2019年4月13日土曜日

子供のような人

この人の後ろと前がなかなか一致せずに苦労しながら彫っていたのだけれど、やっと後ろが良くなったので喜んでいる。でも、今度は前が遅れをとった。後ろ姿が美しい人の前に回って顔を見つめた時、あゝさもありなんという顔を彫りたいのだ。

昨日今日と、ずっとこの顔の彫り直しをしていた。二つの顔が接近しているので奥まった目に上手くノミが当たらない。ヤスリと平ノミを使ってじりじりと削り落として行く。時間はいくらでもあるんだ、ゆっくり進めば必ず到達できると思える時は焦りのない状態で、そういう時だけ顔が彫れる。

だんだん顔が離れ、頭の形が引き締まって来た。瞳の位置の修正が出来たら視線がピシッと合わさった。(K)


2019年4月12日金曜日

羊たちを従えて

気持ちのいい色を塗りたい。いい色は塗る時にもいい気持ちになれる色だと思う。
いい色というものは、パレット上で単独で決まるものではなく、絵の中での他の色との関係によって「いい色」にも「わるい色」にもなるのだ。そして同時に色は絵具であり、絵具という物質は顔料とオイルの性質だけでなく、塗る面、溶き油、筆などにも規定される。(さらに画家の感性と技術)その決定は多くの複雑な問題解決の果てにある。
それを阿呆みたいにごく単純にそして感覚的に「塗っていて気持ちのいい色」であればいいんじゃないかと。
羊たちはスウェーデンボルグにどこまでも付き従っていくだけでいいんだから。 (画)


2019年4月11日木曜日

4月に初雪

一年半前スタッドレスタイヤを新しくしたのに、それからぜんぜん雪が降らなくて。あんなに慌てて買うことはなかったなあと思っていたのだが、ついに今日雪が降った。満開の桃の花にも、トワンの石の上にも白い綿帽子が載っている。

アトリエに着いて、すぐに畑のネットの雪下ろしを始めた。積雪わずか5センチだけど、ネットの弛みに集まった雪の塊はずっしりと重い。中に入って両手で押しのけようとしても動かない。雨合羽のフードを被った頭でぐんと下から押し上げておいて手の甲でゴンゴン叩いたら、網目を通ってバラバラと落ちて来た。最後に残った雪を畑の外にポ〜ンと払い除けて終了。

昨日今日と鹿のまわりを研いだ。くっきりと線が浮かび上がって綺麗だ。レリーフの仕上げの仕方も誰に習ったわけじゃない。線の美しさはウィリアムブレイクから。形の美しさは空の雲から。この鹿の歩みは毎日少しづづ進む彫刻のようだ。ゆっくりと静かに前に向かって振り向きもせず。(K)


2019年4月10日水曜日

カワガラス

今日山道でカワガラスに遭った。眼下の沢にその黒い姿を見つけた。村内を流れるここよりずっと大きな川では何度も見たことはあるのだが、こんなに水流の少ないほとんど涸沢としか言えないような谷に生息しているのを発見できたのは嬉しかった。飛び石伝いに跳ねまわり何かをついばんでいる。そして絶えず鳴いている。可愛い声で鳴いている。嬉しくなった。
あなたは鳥の声を理解したいと思いますかと、ピカソは絵の意味を尋ねられてそう答えたそうだ。芸術の意味を鳥の声に喩えたのだ。
一度も鳥が歌うように描けたことはないと言った古い友人がいた。自分にもそんな風に描いたことが一度でもあったかと問えば答えは同じかもしれない。あのマチスでさえいつも苦労すると言ったのだ。だからピカソだって怪しいものだ。鳥が歌うように絵を描く画家…。
人知れず流れの中を鳴きながら動き回り餌をついばみ又鳴く、カワガラスの小さな姿はとても愛らしかった。(画)


2019年4月9日火曜日

立ち位置

二人の間の空間が広がって来た。広がると彫りやすい。今夜やっと足元から腰まですっきりした線が出せた。ここまで来るのにだいぶかかったが、出来てみるとなんでもない。これが自然な姿だ。

自然に見える無理のない形は美しい。そこまで到達するまでに途中で幾つもの誘惑と道草があったけれど、また思い出して、忘れずにいた道を辿ることができた。僥倖である。(K)


2019年4月8日月曜日

新しいカメラ(続き)

画質がやっぱり全然違う。今の世の中写真を見て実際の絵を見たと錯覚してしまう事が多いのだから、カメラなんかと軽く見ていると痛いしっぺ返しを食うのは間違いない。特に今の画像技術は相当なものだから尚更だ。
カメラだけじゃなく写真加工ソフトの技術もあるし…
いいカメラだなあと色々マニュアルを見ながらいじっていたら、そうだ俺はカメラが大嫌いだったと思い出した。若い頃ブームに乗せられて高価なカメラやレンズを欲望していた時代の苦しさを思い出したのだった。
それにしても絵の色を出すのは難しい。要研究。 (画)


2019年4月7日日曜日

新しいカメラ

じっと我慢していたカメラをついに買った。使ってみて驚いた。こんなに精彩に撮れるのかと。大理石の滑らかさと透明感、小さな結晶の輝きや美しい陰影が出ている。

実物があるのだから写真が立派に撮れなくてもいいんだと言っていたガハクも、
「これはほんとのカメラだ!」と感心し喜んでいる。

悪いことも善いことに使われると言うのは本当だ。一年前のお金がないときにケチって買ったカメラがあったからこそ、今日の喜びがある。この新しいカメラの優れたところがとてもよく分かる。食べ物だってそうだ。作った人の愛と、食べる人の愛がなければ、そこには何も生まれない。(K)


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