2019年10月18日金曜日

花に立つ

この小さな人にずいぶんかかずりあっている。まだやりたいことが沢山あるからもうしばらく辛抱強く彫り続けるつもりだ。後ろの翼ももっと胸の奥深くに羽ばたいているように見せれると思う。じりじりとしか進まないから時には焦ったりするが、彫れば彫るほどシンプルで凛々しくなって行くからここで諦めるわけにはいかない。止められないのだ。自由とはいつまでも冒険させてもらえる状況を常に自分で作り出し続けることだと悟った。彼を支えているのは手の形をした花びらだ。花弁のように彫ろう。腕は樹木の幹のように。胸は森のように。そうすればこの子はもっと生き生きと飛び立つ。(K)


2019年10月17日木曜日

水の流れと音楽

ずっと描き続けていると意識だけでなく色やタッチが複雑に積み上がって隘路に入り込んだようになる。絵も頭も冴えなくなる。そこをさらに根性で乗り切るべし。しかし酷く孤独で辛い時間を過ごさねばならない。今の自分にはそんなパワーはないから違うやり方をする。色を思い切って変える、道具を変える、描く対象を変える、横を向いて描く、別の絵を描く、横になる、体操をする、ギターを弾く、刀を振る、等々。できるだけ愉快にやろう。
それからやり直すと何かが出てくることがある。出てこないこともある。いや大抵出てくるよ。しかし時々別のことに集中して絵に戻ってこなかったりする。
水の流れと音楽は絵にも必要だ。(画)


2019年10月16日水曜日

冒険へ

ガハクが居合をやっているところを撮ろうとしたら、「メモリーカードがいっぱいです」との表示が出たので全部消去したら、アトリエで今夜撮って来た画像まで消えちゃった。で、今夜は、階段の踊り場に置いてあるペルセポネーにした。

いつもガハクがここを通る。1日に10回以上は通過するだろう。2階の三つの部屋はすべてガハクの空間だ。西の部屋が油絵の部屋、東の中庭を見下ろす静かな部屋は版画室、真ん中は倉庫兼書斎というふうに使っている。あと何年生きるか分からないけれども、ガハクが今までになく体調が良いからもう少し二人で絵と彫刻をやって行けそうだ。それにこのところ二人ともずいぶん前と生活している心持ちが違う。意識が変わったようだ。だから、これから起こることは善いことにに違いないと確信している。

先日、ある詩人を怒らせてしまった。売ることばかり気にしているからそんなの詩人じゃないとツイッターで書いたら、自分のことかと思ったらしく即リムーブされたのだ。私もそっとリムーブし返しておいたけれど、あまり大人のやることじゃなかったな。でも本当なんだよ。ミューズが遠ざかってしまうの。二人の主人には仕えられないとも書かれているし、いい仕事と金とは相性が悪いのだ。

今夜は天啓が降りた。冒険とは、帰らない旅に出ることだった。(K)


2019年10月15日火曜日

後ろ向き

ユトリロの初期の風景画に出てくる人物がほとんど後ろ向きだという。数点見る限り気づかないがそう言われて画集を見ると確かにそのようだ。作家の後ろ向きな人生観?そんな批評があるんだよね、安易すぎるからやめて欲しい。
大酒飲みで酔っ払って暴れたりしてよく牢屋に入れられた。看守が牢から出してやる代わりに故郷の写った絵葉書を見せ絵に描いてくれと要求したりしたそうだ。絵を描けるだけで何とかなるいい時代じゃないか。

ユトリロとは関係ないけど真ん中の少女を向こう向きにしてみた。この絵の群像の中ではただ一人後ろ向きだ。空間的に位置がやや怪しいが。(画)

2019年10月14日月曜日

二つの顔

外なる人の顔に遅れを取ってしまった内なる人に新しい息吹を与えねばならぬと少し焦っている。焦りが出ると必ず眠くなる。疲れを感じてしまうのだ。で、少しの間ソファで眠ったら、その後は不思議なほどすっきりした。台風で洗われた山から湧き立つ生気と、昇って来た月の霊気のせいだろう。今夜は静かな善いものに囲まれている気がした。(K)


2019年10月13日日曜日

台風一過

色の見えない人達に色の見えるメガネをかけさせた瞬間の動画を見た。思わず手で口を押さえて周囲を見つめ動かなくなってしまったり、驚きのあまり叫び出したり、ものも言わずに友人を抱きしめたり…彼らの感動が伝わってくるようで目頭が熱くなった。
でも本当は彼らに質問してみたいのだ、
色のない世界と一口で言うがそれは僕らがモノクロ写真を見た時と全く同じ感覚なのか?
それならば彼らがそのメガネをかけて色の世界を見た後以前のモノクロ写真を見たらその違いは?
メガネをかけない以前と同じなのか?それとも違うのか?
そういうこと全体が一人一人で違うという事はないのか?…etc.
一方、色を見ることができるという僕らだってその感覚においては大まかに似通っているだけで実際には多分一人一人違っている。細かい音まで聞き取れる人とそうでない人がいるように、色彩感覚にも能力差と個人差があるのは間違いない。そして画家は自己の色彩感覚で絵を描くが、一人一人違うはずの色彩感覚に評価の正当性ってどこまであるのだろうか?
セザンヌとジャコメッティの色彩感覚の違いを僕らは正確に測った上でその作品全体を評価し得ているのだろうか?
色の世界の混沌に目が眩んで仕事ができなくなりそうだからもう止そう今日はちょっといい顔が描けた。(画)


2019年10月12日土曜日

腰が入る

右から見たらいい感じなのだが、左側から見ると腰が抜けたように何とも気に入らなかったんだ。石の色や模様がちょうどいい感じになるまでジリジリ削っては彫り、彫っては削りしながら、色と形がぴったりする場所まで突き進んで来た。そして今夜やっとまっすぐ立った。必然を受け止めるとはそんなに簡単じゃなかった。ずっと先まで、もっと探検せよということだ。「コルテスは船を焼いたんだよね」とガハクがいうので調べたら、16世紀のスペインには征服事業というのがあったのを知った。ベンチャー企業みたいだ。侵略と野望。そんなことから無関係に生きれないだろうか。探検は続く。腰を入れて挑む。(K)


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