2022年1月8日土曜日

描く意味

描こうとするが力が出ない。なぜ自分は絵を描くのかなどと言うことを考えるのを止めたのもずっと以前のことだ。それなのにふと今そんなことを思いつく。おかしな現象だ。心が弱くなっているに違いない。強くあらねばと思うがアトリエに入って絵を眺めていても描く気力?が出ないから仕方がない。大人ってすぐ「しょうがない」て言うよね、と教室に通っていた子が言っていたのを思い出す。でも「しょうがない」。

描けない時は描かなくていいんだ。描かなきゃいけないなんてことは何もないんだから。自分の心に従って行動することが絶対の自由の意味なのだ。描けない時は描かなくてもいいんだ。

Kyokoだってきっと今そう言ってると思う。
(ガハク)



2022年1月7日金曜日

ルーティン


今日の午後久しぶりに絵を描いた。
何かをそこに発見して修正したり付け加えたりするという作業。どの絵をその時描くか、直感に従って絵を選ぶ。正面に置いた絵を描きながら、ふと横にある作品に手を加えることもある。
それがボクのいつもの描き方なのだが、今日は闇雲にどうにでもなれとばかり手を動かしていた。手を動かせば必ず何かの反応が返ってくるはずなのに、今日はそれがひどく空虚なものだった。

胸の辺りに大きなしこりができて徐々に膨らんで圧迫してくる。息づかいが荒くなり自分がどうかなりそうで不安になった。こう言う時はその不安に知らんぷりをしてパレットにある絵の具をキャンバスに運ぶというルーティンワークを続けた。

夕暮れが近づき地域の防災放送からお帰りのメロディが流れ、ホッとして筆を置いた。こんな気持ちで仕事を終わりにする事があるとは思わなかった。

何とか料理をしてPCの前で休んでいたら電話が鳴ってドキッとした。電気代がお安くなりますという。機械的な人の声は現実離れしてひどく空拉なものだった。
(ガハク)

2022年1月6日木曜日

精霊の声


 林道の途中にある川ガラスのスポットだ。最近ではミソサザイをここで見た。しかしこんな寒さの中ではみんなどこかへ行ってしまっているに違いない。

ひっそりとして誰もいない道を上がる。いつも精霊の声を聞きたくて山に登るのがここ数年の日課になっている。数日前にキョウコの身に起きたこともここでのでき事だ。普通なら縁起でもない時と場所だと人は言うだろう。

でもやっぱり来てしまう。気合を込めて手に持つ棒を振り回したり、またがっくり肩を落としたりしながら道を登っていく。寒いのだろうがあまり感じない。

彼女は危機におよんだ時「大丈夫、大丈夫‼️」といつも自分に言い聞かせていたそうだ。だから僕も自分に言い聞かそう。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫だよ、kyoちゃん‼️

(ガハク)

2022年1月5日水曜日

これが現実か

執刀医立ち会いで妻と2度目の面会。

「今日はいい知らせではありません」と切り出されて言われたことは最悪だった。
血圧も血中酸素も心拍も正常、おしっこもちゃんと出ている。しかし脳のダメージが相当ひどく、ここからの意識回復はほぼ絶望とのこと。

体の芯に硬いものが落ちて来たようになった。握りしめていた手から急に力が抜けたのを感じた。震える手でベッドの上の彼女の顔に触れた。柔らかいし暖かい。直前まで一緒だった時とほとんど何も変わらない。ただ眠っているだけのように見えた。
声をかけたり肩を抱いたりした。反応がない。
医師がボクに座るようにと言い、暫くここにいるように、すぐ帰らなくていいからと言われた。ナースがベッド周りの仕切りのカーテンをしてくれる。ベッドの傍に座って二人っきりになった。

立ち上がってベッドの周りをウロウロ歩き回り計器類を見たり、角度を変えて寝姿を見る。いきなり彼女の上にかがみこんで顔を撫でたり脚に触ったりしながら「恭子」「キョウコ」「キョウコちゃん」と何度も呼ぶ。「俺を置いていくつもりか?そんなことはないよな返事してくれ」
反応はない。

いやこの人はまだ死んだ訳じゃないんだと思い直し、髪の毛を整えてやりながら「いや君はまだ生きてるんだよな、ごめん、ごめん」と頭を触っていたら彼女の目元から涙がうっすらと滲み出て来た。意識はないはずなのに。思わずナースを呼んでそのことを告げたら、患者さんにはそういう方もおられます、と。

次の面談の予定を立て病室を出た。
ラウンジで友人に電話をかけた。それからゆっくり車に乗った。夢の中のようなふわふわした気持ちで運転して帰った。

近所のパトロンから夕食の差し入れが届いていた。「しっかり食べないとだめです、とにかく食べてください」
家の中はやっぱりガランドウだった。水槽の金魚がお迎え。
別の友人に電話をかけずいぶん長電話をしてしまった。「今夜は眠れるかな」と言ったら無理に眠らなくてもいいんじゃないですかと。

別の友にも電話をかけた。「大丈夫です祈っていますから」と元気づけられた。そうだ祈ってくれ俺も祈る。まだ彼女は死んだ訳じゃない。

(ガハク)

2022年1月4日火曜日

買い出し


朝食の後久しぶりに一人で街までドライブ。
目的は役所に書類申請。もう一つは買い物。今日から仕事始めの市役所だったがすぐに用事は終わった。しかし次に買い物をと車の中を見たらバッグだけで現金もクレジットカードも家に置き忘れたことに気づいた。そのまま帰宅。部屋に入るとバッグも財布も机の上にきちんと揃えて置いてあったではないか。
昼食を終えてから出かけ直すことにした。

買い物も久しぶりだった。カゴを抱えて野菜や魚や肉を吟味するなんて、いつからやらなくなっていたのか思い出せない。ほとんど妻に任せていたのだ。
2年前の入院以来彼女がどんなにボクを庇って来たかを思い知らされた。

午前中は気が楽だ。昨日から考えていたやらねばならないことをやるのに時間はたっぷりある。午後になると少し気持ちが焦って来る。午後遅くなるに従い落ち着かなくなり、気づけば常に立ちっぱなしでウロウロしているではないか。

洗濯したりゴミを片付けたり掃除したり池の氷を割ったり散歩したり、そんなことで時間を使う。それから料理、ネットで検索したりしながら。これが一番気持ちが前向きになっていい。
そうか、マーエダさんの料理好きの理由はここにあったのか。

制作はほとんどできずにいる。アトリエにいてもどこか常に緊張していて腰が座らない感じ。2年前にボクが死の縁を彷徨っていた頃、病院への見舞いの後でキョウちゃんはアトリエに行きしっかり石を彫っていたのを思い出す。根性が違うな。

明日は病院に入院用品を届けに行く。コロナで面会は非常時以外一切禁止。病状に大きな変化(危ない)がなければ連絡はしないとのこと。だから今のところ大丈夫、と自分に言い聞かせている。
(ガハク)

2022年1月3日月曜日

初雪


久しぶりにガハクが書いている。新しい年。2022年の今日はもう3日の月曜日。2020年の冬に僕が重症肺炎で入院してから二人で交代で書いていたものをKだけが記述していた。

去年の30日の午後、いつも二人で行く裏山の頂点に立った時、彼女がうづくまり動けなくなった。僕一人ではとうてい運べず救急車を呼んだ。救急隊の他に山岳救助隊まで来て彼女を運んだ。救急車の中では寒い寒いと訴えながら握った手に気づいたのか「あなたはどこにいるの?」ボクはここにいるよ大丈夫だよと答える。頭を振りながら宙を見るようにして「頭がぼんやりしてよくわからない」

倒れたのが午後3時。5時病院に入り緊急手術。終わったのが翌日の午前5時過ぎ。案内されて医師やナースに囲まれ管やコードをいっぱい着けたKを見せられた。閉じた瞼と濡れた顎、全体がアルミニュウムでできたような顔だった。
壁には一面に計器類が張り巡らされていて波形や数字が次々と忙しく動いている。中には見慣れた数字もある。2年前の僕も見ていたものだ。

しかしそんな中で担当医が今は安定しているように見えるがいつ発作が起きてもおかしくない、最悪の場合は植物状態もありうるという言葉が恐ろしい。よく理解できない。シーツの上から足に触り、彼女の頬に手で触れて「キョウコがんばってねキョウコしっかりしてねボクがいるよトワンもついてるよ」と言うのが精一杯だった。

寝台から離れて元の待機室までもどった。何も思いつかない。考えるということが苦痛だった。手が震えた。要するに怯えていたのだ。何に?彼女が死ぬことによって俺が孤独になることが。二人の生活がこれから新しく始まるとさえ思っていた瞬間に、終わるのか、、

タクシーでの帰路雪が降って来た。アガノの道も真っ白に変わっていた。持ち帰り品の詰まった大きな青いビニール袋を家まで運ぶ道も白い。庭も玄関前も白い。家の中に袋を下ろして中を開けた時山に履いて行った彼女の靴がその中にないのを思い出した。付き添いの看護師が入院用の私物として持って行ったのだった。すぐ死ぬ人間に日常用の靴は必要ないだろう。そうだよね、すぐ死ぬと決まった訳じゃない。

2021年12月31日→2022年1月1日→2日と過ぎてだいぶ気持ちも落ち着いて来た。病院からの連絡は緊急でなければなし。順調であればなし、あれば悪い知らせ。ないことを願う。安心していよう。

料理もずいぶんやってなかった。やればできる子だからね俺は(笑)
(ガハク)


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