2018年7月14日土曜日

描く意識と見る意識

やっと樹の描写にもどれた。画面上でどこが主でどこが従だと言い切れる場所はないが、意識が強く吸引される場所というのはある。しかしそこがどこなのか、画家は意識してはいけないのだ。むしろ成り行きに任せた方がいい。描く意識と見る意識は別の次元に属しているのだから。(画)


2018年7月13日金曜日

梢の月

質量が無い空の月。透明で澄み切っているその光が、梢を通り抜ける時に虹色に変化する。月を薄く彫り直したら、バラバラだった梢の塊が月に向かって並び始めた。一つの法則が見えて来た。鋭い線に囲まれた梢の一つ一つの塊の中に閉じ込められた光は、ゆっくり膨らんで、やがて境界線を越え、滲むように周りに広がって行く。今見えていることは限界までしっかり彫り付けておこう。(K)


2018年7月12日木曜日

色は歌い色は叫ぶ

芸術の条件の最後の一つに社会との交通を言ったトルストイは全く間違っていたのだ。多くの芸術家はそこでつまづいてしまう。芸術を誰にでも分かり易くしようとしたらその価値の大半を失ってしまうのは明らかだ。
それを逆から読んで売れる芸術家は詐欺師でしかないと言った人もいた。真っ当な芸術家の態度としてはその方が誠実と言えなくもないか。
色は歌い色は叫ぶ。(画)


2018年7月11日水曜日

労働の影

アトリエの夏は、昼も夜もドアも窓も開けっ放しだ。扇風機をブンブン回して石の粉を吹き飛ばしながら彫っている。夜になって驟雨、トタン屋根を叩く音が激しかった。9時を回っても止みそうにないので、雨具を着てゆっくり帰り支度。今夜も国道299の夜間工事は雨の中でも行われていた。片側一車線交互通行の指示に従って自転車でシューッと走り込んだ。でっかい車両がアスファルトを流し込んでいる横を過ぎる。もうもうと立ち昇る油煙に息を止めて通過。工夫たちの白いヘルメットが光っていた。あちこちからサーチライトで照らされるので前がよく見えなかった。前方に、斜めに、横にと動く自分の自転車の影を眺めながら走った。(K)



2018年7月10日火曜日

ちょうどいい色数

最初の頃、色味の豊富な絵を描くにはたくさんの色を使えばいいと思い、持っているだけの絵具をパレットに全部出し使っていた。色味と色数の違いが分からないでいた。
いい色だと褒められるようになった時の絵は灰色に見えた。
今では色味を豊富にする方法は、使う色数を減らすことと、色を可能な限り混ぜ合わせること、この二つ以外にないと思っている。過去の多くの名画はこのどちらかをしているに過ぎない。
驚異的なのはそれで独創的で個性的な絵になっているということの方にある。(画)

2018年7月9日月曜日

光と熱

今日は子供たちに天体を描いてもらった。幼い子には太陽を、少し大きくなった子は星を、大きな子にはペンで月の陰影を精密描写。すべてを照らす太陽がいちばん元気でないと宇宙は暗くなるのだからと言われて、いや、言われなくてもこの子はぐんぐん描いたであろう。生まれてまだ間もない子の3枚目の絵の方が、いっしょに描いている私の絵より遥かに強く輝かしかった。赤と黄色の熱と光の融合、感情と知性は幼い子らの中では一致している。なのに、いつの頃からか、だんだん大人に近づくにつれて、言うことと為すことが分離するんだ。まだわたくしは『山のぞうけい』に来る子には信頼されているようだから、このまま前に突き進むことにする。(K)

2018年7月8日日曜日

孤独死

孤独死なら自信がある。たぶん将来の自分は孤独死だろうと思うし。それに孤独に死ぬ、ってそりゃ誰でも免れねえよ。人は全て孤独に死ぬんだもの。そういえば心中ってのはそういうのに抵抗してるんだろうけど多分ダメじゃないかな。ロマン?一緒に死んでやるしかない、って宮沢賢治は書いてたけども。
ここで問われているのは孤独に死ぬことではなく、生き方なんだ。孤独と向き合いどう生きたかが死ぬ時に問われちゃうんだ。今生きている我らにとってはどう生きてるかが問題なんだ。
よねー。
「ガジュマルの樹」の下の人物を描き直している。(画)


よく見られている記事