2021年6月5日土曜日

大きな絵と小さな絵

 ガハクが生還して75日ぶりにキャンバスの前に立って絵筆を動かしたのが、ちょうど一年前。その時に最初に取り掛かったのは、後ろにある150号のキャンバスだ。

よくもまあ病後のひ弱な体で、踏み台に乗るのもやっとの体力で(実際に一度は段を踏み外して転んでもいる)大きな絵から始めたねえと言うと、
「大きな絵に頼ったんだね」と、意外な言葉が返って来た。

大きな絵だと、思いつくままどこか一部分を描いていても、やがてそれが繋がってだんだん出来上がって行く。それが小さな絵になると、集中力が要るという。意識を研ぎ澄ますには、あの時はまだエネルギーが足りなかったんだそうだ。コツコツ、とぼとぼ、ジリジリと進む時もあれば、カーッと燃えるように駆け抜ける時もある。

今夜は小さな絵を描いていた。この赤い木は何を表象しているのだろう?(K)



アルミブランケット

 難民支援団体から届いた封書に入っていたアルミブランケット。窮乏する人々に思いを寄せて欲しいからだと書いてあったが、義援金は送らずに、小さく折り畳まれたキラキラ光るハンカチくらいの袋を本棚の隅に突っ込んで、もう何年もそのままになっていた。

今日は朝から雨だし風もある、、、そうだ!あれを使ってみようと思い立った。広げると、バスタオル2枚分の大きさになった。軽くて風が吹くとパリパリッと軽やかな音がする。キラキラ反射しているけれど、空が少し透けて見える。太陽光を完全に遮断するわけじゃないようだ。こんなペラペラのもので体を包んで、果たして寒さが防げるだろうか?などと思いながら、石を彫り始めた。

「おい、雨の日は休め!」とよく石彫の先生に言われたもんだ。酒を買って来て石彫室で早々と宴会を始める先輩たちもいて、仕方がないので道具を片付けて付き合ったりしていた。やりたい時がやれる時なんだ。若い頃は、人間付き合いには苦労した。

夕方部屋に入ると、「いい音出してたね」とガハクに言われた。今日から思い付いた形を思い切って彫り始めたからだろう。それがノミ音に出るんだな。(K)





2021年6月4日金曜日

朱文金(しゅぶんきん)

 午後もだいぶ遅くなって、やっと朱文金3匹がやって来た。水温が同じになるまでビニール袋ごと水槽に浮かべていると、珍しそうにビニール越しに先住者が近づく。水を少しずつ入れて水合わせを1時間かけてやった。

ガハクがそっと水に入れると、スッと指の間から滑り出て、ゆっくり泳ぎ出した。

何も知らずに買ったけれど、この金魚はヒブナと和金の交配種でずいぶん大きくなるらしい。長生きすると最大30cmになるそうだ。驚いている。どうしましょ、、、と昔の私だったら先のことを考えて新たな悩みを抱え込むのだけれど、そんなことになったら楽しいじゃん。

改めて金魚たちの種類や特徴を調べている。おたまと呼んでいたのは、リュウキンだと分かった。出目金はそんなに大きくならないそうだ。だからいつまでもぴょこぴょこ泳いで可愛いのか。やってみて、しくじって、後から学んでいる。

それにしてもガハクの手の色、血色のいいこと!これが1番の喜びだ。(K)



2021年6月2日水曜日

水が合う

水が合うと、金魚は自然に泳ぎ出す。あっちに行ったりこっちに来たり、ぐるっとUターンしたかと思うと底を突っついている。皆仲が良さそうに見える。

気が合うと、人は勝手に喋り出す。聞いてくれると思うからどんどん言葉が浮かぶんだ。話題を考える必要もない。何でもいいんだ。好きな人の声を聞いているだけで楽しい。だから生き物にとって環境を整えることが、最重要課題なんだな。

金魚用の5色の石の粒の砂利を取り寄せた。届いてすぐに水底に敷いてやった。pHが良くなるらしい。見た目も綺麗だけれど、金魚たちも喜んでいるようだ。
「金魚を見ていると飽きないねえ。何でだろうねえ。ずっと見ていられる」とガハクが言う。

泳ぐ人の周りに花がいっぱい咲いている。水が澄んでいるということは、何も無いということじゃないんだな。水の中に充満した香りや味が楽しさと喜びになって、透き通って偏在している。(K)



森の穴

ガハクが撮って来たこの写真、長閑に浮かんでいる白い雲を狙ったそうだけど、雲の方が森の穴からこっちを覗いているようにしか見えないなあ。変な頭だもん。

ガハクが少年の頃、まだ幼かった甥っ子たちとかくれんぼして遊んでやった時のことだ。先に見つけたと言うガハクに対して、「お兄ちゃんから見えてたのなら、僕からだって見えていたはずだ」と抗議して来た。「頭のいい子だなあと感心したよ」と話してくれた。彼は成人してロッカーをやって、漫画のストーリーを書いたりして、休みは釣り船に乗って海の魚を獲るのが趣味と聞いている。今はどうしているか知らない。

見ている者は同時に見られてもいるのだと、イタロ・カルビーノが書いていた。あれは、小説の主人公がステージの上で役者として演じている時の意識についてだったな。客席の人々の目も持つと言うそれって、自意識とどこが違うのだろう?

こっちから見えなくても誰かに見られているという気持ちが、山の中ではときどき起こる。

夕方自転車を押しながら山道を登っていたら、突然近くでぴゅーっと鋭い声が上がった。すぐに私も強そうな声で、グァッと叫び返した。たぶん、いつもの鹿だ。(K)



2021年6月1日火曜日

眠りの花

ガハクが使うこの金色に見える黄色が好きだ。

今が昼なのか夜なのか分からない。常に明るい場所というのがあるそうだ。燃える花が空に浮かんでいる。輝く光に包まれて、花の中で眠っている人がいる。全てを照らしながら、焼き尽くすことだって出来るのに、そうはしないあの花のことを何と呼ぶ?

人工呼吸器装着から数日後、自分で管を引っこ抜き「キョウコに会わせてください」と言ったガハク。最後に伝えたかったことがあったのだけど忘れたと、覚えていないと言う。眠りの中で見たことや、聞いた言葉は、この世に滅多に運ばれては来ない。(K)


 

2021年5月31日月曜日

夏至まであと3週間

雲が切れると太陽がカーッと照りつける。

西陽の方向に広い布を垂らした。麦わら帽子も被った。ハンマーを大きく振ると、帽子のツバに当たってバサッと音がする。あまりに邪魔なようだったら、ピンで留めよう。ずっと以前、屋外で石を彫っていた頃は、麦わら帽子の片側だけ糸で縫い付けていたんだ、テンガロンハットみたいに。

日曜日も石を彫れるようになった。まわりの風景に音が溶け込んでいく感じが掴めたから、安心して彫っている。

今日は、赤いホーローのマグカップに紅茶をなみなみと注ぎ、すぐ近くに置いて彫り始めた。だけど、すぐに飲み干して無くなってしまった。夏至まであと3週間だものね。(K)



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