のテーマは樹だね。方舟でもなくMの家族でもなくて」とガハクが言う。すぐにどの樹のことか分かった。退院してから最初に筆を入れたのがこの樹だった。白をいっぱい混ぜた色でぐいぐい1日ですっかり塗り替えたのだった。

命はどこから湧いて来るのか、死にかけた人が何にすがって生の方へ戻って来れたのか。ガハクの体に何度も奇跡が起こった。木は枝を切り落とされてもまた蘇る。虫に喰われたり病気になったり嵐で倒れたりしても 根こそぎ抜かれない限り、生き返る。

「死は解決にならないんだよ。僕が見たそのままだったら、生きているうちに解決できなかったことは、死んだらもっとややこしくて酷いことになる」と言う。混濁した意識の中で見たものを 今もはっきり覚えているガハクである。(K)



2020年9月20日日曜日

心を入れ替えて1週間

朝から雨だったので車でアトリエに来た。中に入るとタールの臭いがしたが、煙突から水は漏れていなかった。 先日屋根に上って煙突の傾きを直した効果がさっそく実証された。

雨トイの傾斜も直したのを思い出して傘をさして裏に回ると、静かに流れていて、どこからも滴は垂れていなかった。

気温19度じゃもう冷房を使うことはあるまいと、窓用エアコンを嵌め込むときに切り抜いたベニヤ板をアルミテープで縁取りし、エアコンの裏側を塞いだ。これから雨や木枯し、雪が舞うこともあるからね。

トワンの目を彫る為によく切れるノミが欲しくなったので、午後から鍛冶仕事をした。新聞紙にマッチで火をつけ、木切れに火が移った頃合いを見て送風。バーッと炎が上がる。そこにコークスを載せると灼熱の炉になるんだ。今がまさにその瞬間だ。4種の形のノミ33本が出来上がった。(K)



2020年9月19日土曜日

上空が金色

この辺りの山の上空が、透き通った金色に染まっているのを見た。昨日の夕方のことだ。たまたま街に買い出しに行った帰りに 高架の坂を上り切った瞬間、「わっ!」と叫んだほどそれは美しかった。沈みかかった太陽の光が、空一面の雲に遮られ、山と雲とのわずかな空間で激しく輝いていたのだ。

今朝は二人とも早起き。ガハクの山散歩は何と7時台!霧と雨の中間くらいの小さな水滴がときどき顔に当たる。森は少し秋の色になって来た。(K)



2020年9月18日金曜日

トワン再び

 心を入れ替えることにして、今日で5日目。今朝は9時半にアトリエに着いた。昨日入り口付近の草を抜いておいたので、さっぱりとした軒下の地面に愛車のMTBを置き、ヘルメットを外しながら畑の見回り。動物の侵入した形跡無し。いつもと違う行動様式を取ると何かしら緊張感と恐怖があるものだが、今日は全く無かった。死のイメージ、滅びの感傷、嫉妬の呪いが及ばないところに辿り着いた時に、やっと夜が明けた。(K)






2020年9月17日木曜日

赤くて大きな鳥が飛び立つ

赤い鳥というとアカショウビンを思い出すが、この鳥はかなり大きい。
「水から飛び立とうとしている姿にしたいのだけれど、なかなか上手く描けないから、滝を描くことにした」というガハク。激しく落ちる水しぶきが水面を揺さぶっているところに及んでは、さらに難しくなってしまって困っているらしい。次々と問題が湧き上がって来る。生きている絵とはそういうもんだ。

でも、遂に水が動き出した。風を描くより難しいだろう。みんなが知っているようで、実は知らない世界だもの。写真を見ながら描いている人が絵描きと呼ばれるコピー時代。そのコピーのネタ元だって判然としなくなって、お互いが「あいつは俺の真似をしている」と言い合っている。

ずっと昔からそうだった訳じゃない。中世の経済のシステムが解き明かされて来たという話を聞いた。あの頃はまだ虚業が無くて、実際に必要な食糧や物の生産力が上がって来た時代なのだそうな。世の中が豊かになった時に余剰が文化を生むを信じて来たのは、間違いだった。その後の時代の経済は欲望と一体となり要らない物が必要なものに思わせられるという奇妙な感情を植え付けられた。だから、目までとろ〜んと溶けちゃって、どうしましょう。意識の革命を笑う人ばかり。(K)


2020年9月16日水曜日

踏み台の改造

何度も作り替えられて来た踏み台に、また新しい板が貼り付けられた。途中の段が33ミリ高くなって、トントンとリズム良く上り下り出来るようになったと、本人大満足である。

私なら我慢してそのまま使い続けるだろう。気にいるまでやる人の作ったものは、考え方や美意識の歴史が読み取られて面白い。この板だって「ちょうどいいのがあった」と、物置から引っ張り出して来たまな板用の板なのだ。

でもガハクが感動していたのは、鋸がスイスイ引けたこと。ずいぶん腕の力が付いている。ところで、塗装はするのかな?(K)


2020年9月15日火曜日

オリーブ畑のような

ときどき雲間から薄日がさす爽やかな朝だった。玄関を開けたらサワガニが1匹待っていた。指で突いても動かないので死んでいるのかと思ったら、朝陽を浴びてぼんやりしていただけだった。慌てる様子もなく、ゆっくりと地面に降りて歩き出した。

山の中は、今日も小鳥の群れで賑やかだったそうだ。頭の上を行き交う鳥たちの声に包まれて歩いていると、蝉の声が聞こえない。夏が終わったことを知る。

ゴロゴロと石だらけだった鉱山跡が、今はこんなに緑に覆われている。ここはオリーブ畑のあるあの丘だと言われたら、あゝそうだと思うだろう。光の具合がいいのは、梢が優しいからだ。善き意思あるところに流入ありだ。(K)


2020年9月14日月曜日

生きて行く為の戦略

今夜は肉ジャガにした。食べた後に体重計に乗ったガハクが、「わっ!」と叫んだ。なんと、59.5kgもある。結婚して以来こんな数字は見たことがなかったので、近寄って自分の目で確かめた。秤が壊れていないか私も乗ってみたが、本当だった。

人工呼吸器と薬の注入で助けられたガハクが、今は日々の食べ物と運動でじりじりと力を付けている。腰の周りをパンパン叩いて見せながら、「ほら、こんなにガッチリして来たよ」と嬉しそうだ。贅肉ではない、確かに筋肉だ。
生きて行く為の戦略に大事なものが抜けていたのを知った。今それを実行している。ガハクの生還が、ゼロからの出発を教えてくれた。

胸と顔に#600の砥石をかけている。キズがあれば、また元に戻って研ぎ直しては、また進む。瞼のような繊細な場所は、砥石を荒砥で尖らせてから使う。ガハク像も逞しくなって来た。(K)


2020年9月13日日曜日

新しい筆

「筆買っていい?」と聞かれて、「いいよ」と答えたのが4日前。昨日届いた。今回は、豚毛の6〜10号のを9本で、六千円ちょっとだった。また大きな絵を描けるだろうかと言っていたガハクが、退院して半年の間に筆を2回も注文している。

昨夜覗いた時は地面だけがクリーム色だったが、今夜は空にまでクリーム色が広がっていた。「少し青を残しておこうと思ってさ」と空を見上げたガハク。山の上にくっきりと方舟の白い屋根が見える。40日間降り続く雨に耐えられるようにと油引きされた帆布が、朝陽に照らされて光っている。

今朝のガハクの山散歩は、小鳥の声でたいそう賑やかで煩いくらいだったそうだ。梢からリス飛び出して来たり、すぐ近くで鹿が鳴いたりと、皆が森の中に大集合したみたいだったという。(K)


トワン以降

 太陽が斜めに傾くと、月の軌道は反対にだんだん高くなる。こういうことを実感を持って知ったのは、この谷に住んでからだ。冬の満月がなんと優しく鮮やかに冷たく凍った森を照らし出すことか。冬の乏しい日差しを補うのには十分すぎる美しさだ。白い人を見たのが真冬の真夜中だったのは、清潔なあの青く澄んだ気体が必要だったのだろう。光が無くなることはない。

アトリエに毎日トワンを連れて通っていたことを思い出した。あの頃は寂しかったんだな、独りで誰にも見られずに過ごすことが。トワンでさえ、一年経ってもう子犬じゃなくなった頃、車に乗るのを拒んだくらいだ。「この家にずっといたい!」という意思表示をしたので、犬でさえアトリエの殺伐とした空間を感じるのかとガックリしたものだ。それからはトワンとガハクはいつも一緒にいるようになった。私が逞しくなったのもその頃からだ。

トワンが死んでからはもっと変わった。邪念が湧いてくるのは仕方ないとしても、車の運転時や自転車で夜道を走っている時は危ないので、トワンを呼ぶ。今夜も嫌なことを思い出したので、「トワン!助けて」と口に出して、ハンドルを握り直した。すぐに暗い想いは消えた。こういうことを『トワン以降』とガハクが命名。想念が何でできているかで、その人の意識が住む場所が決まる。ガハクが還って来てくれてから、全てが鮮やかに立ち上がって来た。(K)



2020年9月11日金曜日

リュウノヒゲ

今年は苺があまり採れなかったのは、春先から雨が多くて日照不足だったせいもあるけれど、リュウノヒゲが密生していて苺を圧迫しているからだ。今日は朝から一大決心をして一本残らず引っこ抜く覚悟で庭に出た。蚊取り線香を腰からぶら下げて、モミジの根の周辺から取り掛かった。

リュウノヒゲは一度根を張ったら増えこそすれ、決して絶えることはない丈夫な草だ。良いことにも悪いことにも使われる。雨トイから流れ出る水を他所に向かわせる工作にリュウノヒゲで水路を作っている人を見て、感心もし、呆れたこともある。

トワンが子犬の頃、毎日アトリエに車に乗せて連れて行った。リュウノヒゲがびっしりと生えているのを見つけて、バサッと胴体着陸で飛び込んだ。草の波をかき分けて茶色の犬が泳いでいる。愉快な眺めだった。

アトリエの野原に除草剤が撒かれるようになってからは、リュウノヒゲはだいぶ無くなった。草が大嫌いな人がいるんだ。特にリュウノヒゲだけを狙って薬を振りかけて焼き殺しているらしい。そこだけ茶色になって枯れているからすぐ分かる。リュウノヒゲが枯れて地中に空洞ができちゃって、彫刻が倒れて壊れてしまったこともある。内心カッとなって怒れたけれど、とぼけている本人に状況だけを伝えて、気持ちを抑えた。悪事はやった人に戻っていくのだ。

そんなリュウノヒゲをすっかり綺麗に取り除いた後、ドラム缶に野菜クズを放り込んで作った堆肥を苺の苗に撒いて回った。来年の春こそ、大きくて甘い苺をいっぱい摘もう。(K)


2020年9月10日木曜日

寄り添う

トワンの胴体を細くしたら、却って2匹は近づいたように見えた。溶け合うことより分離だ。距離というものは数字じゃない。狭い場所を彫り切れれば、あとはそこから一気に冒険が始まる。それが彫刻だったんだ。(K)


2020年9月9日水曜日

生まれ変わるということ

トワンが描き直されていた。
「舌を出しているように描こうと思ってさ」ぺろっと口元からピンク色が覗いている可愛い姿がもう目に浮かぶ。いい絵というのは、仕上がる前から想像力を刺激する。線や色面で塗り分けられたかっこいい絵が描けても、愛する者が描けなければ寂しいじゃないかと。だから、せいぜい若いうちから売り出そうなんて姑息なことを考えるよりも、愛しいものを見つめて画布に納める技術くらいは身につけておきなさいとパリの有名画商の『絵画教室』という本に書いあるそうな。ガハクの蔵書で、私は読んだことはないけれど、挿絵も面白くて実践的で現場感があって、絵描きの心を見抜いていながらリスペクトがある。いちばん素敵なのは、絵を見る目を持っているということだ。もう現実は絶望的でつまらない話が多い世の中だから、トワンがまた一層可愛くなって出て来ると思うと、楽しくなる。意識が変わらなければ、何度描き直しても同じものか、それ以下のものしか出て来ない。だから意識の革命が先行するんだ。そのもっと手前に、変わろう、変わりたいという想いがなければ無理だろう。(K)


よく見られている記事