2019年4月20日土曜日

ギリヤーク

ドキュメンタリーを観た。
素晴らしく美しい。今から何十年前だ?生で観たの。カルチャーショックだったな。情念的なものに抵抗があったしパフォーマンスを観ること自体に慣れてなかった。しかし表現の集中ひたむきさには圧倒された。
今88歳?腰は曲がりっぱなしなのに、体が美しい。女性的美しさ、人の体の生きて動く美しさだろう。
あれじゃあ観た人もみんな元気になるはずだよ。
「お母さ〜ん!」って叫んでたな。(画)

2019年4月19日金曜日

花の歌

今日は春らしいポカポカ陽気だった。Tシャツ一枚になって庭の菜園に種を蒔いていたら、音楽が聞こえて来た。きっとガハクがyoutubeで曲を聴いているのだろうと思っていたら、だんだんはっきりとした旋律が流れて来て方角も2階からだと分かった。セグンドさんを偲んで作られた追悼曲『9月5日』(前田ただし作曲)だった。最近はメロディーを弾くことが多いのだと言っていたからなあ。一本の音が流れていくのは美しい。単音が次々と引き継がれていくのを耳で辿っていくのは綺麗な小花の咲いた小道のようだ。

花の中の人が際立って来たら、妖精の形がつまらなく見えて来た。とって付けたような意図的なものは長い時間に耐えられないのだ。分かっていることだけ彫るようにしよう。それが今の本当の姿なのだから。

 花に溶け込んでしまったように腕も脚も皆削り落として反対に抉った。ずっと自然になった。花のままで充分美しい。花弁の輪郭も鋭さを消した。(K)


2019年4月18日木曜日

愛を見る眼

見つめる眼はトワンから教わった。
あの夜、彼は何を見ていたのか。大好きな人をただじっと見つめていただけか。訣別を意識して記憶に焼き付けようとしていたとは思えない。静かで動かず、遠くも近くもない、距離を感じさせない視線。
彼が見ていたのは愛そのものなのだ。愛するもの同士が互いを見つめる時、そこには所有でも共感でもない、ただ相手をただひたすら見ている眼しかない。二人の眼はそこに愛を見ているのだ。
愛がこんなにも身近にあるという奇跡に驚いたように見ている眼だ。(画)


2019年4月17日水曜日

花の中の人

外灯を点け忘れていたのに外が明るかった。月の光に照らされて、アトリエの前の野原が広々と美しかった。ずっと地境のように並べてあったガラクタや壊れた自転車が片付けられたのはこの冬。悪意や迫害の象徴のように見えて怯えていたものが無くなったのと、私の中の嫌悪感が消えたのは同時だった。トワンが死んでからすっかり変わった。

愛は形ではなく意識だと言うことがはっきりした。美を支え守っているのは記憶ではなく、常に意識の中で作られ続けられるものの中に生息している。そういう存在と繋がって、覚醒し再生できた。(K)



2019年4月16日火曜日

無心と意図

鳥をあちこちに描くがなかなか難しい。
形というよりもどこへどういう風に描くか…が難しい。意図的にはしたくない。空の雲のようにたまたま偶然にそこに飛んできたように描きたい。作者の意図を感じさせず、それはそうでしかないだろうという風に描けないか。
偶然を装うには画面を見ないようにして横を向いてサッと描いてしまえと言った人がいた。それもいいかもしれない。 確かに考える前に筆を動かして描いたりする。気に入らない時は最初からやり直す。
しかしそれも又もう一つの意図でしかない。やっぱり意図的に見えてしまう。どうしたらいいか。
アンリルソーの描く雲には本当に感心する。そういう雲が確かにその時パリの空には浮かんでいたんだろうなという実感がある。あゝいう風なのは見ながら描いたのではない。彼の心にしっかりと見えていたのだ。
それが見えるまで描き続けるしかない。技術の問題ではなく精神や心の問題だ。
もしかしたら思いっきり明確な意図を持って描いてみようか…。(画)


2019年4月15日月曜日

頭の歪みが治ったから

頭の歪みが治ったから、素直に、思うままに、自由に、勝手に、本来の自分に戻って、動かされる感情に従って彫れるようになった。

気が付けば何ということもない。唇の厚みや鼻腔の暗がり、瞼と瞳孔をくっきりとさせるだけのこと。ノミの角を石に喰い込むほど強く立てる。深く刻むには確信と自信が必要だとずっと思って来たが、そうじゃなかった。こだわり、恐怖、恥辱、見栄、競争、優越、みんなあっちに行ってもらうか自ら遠ざかるかすれば良かったのだ。汚れが落ちたら、さっぱりした味わいが分かるようになった。本当に美味しいものは善良な人が愛する人に作ったものだけだ。

美しい情景は人を覚醒させる。死んでまた戻って来た人たちによって命が吹き込まれる。大好きだった人、大好きなトワンは鳥になったりする。そしていつも二人の会話の真ん中にいて囀っている。(K)


2019年4月14日日曜日

鳥たち

小さな谷の底に見つけたカワガラスはそこに巣があるのではなかったのか、その後一度も見ていない。雪や雨が降ったから移動したのかもしれない。
昨日は「プロメテウスの岩」の脇あたりで聞いたことのあるおかしな鳴き声を聞いた。じっと声のする方を注視していたらグレーの藪を通してピンク色が動いている。そして黒い丸い頭、それで分かった、桜の蕾を食べて困ると峠の婆さんが嘆いていた鳥、ウソだ。そうかあの声、あの声はウソを言ってる声なのか、なるほどねえ、面白い感じ方だねえ。
空飛ぶ人の周りに鳥を描いた。(画)


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