2025年4月21日月曜日

一人でいる不思議さ

一年で一番気になる季節がやってきた。

去年ギターを再開して新しい機種も購入。嬉しくて毎日触っている。そうしてるともっと何かをしたいというような気持ち(衝動)がしなければという気持ち(義務感)を上回る。

きっとそうだ。だから抱えてたギターを突然脇に置いて金魚の水換えを始めたり雑巾がけをし始めたり、時には急に筆とパレットを手に取って画面に色を塗り出したり。

でもそれでいいんだよ。自分の気まぐれに任せればいいんだ。できるだけ計画など立てないようにして。できるだけ。やらねばならないと本当に思ってるならどこかで必ず始める時が来る。それもそのタイミングでしかできないというような。できる時に始める。できないままならそれだけの事だったんだよというような。自分に言い聞かせている。

今までほとんどほっぽらかしだった庭の草抜きを始めた。いつも人まかせ自然まかせの場所だったからぼうぼうの草の塊。でもいざ手を突っ込んでみるとそこはこの数年のシルバー業務のおかげか。それほどストレスを感じない。手を動かしてればそれなりに綺麗になるし。

一人ということの不思議さにも慣れってものがね。きっとね。
 ガハク

2025年1月3日金曜日

生きる意欲

 


新しい年の朝。いつもの山道を行く。冬至から2週間くらい経って少し陽の強さが戻ってきたように見える。
正月は近くの採石工場もお休みで静かな山歩きだ。草達もすっかり縮こまり木は葉を落としほっそりとして視界良好。さっぱりした風景の中を歩く。

生きる意欲の小ささが売り?のガハクだがそれだと実際どうにも苦しくてならない。強さを身につけないと。ただ死なないようにしているだけじゃあ辛いままだろう。
この前ギターを買ったら少し生きる勇気が湧いてきたように感じた。
生きたいと思うのは、その前に何かをやりたいとか何かが欲しいとか何かになりたいとか。そういう事があるからだろう。
生きる意欲を言う前にそういうような「何か」が向こうに見えてないと。
(画)

2024年12月31日火曜日

 ちょうど3年になるんだね。

Kがいなくなったのはもう少し後(5月)になるわけだけど晦日の山散歩で倒れてから彼女との会話も連絡も交流というものが全くなくなった時からすれば。

受け容れる事ができたのかどうか、そんなことはよくわからないがずっと書く気になれなかったブログを急に書こうと思い立ったのは歳の瀬で何か感傷的になってるだけじゃない気もする。

日々の生活がすっかり変わり、ほぼ毎日が労働者のような暮らしにも慣れた。こういうのも悪くない。今まで一番自分には合ってる気さえする。確実に貰える給金であんなに苦労した画材もまあまあ買える。多少高価だとしても新しい道具だって買える。最近ではメゾチント用のベルソーというのを購入したしオイルスティックというのも試しに買ってみた。

それからこの夏には新しいギターも買った。毎日触っている。絵を描かない日はあっても(たくさんある)ギターを弾かない日はほとんどない。

今日は朝から映画をずっと見ていた。前観たやつでも気に入ったのは何回でも観る。最近の発見は『マルホランド・ドライブ』ってやつ。絵も筋も面白いし女優さんが素晴らしい。

気づいたらしい。何を支えに生きていったらいいのかに。

(画)

2023年8月22日火曜日

Kのその後










 Kのその後を報告すべきだった。
2022年5月21日の午前3時に電話で起こされた。病院からですぐ来てくれと言う。何度も通った道ではあったが夜中の走行は初めてだった。昼間より早く着き裏口から入ると看護師に案内され病室へ。転院時以外週に一度ネットで見るしかなかった彼女を間近で見る。静かに寝ている。懐かしい人に会ったような気持ち。
やがて医師が入って来て死亡を確認する。午前4時ちょうどと言う事だった。
看護師に部屋から追い出され暫くして呼ばれて入った。やっぱり眠っている。名前を呼んでみたが相変わらず返事はない。君は死んじゃったんだってね。
二人きりでマスクなしでベッドの傍に座っていた。肩を抱いてみる。予期した通りにか細くはなっていたが間違いなく彼女の体だ。薄く口紅が引かれている唇に接吻した。

大晦日の救急車の中で交わした会話と眼差しを見て以来、半年近くをずっと眠ったまま彼女は逝ってしまった。享年69歳。ガハクの70歳の誕生日の三日後だった。Kyokoちゃん。今どこにいるんだい?いっぱい彫刻が残っているよ。俺はどうしたらいいんだろう教えてくれよ。
 Kのいないガハクなんだよ。



2022年3月29日火曜日

季節は移り人は変化する

Kyokoの転院が終わった。
大学病院の集中治療室を出て距離がさらに遠くなる病院に移った。今までの大学病院に比べれば建物も小さいし古い。病室も廊下も狭く待合室も広くはない。地域病院というのはこういうものだろうかという感じ。

でも印象は悪くない。転院先の条件が厳しく紹介された二つのうちでここしか選びようがないという事情の割には幸運だと思えた。あの大病院の広さと冷たさ、よそよそしさには閉口し始めていたし、むしろ小さくても人が見えるような気がする方が心強い。最初の紹介段階で会った院長の話しぶり看護師の人柄も気に入っていたのだ。

今日改めて場所を変えて寝かされているKyokoを見て顔つきの穏やかさに安堵した。今度の入院中で一番美しかったのが嬉しかった。歯はもっと綺麗になると言うしマッサージも髪も切ってくれると言う。頼もしい。

ただ病状に関しては厳しい事を言われた。覚悟をする為の時間に余裕はなさそうだ。病院を出て駐車場から彼女が寝かされているであろう病室の窓を両手でハンドルを持ったまま見つめていた。これがあの人との最後の面会になったのかもしれない覚悟をしなければと。

病院から帰る途中で車を公園に停め行動食のサンドイッチを食べ散歩した。桜は未だ満開には遠い。強い風が吹く中を人のまばらな広場や川のほとりを歩いた。

季節は移り人も変化する。何かが始まれば何かが終わる。何かが終われば何かが始まる。それを悲しいと思うか嬉しいと思うか。それは感じ方考え方でしかないのか。Kとガハクは今どこにいるのだろうか。
ガハク



2022年3月19日土曜日

一年目の春

この季節を恐れていた。やって来るのが怖かった。とにかく時間が過ぎるのが怖かったのだ。寒い冬のまま時間が凍結してくれた方がいいと思っていたから。

でも否応なく気温が上がり暖かい季節がやって来た。春。暖かい風が吹き強い日差しが来る。どうした事か怖いものがやって来たというのに心のどこかにワクワクするようなものを感じる。何かが新しく始まっているのだという気さえする。

今まで感じたことのない春がやって来た。ガハク


2022年2月23日水曜日

新しい出会い

いつも時間に追われた気忙しない毎日が続いている。というのは錯覚で実は多くの時間があるのにその殆どが無為な過ごされ方をしているという思いがあるからそんな気がしているだけなのだろう。

少しずつ現実の状況に合わせて動かざるを得ないという事実に抗っている自分がいる。現実の過酷さと時間という鈍く重い凶器のような圧力。苦い悔恨の持つ鋭い痛苦。そういうもの全てに全体で抗っている。

悲しみこそが永遠の友であり続けるだろう。それだけが今を生き抜く為の武器であるとしか思えない。
Kとガハク



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