2019年8月10日土曜日

堆積する記憶

今年の夏は親友の命日をふっと忘れて過ごしてしまった。珍しいことだ。元々記念の日をあまり意識しないのに彼の命日だけは別だ。むしろ時が経つほどに大事な日のように思い出すようになった。それを今年は忘れていた。そういう年もあるさというだけなのか、それとも何かが変わったのか。分からない。
世間では先の戦争にまつわる記念日が次々と通り過ぎていく。毎年の恒例の行事と共に繰り返される記憶。しかしその記憶もその事があった日から時が経って変質しないわけにはいかないだろう。繰り返される時間とともに堆積する記憶も変質する。(画)

2019年8月9日金曜日

モーナ・ルーダオ復活

台湾の山岳民族の酋長モーナ・ルーダオの姿が写っている写真を見た。精悍な横顔が美しかった。結局人は自分の魂の根底にある無意識に動かされて最期の決定を為すのだ。苦しみたいから暗い方へ向かい、喜びたいから明るい方へと歩き出す。

たまたま早朝にラジオをつけたら、どこかの寺の高僧の講話が流れて来た。人は病気になりたいから病気になっているのであって、病気になったら自分の病気を有難くいただけばいいのだと言っていた。

闘うことの本質を知っている人は、他人の戦争に駆り出される前に自分の戦場に向かう。(K)


2019年8月8日木曜日

『イヴ』

どっかの展覧会のバタバタが世間を騒がしている。芸術と何の関係もない、または最も芸術の醜悪な面が噴出しているとも言える。できるだけ考えないようにしないと胸がムカムカしてくる。こんな時は絵に逃げ込むのが一番いい。
 ……
ついに犬が現れた。
「トワンの頭を撫でてるということはこの女はワタシってこと?」と妻が訊くので「イヴィッチは『イヴ』ってことだからね」と答えておいた。
やっと背景に溶け込んできた。形も今までで一番いい。(画)

2019年8月7日水曜日

踏み出す人

ときどき何処からともなく吹く風は、前から気が付いていたことを思い知らせる為に吹いているようだ。夜道を自転車で走らせている時にあらぬことを考えていると、転んでしまってケガをする。そんな時はすぐに「トワン」と呼ぶんだ。気持ちが集中して頭のゴミが吹き払われる。今夜も無事に帰還できた。

首の位置がやっと決まって、頭から足先まで一本の線が通った。(K)


2019年8月6日火曜日

美術って必要ですか?

ある美術展が中止に追い込まれたという。テロ予告に始まって政治家の圧力、企画者は圧力に屈するな、警察は何してる、憲法における表現の自由について…多方面に渡っての議論。しかしどこにもその作品自体の美的評価について論じたものはない。芸術作品にとって一番肝心なその点についての議論は始まる前に終わっているみたい。
大きな疑問があるんだけど、もしかしたらそんな事はどうでもいいんじゃないのか?今の人たち美術なんかに本当の関心を持ってるんだろうか?新しい表現や面白い感性を見出す喜びを知っているんだろうか?どれだけ美術を求めている人がいるんだろう?いや本当に美術は必要ですか?単なる娯楽なら他にもっと面白いものがいくらでもあるでしょ?どこが面白いのかよく分からないものなんか見せられて楽しいですか?

こんなことを思いながらイヴィッチに向かってた。(画)

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2019年8月5日月曜日

凛々しさ

鼻梁を赤い色鉛筆で描いておいてしばらく眺めていた。目の窪みをそっと彫り、唇の一文字を刻んだら、どんどんいい顔になって行った。今まで見たことがない顔だ。こういう顔は古代に繋がる人たちの強い顔だ。この人が内に住んでいる人ならば、チャラチャラとしたこの時代にあっても振り回されることはないだろう。凛々しさとは真理を探求する熱意から出ている眩しい光のことだ。美しい人の霊的なスフィアには清々しいエーテルが溢れている。そういう人の傍にいるといい匂いがするんだ。(K)



2019年8月4日日曜日

黄色と青色

暑気あたりかクーラー病かこの1週間悪かった体調がようやく戻って来た。
体のどこかしこが痛かったり眠かったり寒かったり食欲がほとんどなく何を食べても味がしない、とにかく意欲が起きない。こんな経験は初めてだった。やっと絵を描く気力が湧いて来た。モティベーションを保つには健康でなければダメだな。

イヴィッチは強くもあれば脆い人でもある。現実の運命に弄ばされてどこにも着地点を見出せない不幸な女性だ。黄色と青で描こう。(画)


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