2018年10月21日日曜日

人の子のようなもの

 「人の子のような者が現れて唇に触れたので、やっと口を開いて喋ることができた」というくだりが好きだ。幻ではなく実在する天使たち。愛しいものの姿を見るだけで愉快になるのに、ましてやその手に触れられたら頑なな心もほぐされるだろう。グワーッと満たされるあの熱い勇気は、恐怖からは決して生まれない。若い頃の戦闘的アドレナリンでは補えない、今向かおうとする美しい世界に向かって飛び立つための大きな翼が与えられた。小さな羽ばたきが歌なら、大きな翼は深慮のことだ。
 夜はトーストとカフェラテで簡単な食事にした。パンを焼いていると、ガハクが面白いことを言う。
「意識の改革は、例えばカネはあるに越したことはないというのじゃなくて、無い方がいいということなんだよ」誰も理解できないし向かおうともしないからこそ、これが意識の革命なんだな。(K)



2018年10月20日土曜日

顔を描くのは面白い。いつまででも描ける。完成を目指すというよりどこまでもこの顔とつき合っていけるという方が僕には嬉しい。そういう顔になればいいと思っている。
人が見ることができるものだし見せることにも抵抗はないが、見られるということを忘れていられる時間というものは絶対的な何かを思い出させてくれるのだ。(画)


2018年10月19日金曜日

ふいご場

よく切れるノミが欲しくなって、夜もだいぶ遅くなってふいご仕事を始めた。送風機のコンセントを差し込むと、ブウォーと炎が勢いよく立ち上った。コークスを入れる前のこの瞬間がいちばん興奮する。これがプロメテウスが天から盗んで来たという火なんだな。ガンジス川の辺りで荼毘に付される死者たちも、こういう火の上に載せられていたっけ。すぐに使いたい極細の尖ったノミと平ノミ26本、鍛造から焼き入れまで30分で終了。もうこんなことやって石を彫っているのは、やっぱり山奥のインドの石工くらいか?(K)


2018年10月18日木曜日

落ち着かない日々

落ち着かない気分が続いている。ワクワクと緊張をない交ぜしたような気分の原因は急に決まった展覧会にあるのだろうが、体調さえおかしくなりそうだ。工房の階段で滑ったKちゃんが背中を擦りむいた今朝の事件、あれも関係あるかもしれん。
こういう時は銅版画の修正箇所をひたすら削るような単純な作業をすればいい。そう思ってヤスリがけをしていたがやっぱりフワフワしたような気持ちがどこかにあり続けた。ゲームならとも思ったがこれも同じだった。
結局絵に向かうのが一番いいらしい。Sであり白い人でもあるこの人物の周辺を描いていた。100号サイズのこの絵も展示できるだろうか。(画)


2018年10月17日水曜日

目を見開いて見つめる先

カッと開いた目に映っているものが見えるようだ。そんな気がしてぐんぐん彫った。上を向いている瞳をいくら抉っても影は付かないけれど、深さというものは必ずしも暗さを必要としないのだ。ただ彫っている。とにかく彫ってみる。瞼や鼻梁の陰影が目の中に表情を与えてくれるだろう。(K)


2018年10月16日火曜日

要らないもの

この木をどう描くべきか。
この木の何を描くべきか。
木の空間、膨らみ、立体感、質量と質感…などなど。それらは絵を構成するたくさんの特質の一つ一つだ。しかしそれらを網羅しさえすれば絵ができるというほど絵は単純なものではない。たぶん僕らはそういう美術訓練を受けすぎたせいで見えなくなってしまったのだ。特質の積み上げは、今の世の中では金はあるに越したことはないという考え方と同じ。ない方がいい場合だってあると気づかない。
絵を息づかせているものは、そんな特質たちと一切関係ないものなのだ。(画)



2018年10月15日月曜日

新しい翼

「人は用によって導かれる」とスエデンボルグが言っている。内なる用によって動かされたものが生むものは美しく倹しい。ひとかけらの虚栄も無いところには、楽しさと喜びのふたりの天使が生息していて、不安と悲しみを優しく包んで癒してくれるんだ。

玄関にデナリから持ち帰った彫刻を並べた。壁の油絵はガハクが描いてくれた30年前の私だ。まだヨチヨチとしか歩けないほど弱っていたが、やっと歩けるようになった喜びで背中に翼が生えたようだった。(K)


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