2018年11月17日土曜日

いなくなって現れる

トワンのまわりの渦をぐんぐん大きくしているうちに、山がすっかり渦に隠れてしまった。二つの渦の間をどうしようか、左から流れ込んでいる激流を彫りこもうかと悩んでいるうちに体内バッテリーがエンプティー。今夜はここまで。トワンが死んでから彫刻の中のトワンが生き生きとして来た。(K)


樹の形

自然の中で生まれる樹形はその樹の環境に最適な形にできあがっているのだろう。それを人が剪定するとなると生花と同じでそこに人の美意識が入り込んでくる。抽象美の世界だ。しかしその美学はそもそも自然を観察しそこから感じ取った何かを元に生み出されたものではないか。
自然と美のどちらが先とは言わない。自然は神の領域、美は人の領域。神が先か人が先か…しかし実はそれらは入れ子なのだ。
樹を描きながらそんなことを思った。(画)


2018年11月16日金曜日

冒険している

冒険に大きいも小さいもない。新しい歌を歌おう。それは目新しいことじゃなくて、人目を引くことでもなくて、ただ発見することなんだ。空の向こうのずっと遠くまで見通すことが出来れば一気に真っ直ぐそこまで飛んで行きたいが、人間だから一歩ずつ前に進んでいる。トワンが先に登ってはこっちを振り返って待ってくれている。夕方は茜色の空が広がって、朝はピンク色に山が染まる。夜は月のそばに火星が大きく燃えている。今のうちだ。ガハクと話せるだけ話そう。意識の革命を起こすのだ。(K)


2018年11月15日木曜日

「ガジュマルの樹」の花に鳥。花の蜜を吸いに来るのだ。飛びながら蜜を吸うハチスズメ?彼らはいつもツガイでやって来る。Sの頭上を舞い彼を祝福する。彼は画家なのだ。霊感の元で仕事をする。彼の目は鋭くも優しく対象をしっかりと見続ける。生の向こうにある死までも。(画)

2018年11月14日水曜日

月の光

月を空より抉ってみた。質量のない光だけの存在。インディゴブルーの天空に光の球が浮遊している。山の稜線に光が溜まり、男の顔も月の光を浴びて輝いている。(K)


2018年11月13日火曜日

パパを守ってよ

深夜になって腹痛が来て描こうとしても体が動かなかった。しばらく寝転がっているとおさまってくるので絵の前に座り直すのだがすぐ腹が痛くなってくる。
苦しさを我慢しながら描いていると、芸術に憑かれた巨匠のように思えるから悪くない(強がり?)。
よく起きる腹痛には困ったものだがトワンの手足を洗い体のブラッシングをする時、よく腹痛があったのを思い出す。
「トワン、今日はパパお腹が痛いんだよ、治してよ、パパを守ってよ」とブラシをかけながら呼びかけたものだった。
もっと描き込まねば。(画)


2018年11月11日日曜日

水の中の月

海を深く抉っている。海の暗さが欲しいからなのだけれど、石の縁のところはどうしても明るくなる。頭で考えたようには行かないので、彫りながら探っている。

ここまで深くしてみて気が付いた。海も実は空洞で何にもないところなのだと。水で満たされて初めてどこにでも行ける自由空間になるのだ。空もそう。満たされているものがあるから美しいのだ。窓がオレンジ色に染まるほどの夕焼けと、空中に充満した輝く光の粒がそれを証明してくれた。

海に漂う月はほんのりと明るい。甘くて美味しそうな形になった。(K)


光に包まれて

暗い室内に窓だけが燃えたようなオレンジ色に輝いた。アトリエの窓は西を向いている。隣の部屋の窓を見るとそこもオレンジ色に輝いている。思い切って窓を開けベランダに出てみると、庭も森も線路も遠くの採石工場もオレンジ色の中にあった。オレンジ色の空の下で風景全体が燃えるように輝いていた。

丸い球の中に霧を充満させたまえ。そこに斜めの光線を強く当てるのだ。すると球はオレンジ色に燃え上がる。
『ガジュマルの樹』空の黄色にオレンジ色を強くしてみた。(画)

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