2020年9月26日土曜日

草の露を払いながら進む

ここら辺りまで来ると、もう素振りはしない。道はないし、足元は凸凹だし、頭上は木に覆われて木刀が枝に引っかかるからだ。草の露を払い落としながら進む。そうしないと、ゴム長を履いていてもズボンの膝から腰までびっしょり濡れてしまう。ときどき蜘蛛の巣を払ったりもする。ネバついた糸が顔にべったり張り付くと、不愉快だからだ。

「ちょうどこの辺りだよね。トワンがいなくなったのは」とガハクが言う。あの時は深い雪に覆われた山の斜面を猪を追いかけて、しかもそれからミゾレが降り続いて、臭いが消えて、帰って来れなくなったのだった。必死に探した。5日目の夕刻、山向こうの村でトワンと遭遇した時の喜びは忘れない。車に乗せて二人と1匹で眺めた山の上の星々の美しさも。あれからトワンは獣と出食わしても、二度と深追いしなくなった。失敗は繰り返さない。

獣道とガハクの踏み跡が重なって、新しい道が作られて行く。(K)



2020年9月25日金曜日

空の方舟

今日不思議なことがあったんだよ!
雨の中、アトリエの屋根に上って煙突の先端部の改良に取り組んでいた時だった。「こんにちは〜っ」と明るい声がかかったので下を見ると、こっちを見上げて満面の笑みを浮かべている人がいる。風が変わった。こういうのは突然来るんだ。全く予期しない時に。

ガハクが庭のモミジの木に上っていた時と同じだ。いつも無愛想で挨拶もしてくれない爺さんが自分の方から「ご苦労さん」と声をかけて来たので、木から落っこちそうになったくらい驚いたと言っていた。こういうことが起こるのは、力関係とか情勢とか何かが動いたからだろうけど、こっちはいつものようにやっているだけなので何の用意もない。気の利いた受け答えもできないままただ風に吹かれている。

方舟はいつでも乗り込めるように用意されている。あの山の上まで今朝もガハクは登った。傘をさしていたから今日の素振りはお休みにして、草の水滴を払い落とすのに棒を横に振りながら歩いたそうな。台風は東の海上をゆっくり遠ざかって行ったようだ。雨は細かな粒で降り続いている。(K)






2020年9月24日木曜日

超自然のパン

今朝 私が練って、ガハクが焼いたパンだ。形も味も色も安定して焼けるようになった。このペースがいいみたい。ガハクが生還してからずっとこのペースでやっている。

朝はご飯を炊いている。で、お昼はサンドイッチとふりかけ弁当。夜は冷やご飯で、おかずをしっかり作っている。ガハクの体重が遂に60kgに届いた。初めて見る数字だ。ぶかぶかだったズボンがちょうど良くなった。骨がコツンと当たったお尻や腰にしっかり肉が付いている。

ほっそりした体型は個性だと思っていた。子供じゃないのだから、お腹が減ったら自分で何か冷蔵庫から出して食べればいいとも思っていた。食欲がないということがあっても気にしていなかった。日々の食べ物が何よりの薬ということを身を持って知った。病気になれば薬を飲めばいいくらいに簡単に考えていたけれど、こんなに大きな影響を及ぼしているなんて。

ガハクの体は倒れてからひと月で32kgまで落ちた。 それからリハビリして、少しずつ体を鍛えながら作って来た。無くなったものを一つ一つ作り直すのは、感動的だ。ストレッチの効果がすぐに出た。普通なら何年もかかるはずなのに、数ヶ月で体が柔軟になって行った。無からの出発は、邪魔をするものがないので、体の反応が素直なのだ。

目の前にいる人が日々元気に蘇って行くのを喜びを持って眺めている。(K)



2020年9月23日水曜日

朝霧に包まれた山

今日から心を入れ替えると宣言した10日前、ガハクに「心を入れ替えるって、どういうことだろうね」と聞かれて、「自分の中にある執着や習慣や思惑の良くないと思えるものをすっかり外に出して空っぽにすること。そこへ、新しいこと、やりたいこと、大事にしたいことを一つずつ入れて行く」と答えた。

砕石山のサイレンは毎朝8時に鳴るのだが、それよりずっと前からゴロゴロガタガタと砕石を運ぶベルトコンベアの音が響いている。でも、何時から動いているのか30年以上もここに住んでいて考えたことはなかった。まだ布団の中だったからか、意識したことはなかったんだ。それが昨日と今日でぴっちり7時13分に動き始めることに気が付いた。おそらく担当の作業員が7時に機械を点検して、作動するのはその時刻になるのだろう。

まだ山が静かなうちにガハクは散歩に出た。素振りは回数が増えて250回。最初の50回は大きくゆっくりと振る。次の100回は歩くのに合わせて振り、最後の100回は鋭い振りに合わせて速く歩くのだそうな。

山の上はすっぽり霧に包まれていた。(K)




2020年9月22日火曜日

小さな翼の飛翔力

鍛え直したノミはよく切れて、とても彫れないと思って諦めていた場所にノミ先が届いた。ヤスリが当たらないえぐれた凹面のキズも、平ノミを使って舐めるようにそっと叩いて削り落とした。

なんだ、やれば出来るじゃん!という感じ。

最後に胸に張り付いていた翼を引き離して小さくした。この方がずっと力強い。飛翔力が上がったのだ。(K)



2020年9月21日月曜日

白い樹

 「今日はずっと樹を描いていた。この絵のテーマは樹だね。方舟でもなくMの家族でもなくて」とガハクが言う。すぐにどの樹のことか分かった。退院してから最初に筆を入れたのがこの樹だった。白をいっぱい混ぜた色でぐいぐい1日ですっかり塗り替えたのだった。

命はどこから湧いて来るのか、死にかけた人が何にすがって生の方へ戻って来れたのか。ガハクの体に何度も奇跡が起こった。木は枝を切り落とされてもまた蘇る。虫に喰われたり病気になったり嵐で倒れたりしても 根こそぎ抜かれない限り、生き返る。

「死は解決にならないんだよ。僕が見たそのままだったら、生きているうちに解決できなかったことは、死んだらもっとややこしくて酷いことになる」と言う。混濁した意識の中で見たものを 今もはっきり覚えているガハクである。(K)



2020年9月20日日曜日

心を入れ替えて1週間

朝から雨だったので車でアトリエに来た。中に入るとタールの臭いがしたが、煙突から水は漏れていなかった。 先日屋根に上って煙突の傾きを直した効果がさっそく実証された。

雨トイの傾斜も直したのを思い出して傘をさして裏に回ると、静かに流れていて、どこからも滴は垂れていなかった。

気温19度じゃもう冷房を使うことはあるまいと、窓用エアコンを嵌め込むときに切り抜いたベニヤ板をアルミテープで縁取りし、エアコンの裏側を塞いだ。これから雨や木枯し、雪が舞うこともあるからね。

トワンの目を彫る為によく切れるノミが欲しくなったので、午後から鍛冶仕事をした。新聞紙にマッチで火をつけ、木切れに火が移った頃合いを見て送風。バーッと炎が上がる。そこにコークスを載せると灼熱の炉になるんだ。今がまさにその瞬間だ。4種の形のノミ33本が出来上がった。(K)



よく見られている記事