2019年1月12日土曜日

青く澄んだ眼差し

トワンのあの青く澄んだ瞳を思い出しながら、今夜は『天界のゆめ』を彫った。瞳を浅くしたら穏やかになった。唇に触れていた妖精の手は削り取った。流れに任せて思うままに彫れれば、スッと楽に仕上がるだろう。苦しまないようにやること!努力はよくない。霊感がないところに努力ありだ。

すっかり暗くなった畑をライトで照らして、猿よけネットの支柱を外す作業をした。雪が降るという予報が出たからだ。キャベツやサヤエンドウやレタスの苗の上には、棒を渡して雪とネットで押しつぶされないように養生もした。あと2ヶ月したら、ジャガイモを植える季節がやって来る。トワン、ママがんばるからねっ♡(K)


天才

アトリエで手にとった本をパラリと開いたらドラクロアの章だった。美術史に燦然と輝く星はしかし日に1回の食事しか消化できないほど体が弱かった、制作意欲の旺盛さと持ち前の強い精神力で65歳まで生きたと書いてあった。書いたのはハーバードリードという人。
でもすごい才能だよね。ゴヤと並んで尊敬する画家の一人だ。
そこにボードレールからの引用が載っていた。
「懐疑主義と慇懃とダンディズムと熱情と狡猾と専制主義そして最後に天才に常に伴うある種の親切さと適度な優しさ、これらのものの奇妙な混合物。多くの天才と同様に主な仕事の一つは自分の天才を蔽いかくすこと」
こういうのってどこかで頭にすり込まれてるのかな?僕もそんな風に見える人を天才と感じているのは確かだ。

彼らの足元にトカゲを描いてみた。(画)

2019年1月11日金曜日

純粋な動機

軽やかに踊るように歩く足が理想だ。あっちに行こうと思う時、一々考えたり躊躇したり文句を言ったりしない足は美しい。行きたいから動くのであって、行きたいところがあるから動くわけじゃない。結果が予想され成功が約束されないと動かない足は汚い。

トワンは毎夕ガハクに丁寧に足を洗ってもらっていたのだけれど、すーっと爪の先まで伸びた足はほんとうに綺麗だったなあ。 素直な性質がそのまま足の形に現れていた。生まれた時から変わらないもの、純粋な動機こそバイタリティーの源泉だ。(K)


2019年1月10日木曜日

動き

子供が走り出し犬が後脚で立つ、というところまで描いて放っておいた。昨日絵を見て無駄に暗いし硬すぎる感じがした。色を明るくしようとしたが上手くいかない。犬が元気には飛び跳ねているようにして走る子供の動きを大きくしてみたが、それでも「暗い」感じは改善しない。動きを徐々に少なくして最後は静かに歩く二人、犬も始めの頃のような佇む姿にした。
シモーヌヴェーユの言う「動きのない演劇こそ最高の劇だ」という言葉を思い出しながら。(画)

2019年1月9日水曜日

顔が彫れる日

創世記に「イブと蛇の間に敵意を置く」とあるけれど、女の中に憎しみが植え付けられたわけではなくて、敵意という意識そのものを自分から引き剥がして見つめることが可能だということなんだ。

貼り付こうとする悪意に気が付いたら、ひょいと避ける。そこらに転がっている敵意に対しては、ぴょんと跳び越える。そういう軽さを身に付けたいから、毎日欠かさずフットワーク斜め跳びをやっている。

トワンが死んでからここらの空気が軽くなったように思う。人間が好きになった。トワンのようになりたい。トワンのように死にたい。

この人の顔が彫れる日はたまにしかないのだが、今夜は久しぶりにできた。(K)


2019年1月8日火曜日

風景と関わる

山に入ると薪になりそうな倒木を探す。彫刻のアトリエで使うストーブの燃料集めの仕事だ。
最初の頃は杉の木の刈り取られた下枝を集めたものだが、今はもう少し太い木を見つけるようにしている。最近は枯れた雑木の小さめなやつを担いだり引きづったりして持ち帰ったりもする。今日はそれをやった。3本を紐で括ると荒れた山道を200mくらい引きづっても解けにくいと分かった。少し利口になった。
相変わらずトワンに声をかけたり予期せずひょっと現れたりしないかと思いながら歩いているには違いないが。

大気に声をかけたり、木に触ったり、道の石を転がしたり…。僕の使う色や線やタッチ。それはこういう感触そのものから出てくるはずなのだ。(画)


2019年1月7日月曜日

ケルビムの眼差し

渦巻く気流が後ろに回り込むように、
激流が穏やかな流れに変わるように、
水中の月が優しい光を放つようにと彫っている。

光が無ければぼんやりとした凹凸に過ぎない大理石レリーフに、こんなに沢山のことを彫り込んで喜んでいる。ずっと前にガハクに言われたことを思い出す。「もっと絵を描きなさいよ。絵を描けない彫刻家なんてダメだと思うよ」じっさいに描けない人が多いのだ。描くということは喜びを持って描けるということだ。美しいものに触れずにじっと見つめる集中した注意力を愛と呼ぼう。

今は毎晩石に絵を描いている。(K)


2019年1月6日日曜日

色彩の喜び

綺麗な色だけを使った美しい絵を見ることがある。羨ましい限りだ。あんな風に描けたらという思いが以前からずっとあるのだが一度も達成していない。濁った色の中に美しさがあるという発見が僕の色彩の始まりだから仕方がないとはいえ、そこに留まってしまえば終わりだ。
世界は美しい色彩に満ちている。まだそのことは完全に証明し尽くされているとは思えないし、画家はそれを証明しようとする人々のことを言うのだ。
自己の色の世界を発表するだけでは足りないぞ。(画)

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