2019年6月25日火曜日

人造時間

あの日あの時見たものあった事が今はどこにもないということが当然だと思えないままだ。
時間は人が主体的に作り出し、過去や未来というあやふやな感覚をもたらした。時間という方向を持った概念と僕の生感覚が釣り合わない。
いつかどこかで見た在ったという記憶も、存在という概念が作り出されるとそれは幻想に作り変えられたのだ。だからどちらも元々は人が自ら作り出したものでしかない。
過去や未来の通過点ではない絶対的現在にいて、幻影でなく真に在るものを見ることができるだろうか。美を通して感知できるなら。(画)




2019年6月24日月曜日

月を研ぐ

月の夜空に砥石をかけた。海の底も磨いてみた。空間というのは色で出すものだということがやっと分かった。色即是空 空即是色 これがどういう意味か本当には理解していないけれど、大理石のレリーフにこんなに深く澄み切った空が出せるなんて思ってもみなかった。それでも何とか彫りたいと、ずっと憧れて想っていたから現出してくれたんだ。あの冬の満月の夜の白い人だって、ガハクがずっと会いたがっていたから出て来たんだよ。欲しくもないのに欲しくもないものを競争のためにただ優位に立ちたいが為に他人をねじ伏せてまで掠め取ろうとする者たち。彼らの知らない美しい世界は私たちのすぐ目の前にある。(K)


2019年6月23日日曜日

トワンと夢之丞

殺処分寸前の犬がスカウトされ夢之丞(ゆめのすけ)という名の救助犬になったという話をネットで見た。処分場から出された時の怯えた表情が家に来た頃のトワンを思い出させた。すっかり元気になって活動している成犬の姿も似ていた。
久しぶりの展覧会を前にして気持ちがすっかり変わったのを感じる。
今まで自分の人生も大部分が終わった、できることはできたしできないことは今後もできないだろう、後は死ぬまで淡々と絵を描けばいいと思っていた。それが違うんだ。僕らは殺処分寸前なんかではない。目標を持ち到達点を意識して努力しよう。殺処分を恐れながら自己欺瞞としての諦念という精神的堕落から抜け出さねばならない。
銅版を彫りながらそれを思い出していたら、ジャコメッティがもしデューラーのような技術を持っていたらどんな絵になっただろうと連想した。
残念ながらそんな仮定は無意味だ。トワンは夢之丞にはなれないしその逆もない。(画)

2019年6月22日土曜日

色味

砥石の使い方をいろいろ試しながら自由にやってみたら面白いことに気が付いた。間の砥石を一つ飛ばして、高い番数の砥石でシツコク磨き続けると、柔らかな布の風合いが出るのだ。鑿痕を消す必要があるのは墓と宝石だけ。彫刻はキズさえもニュアンスになり、色味を与えてくれる。但しベースの形がしっかり彫られた上で。

トワンの毛の柔らかさと、布のゴワッとした感触の違いが少し出せるようになった。熱意という器に注がれる美の感情を寄り道なしで形にしたい。(K)


2019年6月21日金曜日

額が届いた

注文した額が届いたので用意した木版画を入れた。このサイズの版画を額装するのは初めてだ。刷り面が紙の端ギリギリなので別の紙で裏打ちしてからマットに合わせた。それも初めてだった。
一連の作業をしていると、まるで大勢の人前に出て行く自分の子に立派な服を新調してやっているような気分になる。だからなのか、展覧会を前にしてどこか不安定なこの気持ち、うちの子が背筋を伸ばした立派な姿でその場に立てるだろうか、どこか自信無げに俯いたりしていないだろうか。(画)

2019年6月20日木曜日

人間天使

人間天使という存在のことをスエデンボルグが書いている。思うに、それはトワンのようなものだろう。何もしてはくれないけれど彼がいることで皆が楽しくなる。誰もが知っているけれど権威も力もないものだ。誰もが愛しているけれどその見返りを求めていない。そういう人になれたらなあと、トワンが死んでから思うようになった。

今日は公会堂の掃除だったのだけれど、ガハクの油絵を入れる額縁の製材をしていたので少し遅刻してしまった。バケツに雑巾と窓拭き用のスポンジモップを持って駆け足で入って行くと、声がかかった。
「あゝよかった、来てくれて」って。そんなこと言われたの初めてだったので内心ドギマギしたけど、また別の人から同じことを言われた。 空気が穏やかで柔らかくなって生きやすくなった。

『月下の森』というタイトルにしよう。女の顔を600番の砥石で磨いたら、すーっと静まって落ち着いた表情になった。ガハクに「アルカイックみたいだ」と言われたのが、とても嬉しい。(K)


2019年6月19日水曜日

記憶と想像

遠い昔とはいえ若い頃に覚えすっかり身についていると思っていた居合の型をほとんど思い出せないのに気づいた。ネットで動画を見たりしても自分の体に実感として染み付いているはずの感覚と結びつかない。しかし何度も動いていたら徐々に思い出せて来た。
銅版画を始めた頃、カタログを見て余りに高価なものは除き使いそうな道具を片っ端から購入した。
エングレービングに使うビュランにも様々なものがある。一般的な断面が菱形のものから鋭い楔形、楕円形、長方形…。その中で一本使途不明のこの一本、反った刃の先端の断面はV字形。使い方が分からないままだったが点を打つのに便利ではと思いついた。たくさんの点を集合させるとアクアチントみたいになる。
知っているはずのことを思い出そうとすることと、知らない使い方を想像することが脳の活動として似ているような気がしたのだった。(画)

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