2020年8月21日金曜日

血管

血管の谷間を狙って砥石を当てている。血管を削らないように、そーっと、慎重に。

子供のぷっくらした手が彫れれば、ゴツゴツした手だって彫れるのだ。ただやってみようとしなかっただけで、やってみたら意外と簡単だった。
自分の腕をときどき眺めながら彫ったのだけれど、右手と左手は同じじゃないのね。静脈の通り道は川のように流れやすい場所を選んで骨の尾根を何度も超えながら、指先へ向かっている。

リンゴの枝の途中から唐突に若葉が出て来るのもそうだ。木の中に水の流れがあるからだ。川の傍には緑が茂る、木の中の川だ。

もうすぐ、ガハクの足の浮腫みが消える。そしたら、血管がしっかり浮き上がって来るだろう。ガハクは採血する度に「ずいぶんしっかりした血管ですねえ」と褒められるそうだから、体の中の川が滔々と音を立てて流れているということだ。(K)


茜雲

霊視とは特別な能力のことじゃないそうだ。夕焼けの色で明日の天気が分かるようなことだと書かれている。顔を見ればその人が信用できる人かどうか分かるのと同じだ。

茜雲にも不吉なのがあって、20年前に家に向かう電車の窓から眺めた不気味な赤黒い雲がそうだった。これから帰る山並みの上に低く赤く燃えるように棚引いていた。その翌日から三日三晩降り続いた雨で駅のすぐ前の山が一気に崩れたのだった。あれからは、もうあんな気持ちの悪い夕焼けは見ていない。何にもないことの平安。この静寂を退屈だなんて言う人は、地獄に属している。

トンボが飛び始めて空気が乾いて来たせいか、今日はハンマーの柄が抜けそうになったので、バケツの水に沈めて木をふやかしてから石を彫った。日が沈んで涼しくなってから、畑の作物に肥料をやった。汗だくになりながらも、清々しい気分だった。

リンゴの小枝のシルエットが哀れだ。葉っぱがだいぶ落ちてしまっている。今年は小さな実しか採れなかった。冬になったらたっぷり肥料をやろう。リンゴの施肥は寒い時期にやるんだ。(K)


2020年8月19日水曜日

生まれたばかりの球

今夜は涼しい。ガハクは版画室にいて刷りをしていた。
「ほら、ここ!」と指差すところを見ると、光に包まれた字が強く浮かび上がっている。そこを読もうとして顔を近づけると、
「とおめいなまるい球が出て来たよ」と言う。字ではなく球体を捉えようと、目のレンズをぐっと広角に変えた。小さな球体は、生まれたばかりのようにまっさらだ。そこに刻まれた字はくっきりとして美しかった。特に真ん中の一行だけが。

ずっと、背後の渦が主題なのだと思っていたので、意外な展開に驚いた。嵐や光や霧や小さな生命体を放射している大きな渦の真ん中にある穴は、放出されたものを再び飲み込もうとしているようにも見える。

あれが私たちの住む球であるはずがない。つまらないことに拘泥していては、夏が終わると終わってしまう。『囲』という漢字が、白く発光した小さな部屋に見えた。文字が絵になって遊んでいた。(K)


2020年8月18日火曜日

冬至カボチャになるかな?

これはアトリエの畑の長カボチャ。3粒しか蒔かなかったのに、この旺盛さ!実が生るまでには相当時間がかかる。4月に播種して、今やっと花芽が付いたばかりだ。大きいのが雄花で、クルンとねじれたガクに包まれている小さい方が雌花だ。

虫媒花のカボチャだけれど、猿よけネットがあるから、蝶々は中へ入れない。受粉を手伝ってくれるのはもっと小さな虫たちだ。蜂、てんとう虫、シジミチョウ、、、あといろいろ。

ときどきネットを伝って空へ這い上がろうとしている茎がある。放っておくと網目を潜って外に顔を出すから、そっとツルをほどいて地面に這わせているんだよ♪(K)


2020年8月17日月曜日

セグロアオトンボ

沢沿いの山道でトンボに出会うと必ず写真を撮って来て見せてくれる。ガハクは糸トンボが好きなのだ。これは何というトンボ?と聞いたら、「セグロアオトンボ!」とサッと答えて、すぐに「ま、僕が付けたんだけどね」と付け加えた。名前を付けてもらって嬉しそうじゃないか、セグロアオトンボくん。

暑い夜が三日も続くと、さすがに頭が痛くなって来た。夜に安眠できないからだ。で、今日は一大決心をして、エアコンの修理を頼むことにした。メーカーの三菱のホームページから修理依頼をしたら、まもなく確認の電話がかかって来たのはいいが、修理は6日後になるとのこと、、、ボー読みだから、ただ手元の文章を読み上げているらしい。了承はしたものの、不満が残った。

夕方やっとアトリエに出かける気力が出て、少し石を磨いた。耳とうなじ。

家に帰ると、何と、ガハクが他の業者を探していて、しかも明日来てくれることになったと言うではないか!「Kが体調を崩しているのに、あと6日も待てないよ。危ないから他に頼んだ」と。キャンセルは何とでもなる。急がねばならないこと、ケチってはいけないこと、決断しなければならないことは二人でやれば出来る。お金も午前中に郵便局から引き出しておいた。用意万端。あとはガスの注入だけで冷却装置が復活するのを願うのみだ。もう20年以上も前に買ったエアコンだからねえ。音楽の仲間がうちに練習に集まるから、2台一気に設置したのだった。あの時はガハクが驚いていた。「窓用エアコンを探しに行くって言ったのに、大きなのを2台も」と。必要ならばいつだってドンと買うんだ。

アトリエの野原に今日から赤トンボが飛び始めた。(K)



2020年8月16日日曜日

ガハクの目

もう三日も瞳の穴をほじっている。穴が深くなればなるほど、目が鋭くなるばかりで光が乏しくなる。で、今日は思い切って穴の縁を広げた。二重のラインを入れたら虹彩のニュアンスが出て柔らかな眼差しになった。さらに眼球の側面を切り込んでみたら、目がぐっと顔の中に収まった。

夕食を食べながらガハクの目を眺めた。測量的に形を覚えるのではなく(そんなものは何の役にも立たない、命のないただの写実だ)優しい形や淡い光や煌くものを吸収する。会話の中にも入っている。印象というだけじゃなく人格というものに近い霊的なものを覚えておけば、石の前に立った時に彫り進むことができる。

ブレイクが「自然は私を阻害する」と言った。ガハクも「描こうとするものを見てはいけない」と言う。目を彫っているとそれが分かる。怖じけた意識では目は彫れないんだ。(K)


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