2020年8月8日土曜日

蝉が腕にとまった

今日の山はどうだった?と聞いたら、「蝉がとまったりして面白かったよ」と言うから、肩とか帽子にだろうと思っていたら、剥き出しの腕にしっかり掴まっているじゃないの!じっとガハクの顔を見ている。すぐに飛び去ったのかと思ったら、次の写真が山のてっぺん。ずっとそこまで付き合った蝉の気持ちを想像すると、何とも愉快だ。

「蝉にピントを合わせようと思うからいけないんだな。後ピンになっちゃった。腕に合わせりゃよかったんだ」と今頃言っている。それに「最初は真ん中にいたのに、カメラを向けたらだんだん後退りするもんだから、腕を回して撮ったんだよ。写すのが難しかった」などと、蝉との散歩はずいぶん楽しそうだ。

「今日は足の裏が痛くならなかった。山を降りる頃になると、いつも痛くなっていたんだよ」やっと浮腫みの影響が消えて来た。親指の付け根辺りに小石を踏ん付けているような違和感と痛みがずっとあったらしい。足を内側荷重にして工夫して歩いていたそうだ。歩き方の癖も直って来た。

自由っていいもんだ。ガハクの体から木のような生気が発散している。(K)


2020年8月7日金曜日

終診

今日はガハクの最後の診察になるかもしれないというのに、うっかりして歯医者さんの予約を入れてしまっていたものだから、ガハクと別行動になった。でもそのおかげで、ガハクと医師の二人だけで交わされた会話と決定が面白かった。

血液検査の結果は、腎臓も肝臓も血栓も異常なし。先生は「これで『シュウシン』ということになりますかね」と仰ったのが、ガハクにはピンと来ない。初めて聞く言葉だったからだ。「診察終了ということです」と説明されて、やっと病気から解放されたことを知る。「これからどうしましょうか?ひと月ごとにレントゲンを撮るというのもあるし、3ヶ月後にCTを採って様子見ますか?」と言われた。

ガハク答えて曰く、「こんなに酷い目にあったので、もう二度とこういうことにならないように健康管理に気を付けるようになりました。ちょっとした体の異変にも敏感になったと思います。またおかしなことが起きたら診てもらうということでいいんじゃないでしょうか」
すると先生、「そうですよね。もういいですよね」とスッと意気投合して結論が出た。

私が呼吸器科の外来診察フロアーに着いたときは、すでにガハクは7番扉の向こうで話をしていたのだ。出て来たガハクに手を振って合流。後で聞けば、「今日は夫婦で来ている人が多くて、皆仲がいいんだよ」と言う。それで思い出したことがある。

以前、ぞうけいに入ったばかりの生徒さんにガハクが、「夫婦仲はいい方ですか?仲が良い夫婦でないとうちはうまく行かないんです」と伝えていた。仲が良い人は少ないと思っていたが、そうでもないようだ。今日の病院には仲が良い人しか来れなかったようだ。霊的スフィアが透き通っていたんだな。

今夜は生きて帰れた喜びに浸って集中している。(K)



2020年8月6日木曜日

瞳の位置

頭がだいぶ小さくなって顔が引き締まって来たので、瞳の位置を変えざる得なくなった。そう確信しれば、あとは実行あるのみ。一旦やり始めたら、途中でやめる訳にはいかない大事な場所が目だ。瞳の縁が吹っ飛んだら、元も子もない。左目はいい位置に収まっているからそのままで、この右目だけを中央に向かってじりじりと動かした。2時間ほどかかってやっと目的地にたどり着いた。ほんの1ミリ弱の大移動であった。

明日はガハクの通院日だ。ステロイドを飲まずに過ごした1ヶ月、少しずつ無くなっていく浮腫みは、まるで脱皮のようだった。(K)


2020年8月5日水曜日

独り立ち

夏の始まりの日に ガハクは山で、枝に留まったままじっとしている小鳥を見つけた。ケガでもしているのかと心配になって、かなり接近してみた。頭に白いぽしゃぽしゃの綿毛のような羽が生えている。まだ子供だ。

君は誰の子?ガビチョウにしては色が黒いね。尾羽が無いのもおかしいなあ。これから生えてくるのかい?コジュケイとかヤマドリだったら、もっと大きいはずだし。でも、カルガモだって子供の頃は小さいか、、、

もっとよく見ようと後ろに回ったら、突然パッと飛び去った。
なんだ、飛べるんじゃないか!

巣立ったばかりだったのだろう。森の梢でじっと周りを見渡して、その瞬間を狙っている。いや、狙ってなんかいなくて、じわっと湧いて来るエネルギーが身のうちに充満するのを待っていたに違いない。蝉だってそうだもの。柔らかな薄緑の透明な羽がどんどん色が変わっていく。そして、いよいよ飛ぶ瞬間が近づくとコチッとした金属質の羽になる。そういうことが人間にだって起こるはずだ。(K)


2020年8月4日火曜日

命あっての物種

朝からぐんぐん気温が上がった。長かった梅雨から一気に真夏の太陽の下に放り出されたら、いくら意志の強いガハクでも参ってしまう。昨日は夜になっても帽子を被っているみたいに頭がぼんやりすると言っていたので、版画室から机を転がして冷房のある油絵の部屋に移動することを提案したら、素直に実行したガハク。もう以前のようではない。何が大事で、何がどうでもいいことか、すっかり分かっちゃったみたいだ。

「気持ちがよかったよ。楽しくてすごく仕事ができた」とのこと。初めてのことだ。ずっと扇風機で頑張って来たのは、誰に頼まれているわけでもない仕事に冷房を使うのは、世間に申し訳ない気がしていたからだそうだ。

『仕事』という言葉は画学生の頃、皆が使っていた。それをときどき笑う人がいる。彼らは知らないんだ、仕事の真の意味を。だから金が稼げなくなると軽んじられ、自らも堕することになる。コロナは戦争を無くして、貧困の真実を知らしめ、命あっての物種だということを教えてくれた。(K)


2020年8月3日月曜日

真っ直ぐの道

今日は髪にも砥石をかけた。柔らかな髪が頭に載っている感じになっただろうか。生え際は繊細だ。注意深く磨いている。後ろまで続く頭の形を想像させる部分だから、疎かにしてはいけない。

砥石を尖らせて使った。番数の高い砥石を それよりもっと粗い砥石で削って、まぶたの奥や小鼻の縁の狭くて細い場所に当てる。道具も工夫しながら、真っ直ぐの道をゆっくり進んでいる感じだ。(K)


2020年8月2日日曜日

ガハクUFOに遭遇

ガハクは高校生の頃、一人で南アルプスの末端の尾根を登ったことがある。正月の寒い時期だけれど、静岡側から取り付く尾根には雪は無かった。ところが途中で道に迷って、深い谷に降りてしまった。
「山で迷ったら、高い所へ上がれというのは本当だね。早く里に降りようとして谷に入って、川伝いに下って行くと、必ず滝があるんだ。絶壁だからどうしようもない。また登り返して遠巻きして下っても、再び滝が出て来る」もう暗くなったから尾根でビバークしたそうだ。寝袋に入って頭だけ出して、、、
すると、夜中に山の向こうがパーッと明るくなった。光が少し弱くなって、またパーッと空が照らされるのをじっと見ていたそうな。まるで車のヘッドライトがカーブを曲がる度に辺りが照射されるような風だった。でも、山の上にはハイウェイも道路もない、そこは高山だから。
次の朝、尾根を高い方へ向かって歩き出した。やがて元の道に戻れたので、無事下山。
家族はさぞ心配しただろうが、父親がガハクのことを信頼していて、騒がず、まあその通りになった訳だ。

白い人といい、UFOの照射といい、見てしまう人はいる。運命とはそのようなもので、真実を知ってしまった人、遭遇した人は引き受けるしかない。森の中を流れる水も 梅雨明けと共に透き通って来た。ゴム長の周りをさらさらと洗ってゆく。(K)




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