2021年1月2日土曜日

千里の道六日目

ガハクに「最悪の事態を好機に変えたね」と言われた。ずっと苦しんでいたことからやっと飛び立つことが出来る。しかも向こうから決めてくれた。ぐずぐずしていたらそのうち船が沈んでしまって動けなくなるところだった。

工具類や道具をやっと片付け終わった。格納していた茶棚をふたつ分解して丸鋸で切断し、ストーブの脇まで運んだところで今日のノルマは達成。今月はまだ一人でやれるだろう。室内の棚の解体や、畑の杭抜き、猿よけネットの取り外し、鉄の杭は50cm以内にカット。そうしないとゴミに出せない。

何日もかけて作られたものも、数時間で破壊できる。何ヶ月もかかったアトリエも業者に頼めば数日で跡形もなく消してくれるだろう。だけど、ひとつずつ、それぞれのものは自分で作ったものがほとんどだから、ゆっくり考えながら思い出しながら壊している。立派な柱は取っておく。石の下に敷くバンコにも使えるし、フォークリフトの車庫とか、ふいご場には屋根がけをしよう。

日々太陽が高くなってゆく。今日は家の手前の坂を自転車で駆け上がっていたら、砕石工場のサイレンが鳴った。5時ジャストに門を通過。ガハクと約束した時間に帰れた。(K)




2021年1月1日金曜日

風の強い日

晦日の夜に吹いた風に吹き飛ばされた杉の枝が、山道に敷き詰められている。相当強かったようで、茶色の枝だけじゃなく緑の枝も混じっている。

ガハクの絵にも風が描いてある。どこかに吸い上げられそうな風だ。風の色はどうやって描くのだろう。上手いなあ。よく感じて観察しているからだなあ。犬がいる。ボールが転がっている。この家なら風が吹いても大丈夫だ。

 タルコフスキーも風を撮るのが上手かった。じっと待つのだろうか。大きく広く吹き抜ける風に波立つ草を克明に拾っている。『鏡』でも『サクリファイス』でも『ストーカー』でもそんな風が吹いていた。あれはこの世と地続きの霊界の風景だ。(K)



 

トワンの胸

 トワンの肩口には羽が生えたようにピンと立った毛並みの稜線があった。首から流れ落ちる毛と、肩から生えている毛がぶつかってそうなるのだ。

ふさふさの胸だったなあ。その形は、思い出そうとしなくても目の前に浮かんで来る。

覚えているものなんて、ほんの少しだ。そういう状態のときは手探りで進むしかなく、最後の仕上げは捏造になる。でも、愛しているものだったら最後まで彫れる。自ずと内側から現れて来るから、それをくっきりと彫ればいいだけだもの。そういうのが彫刻。(K)


 

2020年12月31日木曜日

『アンドレ・ルブリョフ』

 タルコフスキーの映画5本目にして、涙してしまった。しかも最後のシーンで。それまでは戦争や教会の因習に縛られた世界の重苦しい場面が続いていたので、目を覆うことはあっても、ハンカチは要らないと思っていたのにだ。報われない熱意、理解されない意欲、もっと言えば動機が違うと言うところが周囲には全く見えていないんだな。

人が他人のためにやることが社会を作っているわけだけれど、人が神のために動かされた時に何がそこから生まれるかは予想できないものなんだ。出来上がるまで待ってやらないと、途中で横道に逸れてしまう。中断したり立ち止まったり動けなくなったりしながらも、ずっと最初の動機が忘れられずにその人の中の意欲を動かし続けて行くものなのだ。

アンドレ・ルブリョフという画家が描いた壁面の絵が(そこだけ)カラーで映し出された。中世の率直な表現は線がシンプルで、生身の感情に満ちている。動物たちが可愛らしいのだ。トワンによく似ている馬や犬。「愛がなければどんなテーマだって描けやしない」と言うアンドレと同じ言葉をよくガハクからも聞いている。それは、描くことが愛することに等しい時代のイコンだった。(K)





2020年12月29日火曜日

千里の道の2歩目

今日も片付けから始めた。

棚の奥から石膏どりの時に使う麻の繊維のスタッフがどっさり出て来た。ネズミが寝床にしていた形跡があった。ふかふかして気持ちが良かったのだろう。変色しているところをクンクン嗅いでみたが、別に臭くはない、まだ使えそうだった。しばらく迷ったが、ストーブに放り込んだ。あれもこれも残しておいたって仕方がない。今までだって忘れてたじゃないか。これからも石を彫ることに邁進しよう。

夕暮れ近くになってやっと奥の部屋に戻った。ガハク像の髪に砥石をかけ、トワンの胸の辺りを彫った。こうやって毎日、半分は片付けと取り壊しに時間を割き、後半は仕事をする。これを建てた時もそうしたんだ。そうしないと魂が死んでしまうのを知っている。(K)



2020年12月28日月曜日

黒の存在

 昨日のことだ。ガハクが山の中を歩いていて、「黒を練ってみよう」と思い立ったという。そこだけ聞いたら、別に特別なことだとは思えなかったのだけど、その後に次々と湧き起こってくる絵の中の出来事を聞いていたら、黒の存在は大きいのだなあと納得した。

そもそも黒の顔料を真っ白の大理石板の上に広げ、オイルを少しずつ垂らしながら大理石のすり棒で練って行くこと自体が、横で見ていても気持ち良くない景色なんだ。実際にガハクは滅多に黒は練らない。それに、なるべく黒を使わずに描こうともして来た。この絵の黒猫だって黒は使ってないのだそうだ。

でもずっと若い頃は好んで使っていたという。グレートーンが綺麗な絵が彼の実家の鴨居にかけてあったのを思い出した。高校生の頃の絵だろう。

練り上げたばかりの黒を森のあちこちに使ってみたら、ぐいぐい絵が変わって行く。それが面白くて、「やっと良くなったよ」と喜んでいる。

山でふと思いついたことが大きな飛躍を生んだと言う話。
どこに何が転がっている分からんねえ〜(K)



2020年12月27日日曜日

微笑む犬

実際に地主さんに会って話をしたら、安心した。 36年もの長い付き合いだ。アトリエを建てさせてもらってここまでやれたのは珍しいことかもしれない。他じゃ、できなかったことだもの。地主さんも入院したのだそうだ。もう人生の先が見えて来たという感じかな。「お互い体に気をつけてやりましょう」と言われて、領収書を受け取った。早めに片付けが終われば、その分の地代は返してくださるそうだ。半年分払って来た。目標は、夏至!この家の庭と工房に理想の仕事場を作ろう。

今日はトワンの顔を彫った。犬だってちゃんと唇があるんだ。トワンの唇は、小さく薄くきれいな形だった。(K)



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