2019年1月19日土曜日

殻を破って出て来たものは

川の流れが球をぐるっと回って外にまで広がって行くように彫り直した。 一つ変わると、次々と周りのものに連鎖する。川のすぐ下にある卵の形をじわじわと溶かして行ったら、トワンを取り巻く気流の回転が急に速くなったような気がしたので、トワンの足元の地面を思い切って削った。

卵の殻を破って出て来たものは、犬の形をした天使だった。これはガハクがずっと前から言っていたことだったけれど、今はっきりと分かった。天使は森を生き生きと蘇らせる。風景がくっきりと立ち上がる。(K)


2019年1月18日金曜日

描きやすさ

トワンのあの透明な眼差しを思いながら顔を描いた。でもその眼差し…目は描く対象としてなのか、それともその目から見たものを描くのか?
さてうまくいかないのはいつものことだが、こいつはいつものパターンで描いてるからダメなんじゃないかと思えた。
いつもの描き方、対象の光と影の分量を七三くらいにするとか、反映を入れたり入れなかったり…輪郭部は絵具を薄くしようとしていたり。こういうことは「描きやすい」からやっている。経験から結果が大体予想できる。それがそんなに悪くないと思っているからなのだが、だいたいほとんど無意識だ。そしてそれがパターン化する。
光と影の代わりに輪郭線で描いてみようと思い、ついでに輪郭部を一様に厚く絵具を塗ってみた。

誰でも今の自分を変えたいと思わないのかな。うまく行っているなら思わないだろうな。(画)


2019年1月17日木曜日

川の色

森の中を流れる小さな川を彫り直している。

川のずっと下流の方まで刻んでみたくなった。森が膨らんでいるその下の地形が見えるように彫ろう。キラキラ光りながら流れて行く川の色はその深さを教えてくれる。トワンが向こうに行ってからは、風景をただ模様を刻むことで終わってはつまらないと思うようになった。

途中で左脇が突っ張って来たけれど、今夜は意欲の方が勝っていた。川が卵の渦に吸い込まれるように斜め下に流れて行ってすーっと消えるところまで彫って、今夜は終了。(K)


2019年1月16日水曜日

イコン

トワンがいた頃は一緒に山に行って薪集めなどほとんどできなかった。彼は見張り役にすぐ飽きて勝手に一人で帰宅してしまうのだ。かと言って僕だけで山に行こうとすると連れていけとうるさく吠えたてる。
今はどこにもいないしどこにでもいる犬になった。
一人で山に入って作業しているとあちこちから顔を出す。いつでも一緒に帰ることもできる。
(こんなことを書くとガハクはとうとうおかしくなったなと思われるだろうな、いやその通り)

母子像の二人の子供を描いている。ここだけで聖母子像のようになったぞ。(画)

2019年1月15日火曜日

腰の位置がやっと決まった

とうとう今夜、腰の位置が決まった。前のめりでもなく腰が引けてもいない、力んでもいなくて脱力もしていない普通に見える状態を捉えるまでだいぶ時間がかかった。出来てしまえば当たり前なのだが。

「こういうことをしている彫刻家はもういないだろうな」とガハクに言われた。確かに私も彫りながらそう思っていた。腰の回り込みなんかにいくら手間暇かけても誰も気がつかないだろう。だけど、ハーバードリードとかウィリアムブレイク、ジャコメティやガハクの目にはその違いが分かるはずだ。

ましてや神の目にはである。自分の目のなかにあるものに嘘は付けない。(K)


2019年1月14日月曜日

すばらしい「平俗」

印象派の絵についてのリードの記述が目に止まった。
「自然の“抒情”の完全な表現で、それはちょうど二流の詩のようなものだが、それなしではいられないほど甘美なのだ。しかし彼らが抒情を超え外面の美を超えて、あの偉大な様式のすばらしい“平俗”に達し得ないことはすでに明らかだ」
昼間ブレイクの水彩画の小さな荒れた図版を眺めて感心していたところだった。こいつはまさにピッタリだ、ブレイクこそ“平俗”そのものだと思った。「偉大な様式のすばらしい『平俗』」!
夜は『森』の絵の右下に植物を描いていた。(画)


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