2022年3月29日火曜日

季節は移り人は変化する

Kyokoの転院が終わった。
大学病院の集中治療室を出て距離がさらに遠くなる病院に移った。今までの大学病院に比べれば建物も小さいし古い。病室も廊下も狭く待合室も広くはない。地域病院というのはこういうものだろうかという感じ。

でも印象は悪くない。転院先の条件が厳しく紹介された二つのうちでここしか選びようがないという事情の割には幸運だと思えた。あの大病院の広さと冷たさ、よそよそしさには閉口し始めていたし、むしろ小さくても人が見えるような気がする方が心強い。最初の紹介段階で会った院長の話しぶり看護師の人柄も気に入っていたのだ。

今日改めて場所を変えて寝かされているKyokoを見て顔つきの穏やかさに安堵した。今度の入院中で一番美しかったのが嬉しかった。歯はもっと綺麗になると言うしマッサージも髪も切ってくれると言う。頼もしい。

ただ病状に関しては厳しい事を言われた。覚悟をする為の時間に余裕はなさそうだ。病院を出て駐車場から彼女が寝かされているであろう病室の窓を両手でハンドルを持ったまま見つめていた。これがあの人との最後の面会になったのかもしれない覚悟をしなければと。

病院から帰る途中で車を公園に停め行動食のサンドイッチを食べ散歩した。桜は未だ満開には遠い。強い風が吹く中を人のまばらな広場や川のほとりを歩いた。

季節は移り人も変化する。何かが始まれば何かが終わる。何かが終われば何かが始まる。それを悲しいと思うか嬉しいと思うか。それは感じ方考え方でしかないのか。Kとガハクは今どこにいるのだろうか。
ガハク



2022年3月19日土曜日

一年目の春

この季節を恐れていた。やって来るのが怖かった。とにかく時間が過ぎるのが怖かったのだ。寒い冬のまま時間が凍結してくれた方がいいと思っていたから。

でも否応なく気温が上がり暖かい季節がやって来た。春。暖かい風が吹き強い日差しが来る。どうした事か怖いものがやって来たというのに心のどこかにワクワクするようなものを感じる。何かが新しく始まっているのだという気さえする。

今まで感じたことのない春がやって来た。ガハク


2022年2月23日水曜日

新しい出会い

いつも時間に追われた気忙しない毎日が続いている。というのは錯覚で実は多くの時間があるのにその殆どが無為な過ごされ方をしているという思いがあるからそんな気がしているだけなのだろう。

少しずつ現実の状況に合わせて動かざるを得ないという事実に抗っている自分がいる。現実の過酷さと時間という鈍く重い凶器のような圧力。苦い悔恨の持つ鋭い痛苦。そういうもの全てに全体で抗っている。

悲しみこそが永遠の友であり続けるだろう。それだけが今を生き抜く為の武器であるとしか思えない。
Kとガハク



2022年2月18日金曜日

エヴァの木

久しぶりにエヴァの木をしげしげと見た。あの時以来いつもちらと視線を向けはしても余り注意せずに通り過ぎた。光が強くなって来たせいもあるのだろう。木がくっきりと浮かび上がる。上へと伸びる力強さとその肌合いも冬を抜けつつあるこの日に復活したかのようだ。この木をエヴァと名づけ左の木をアダムと名づけたのもKとガハクの象徴として感じたからだった。しかしそれをKyokoに伝えたことはない。

悲哀が心の底に鉛でできた錘のように据えられて体全体から蠢くような勢いが出てこない。どうしたらこの苦しい状態から抜け出すことができるか。

悲哀を乗り越えるのではなく解消しようとするのでもなく悲哀を現実のものとして共に生きる。通奏低音のように常に聞こえている空間の中で。それでしか生きていくことはできないのじゃないか。そんな風にしか今は考えられないでいる。

Kとガハク



2022年2月3日木曜日

支え

ようやく昼間にも絵が描けるようになった。

絵の前に立つ事はできるようにはなったが、筆をとっても絵具を画布に載せるという所まで行くのに時間がかかった。今までそんな事は一度もなかったように思う。意味も理由も分からなかった。どうして絵を描かねばならないのかと自問した。この歳でおかしな事だ。

夜なら描けるようになり先日遂に昼間から絵具を練ったり画布に向かって何かをする時間が増えた。しかし『妻の肖像』この主題なら描けるとは思ったが、本当に体の奥から突き上げて来るような衝動を元に描くという所までは行っていない。空虚だ。

元々そんな衝動や情熱が自分にあっただろうか。何を以て絵を描いてこれたのだろうか。そんな疑問が湧く。

画面の上で何かをすればその結果何か問題が発生し解決しようと作業が続く。疲れたらおしまい。今はそうやって時間を使う事。描くという事をするしかないらしい。そうやって描いているうちに絵の方が教えてくれるに違いない。(ガハク) 


2022年2月2日水曜日

覚悟

なんと今年最初の絵具練りだ。もう二月ではないか。通常なら三日に一度くらいは色を練ってもおかしくないが去年の暮れに起きた衝撃で絵を描く気力が湧かなくなってしまっていた。少しずつ描いてはいても去年までのストックで十分だった。その絵具もとうとう無くなり今日は二つの色を練ることにした。特に気力が出て来たわけでもないが以前の制作のペースが戻って来るならそれに越したことはない。

練りながら考えていた。2年前の今日、重症肺炎で90パーセントの死亡率を宣告された時、明け方の光が差し込む待合室の窓から空を見上げていたKyokoの心境はどうだったのだろう?当時のブログを見ると「その時静かに覚悟が広がって行った」と書いてある。

その後の僕は奇跡の様に回復できたので当時の彼女の「覚悟」がどういうものだったのかよく確かめずに来てしまった。立場が逆になり今は病室で眠っている彼女の状況を考えた時その「覚悟」がどいうものか知りたい。相手の死の予感を前にしての「覚悟」。(ガハク)



2022年1月27日木曜日

森に行く

毎日森に行く。嘗ては趣味のようなものだった。春夏秋冬、季節の移り変わりを見るのが面白かった。やがてそれが絵に行き詰まっていた頃に新しい主題として救いのように降りて来た。風景自体を主題とするのではなくとも周りの自然は、たとえば人物表現の上でも通奏低音のように響いているのを感じた。

あの日を境に趣味のようなものだった事が今や義務のようになった。取り憑かれてしまったのかもしれない。1日に1度では足りず2度登るようになり、今日は遂に早朝と昼と午後の3度森を往復した。できる事なら戻りたくない。少しも疲れないし、このまま歩き続けてどこまでも行けるならどんなにいいだろうと度々思う。

しかし戻らなければいけない。Kyokoがいるのだ。その身体は今は少し離れた所ではあるけれど確かにそこにいて生きて呼吸しているのだ。そういう彼女を見守る義務がある。それは僕の喜びなのだ。彼女が真剣に心を込めて作り上げた作品と共に彼女自身も僕も一緒にいなければならない。

森に埋没するのを求めるのではなく今は「何か」をそこに見出したい。「何か」を教えて欲しい。できれば新しい自分を発見したい。そしてそれはきっと今よりずっと良い「私」であるはずだ。(ガハク)

2022年1月21日金曜日

妻の肖像

絵が描けない。筆を持って画布に向かっても画面に届く頃には力が入らない。どうして俺は絵を描くのか?数週間経ってこれなら描けるかもしれないというものを見つけた。妻の肖像だ。

肖像というのを意識して描きたくなかった。現象に引きづられるのが嫌だからだ。一つの個性とかありようというものを念頭に置いて描こうとすると、その形の特徴とか個性的な印象とかいうものに激しく囚われてしまい、自発的に自由にキャンバスに向かえなくなるのを恐れるからだ。

しかし恐れていたら描けなくなるだろう。これ以外に描けるものがないならそれを描かねば。例えばゴッホが麦畑でたった一人グリーフに捕まって死んだように、描かねば死ぬかもしれない。

しかし妻が今生きている以上僕が死ぬ訳にはいかない。互いに相手を守るという約束を今こそ果たさねばならない。ここに描く主題を見つけた。これなら何とかなるかも。

「妻の肖像」を描く。(ガハク)



2022年1月13日木曜日

パレット

今日の結果はこれだ。

僕が救急車で運ばれる直前まで使っていたこのパレットを入院中にKyokoが掃除してくれたのを思い出す。あの時はもっと絵の具で汚れていたがこんな感じだった。それ以外にパレットを掃除させた事など一度もない。いい思い出になるんだろうか。

現実の過酷さに比べれば絵は夢想の中にあると思えたが今日それも又違うような気がして来た。これも一つの過酷な現実かもしれないと。鳥のように歌うように絵を描けるなら夢想は続くだろう。そうできない画家はやはり現実の中にいるしかない。いやそうあるべきだろう。過酷な現実に向かわねば本当の絵は描けないはずだ。

勇気を出せ。(ガハク)



2022年1月12日水曜日

『癒す手』

今日はこの絵を描いていた。小さな画面だ。10cmくらいしかない。

時々ひどく苦しくなる。今日もアトリエに入り絵の前に立つと、そのままじっと立っていられず、ただぐるぐると歩き回っていた。パレットさえ持つ気になれない。パレットは生きていく杖のようなものだと言ったこともあるのだ。その杖を持てなければ生きていけないではないか。

とにかく描こうと小さなのを選んだ。ずいぶん以前の天使の絵だ。ほとんど潰すように描き直しながら、
「あ、これは、Kyokoだ」と気づいた。「そうだ、彼女を描けばいいんだ」
そう思うといつの間にか描くことに集中できたのだ。

Kの彫刻に『癒す手』というのがあった。それを思い出した。彫刻でも同じように胸の前にもう一人の人が立っている。ただその人たちには目がない、または隠されているのだが。
(ガハク)


 

2022年1月11日火曜日

恐怖

面会に行った。ベッドが個室に移っていた。今までよりずっと静かで気持ちがいい。

病人の上にかがみ込んで顔を覗き込んだり、話しかけたり、浮腫んで大きい手を握ったり、額や髪を撫でたりしていると、唯ぐっすり眠っているようにしか見えない。ベッドの脇の椅子に腰掛けて静かに顔を見ていた。

そうか俺はこの人から片時も離れたくないんだな、ここに住めばいいんだと思った。

多くの励ましと慰めを思い出すと感謝の涙が流れる。心が折れそうになるとそれを思い出す。時に四方に深くお辞儀をする。自分の傲慢さが少しずつ削らて行くのだ。

でもいろんな用事が済むと、さて俺は何をしたらいいのかと考えてしまう。勿論分かってる絵を描かねば。しかしアトリエに入るのが実は怖いのだ。絵の前に立っている時間が怖いのだ。絵を描いていると彼女から自分が離れていくようで怖いのだ。

『悲しい、と思ったらその気持ちを俳句にしようとしたらいい、俳句にする為に言葉を選び出した瞬間から悲しみが癒されていく』という漱石の言葉が胸に刻まれている。

絵を描いていた。その瞬間は時空の別の場所にいるように思えた。これは人生の色々な脚色された一部分を演じているのだというような感覚。しかし時々ギクっとして

いまわたくしがそれを夢でないと考へて
あたらしくぎくつとしなければならないほどの
あんまりひどいげんじつなのだ』宮沢賢治

絵の前で慟哭。悲しみと孤独の圧迫感で胸が詰まってくる。気が狂うんじゃなかろうか。でも負けてはならない。狂気につかまるほど俺は利口じゃない。絵を無茶苦茶にしてしまいたいと思って筆を動かしていた。
(ガハク)



2022年1月10日月曜日

未来へのヒント

アトリエにある作品にはさっきまで手がけていたものと、完成したもの、終わったものに分けられてある。完成したものは少なく終わったものが大半だ。彫り直したくてもスペースの関係で隅に片付けられているものが多い。 今はこれをやろう、次はこれだ。という心算でアトリエの中央にいくつか置く。

この作品もKyokoが直前まで手を加えていたものだった。でも数日前のある時、僕に言うでもなく独り言のように「これはもうできた」というのを僕は聞いた。

今になって思うと作品の完成感というのは作者にとっては常に曖昧なもので、その実感を持ち得る瞬間を持つ人はそれほど多くない。そう思う。Kyokoにしても多分そうだ。若い頃はともかくある時期からは間違いなくそうだったに違いない。

だから「これはもうできた」と言う言葉はこの作品だけでなく、彼女の作品全てを理解すること。そしてさらに彼女そのものを理解する上で大きな意味を持つ。未来の僕に与えられた大きなヒントになるのだ。
(ガハク)


2022年1月9日日曜日

人は死なない

今日は絵が描けた。気持ちの不透明さが柔らぎ少し遠くが見えたような気がした。絵を描く意味は描かれた絵の方にではなく描く行為そのものの中にある。

自分の一生はそれを証明することになるのだろう。

そういう事を言うのを今までずっと避けてきた。自分の持分をはみ出し誠実さに欠けると思ってきたのか。傲慢に陥るのを恐れていたのか。頭が悪いのを隠してきたのか。

多分勇気が足りなかったのだ。意志力の弱さだ。いつまでも曖昧さの中に居続けられる生温さが心地よかったのだ。今はもうそれではダメだ。人は死なないと分かったのだから。
(ガハク)


2022年1月8日土曜日

描く意味

描こうとするが力が出ない。なぜ自分は絵を描くのかなどと言うことを考えるのを止めたのもずっと以前のことだ。それなのにふと今そんなことを思いつく。おかしな現象だ。心が弱くなっているに違いない。強くあらねばと思うがアトリエに入って絵を眺めていても描く気力?が出ないから仕方がない。大人ってすぐ「しょうがない」て言うよね、と教室に通っていた子が言っていたのを思い出す。でも「しょうがない」。

描けない時は描かなくていいんだ。描かなきゃいけないなんてことは何もないんだから。自分の心に従って行動することが絶対の自由の意味なのだ。描けない時は描かなくてもいいんだ。

Kyokoだってきっと今そう言ってると思う。
(ガハク)



2022年1月7日金曜日

ルーティン


今日の午後久しぶりに絵を描いた。
何かをそこに発見して修正したり付け加えたりするという作業。どの絵をその時描くか、直感に従って絵を選ぶ。正面に置いた絵を描きながら、ふと横にある作品に手を加えることもある。
それがボクのいつもの描き方なのだが、今日は闇雲にどうにでもなれとばかり手を動かしていた。手を動かせば必ず何かの反応が返ってくるはずなのに、今日はそれがひどく空虚なものだった。

胸の辺りに大きなしこりができて徐々に膨らんで圧迫してくる。息づかいが荒くなり自分がどうかなりそうで不安になった。こう言う時はその不安に知らんぷりをしてパレットにある絵の具をキャンバスに運ぶというルーティンワークを続けた。

夕暮れが近づき地域の防災放送からお帰りのメロディが流れ、ホッとして筆を置いた。こんな気持ちで仕事を終わりにする事があるとは思わなかった。

何とか料理をしてPCの前で休んでいたら電話が鳴ってドキッとした。電気代がお安くなりますという。機械的な人の声は現実離れしてひどく空拉なものだった。
(ガハク)

2022年1月6日木曜日

精霊の声


 林道の途中にある川ガラスのスポットだ。最近ではミソサザイをここで見た。しかしこんな寒さの中ではみんなどこかへ行ってしまっているに違いない。

ひっそりとして誰もいない道を上がる。いつも精霊の声を聞きたくて山に登るのがここ数年の日課になっている。数日前にキョウコの身に起きたこともここでのでき事だ。普通なら縁起でもない時と場所だと人は言うだろう。

でもやっぱり来てしまう。気合を込めて手に持つ棒を振り回したり、またがっくり肩を落としたりしながら道を登っていく。寒いのだろうがあまり感じない。

彼女は危機におよんだ時「大丈夫、大丈夫‼️」といつも自分に言い聞かせていたそうだ。だから僕も自分に言い聞かそう。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫だよ、kyoちゃん‼️

(ガハク)

2022年1月5日水曜日

これが現実か

執刀医立ち会いで妻と2度目の面会。

「今日はいい知らせではありません」と切り出されて言われたことは最悪だった。
血圧も血中酸素も心拍も正常、おしっこもちゃんと出ている。しかし脳のダメージが相当ひどく、ここからの意識回復はほぼ絶望とのこと。

体の芯に硬いものが落ちて来たようになった。握りしめていた手から急に力が抜けたのを感じた。震える手でベッドの上の彼女の顔に触れた。柔らかいし暖かい。直前まで一緒だった時とほとんど何も変わらない。ただ眠っているだけのように見えた。
声をかけたり肩を抱いたりした。反応がない。
医師がボクに座るようにと言い、暫くここにいるように、すぐ帰らなくていいからと言われた。ナースがベッド周りの仕切りのカーテンをしてくれる。ベッドの傍に座って二人っきりになった。

立ち上がってベッドの周りをウロウロ歩き回り計器類を見たり、角度を変えて寝姿を見る。いきなり彼女の上にかがみこんで顔を撫でたり脚に触ったりしながら「恭子」「キョウコ」「キョウコちゃん」と何度も呼ぶ。「俺を置いていくつもりか?そんなことはないよな返事してくれ」
反応はない。

いやこの人はまだ死んだ訳じゃないんだと思い直し、髪の毛を整えてやりながら「いや君はまだ生きてるんだよな、ごめん、ごめん」と頭を触っていたら彼女の目元から涙がうっすらと滲み出て来た。意識はないはずなのに。思わずナースを呼んでそのことを告げたら、患者さんにはそういう方もおられます、と。

次の面談の予定を立て病室を出た。
ラウンジで友人に電話をかけた。それからゆっくり車に乗った。夢の中のようなふわふわした気持ちで運転して帰った。

近所のパトロンから夕食の差し入れが届いていた。「しっかり食べないとだめです、とにかく食べてください」
家の中はやっぱりガランドウだった。水槽の金魚がお迎え。
別の友人に電話をかけずいぶん長電話をしてしまった。「今夜は眠れるかな」と言ったら無理に眠らなくてもいいんじゃないですかと。

別の友にも電話をかけた。「大丈夫です祈っていますから」と元気づけられた。そうだ祈ってくれ俺も祈る。まだ彼女は死んだ訳じゃない。

(ガハク)

2022年1月4日火曜日

買い出し


朝食の後久しぶりに一人で街までドライブ。
目的は役所に書類申請。もう一つは買い物。今日から仕事始めの市役所だったがすぐに用事は終わった。しかし次に買い物をと車の中を見たらバッグだけで現金もクレジットカードも家に置き忘れたことに気づいた。そのまま帰宅。部屋に入るとバッグも財布も机の上にきちんと揃えて置いてあったではないか。
昼食を終えてから出かけ直すことにした。

買い物も久しぶりだった。カゴを抱えて野菜や魚や肉を吟味するなんて、いつからやらなくなっていたのか思い出せない。ほとんど妻に任せていたのだ。
2年前の入院以来彼女がどんなにボクを庇って来たかを思い知らされた。

午前中は気が楽だ。昨日から考えていたやらねばならないことをやるのに時間はたっぷりある。午後になると少し気持ちが焦って来る。午後遅くなるに従い落ち着かなくなり、気づけば常に立ちっぱなしでウロウロしているではないか。

洗濯したりゴミを片付けたり掃除したり池の氷を割ったり散歩したり、そんなことで時間を使う。それから料理、ネットで検索したりしながら。これが一番気持ちが前向きになっていい。
そうか、マーエダさんの料理好きの理由はここにあったのか。

制作はほとんどできずにいる。アトリエにいてもどこか常に緊張していて腰が座らない感じ。2年前にボクが死の縁を彷徨っていた頃、病院への見舞いの後でキョウちゃんはアトリエに行きしっかり石を彫っていたのを思い出す。根性が違うな。

明日は病院に入院用品を届けに行く。コロナで面会は非常時以外一切禁止。病状に大きな変化(危ない)がなければ連絡はしないとのこと。だから今のところ大丈夫、と自分に言い聞かせている。
(ガハク)

2022年1月3日月曜日

初雪


久しぶりにガハクが書いている。新しい年。2022年の今日はもう3日の月曜日。2020年の冬に僕が重症肺炎で入院してから二人で交代で書いていたものをKだけが記述していた。

去年の30日の午後、いつも二人で行く裏山の頂点に立った時、彼女がうづくまり動けなくなった。僕一人ではとうてい運べず救急車を呼んだ。救急隊の他に山岳救助隊まで来て彼女を運んだ。救急車の中では寒い寒いと訴えながら握った手に気づいたのか「あなたはどこにいるの?」ボクはここにいるよ大丈夫だよと答える。頭を振りながら宙を見るようにして「頭がぼんやりしてよくわからない」

倒れたのが午後3時。5時病院に入り緊急手術。終わったのが翌日の午前5時過ぎ。案内されて医師やナースに囲まれ管やコードをいっぱい着けたKを見せられた。閉じた瞼と濡れた顎、全体がアルミニュウムでできたような顔だった。
壁には一面に計器類が張り巡らされていて波形や数字が次々と忙しく動いている。中には見慣れた数字もある。2年前の僕も見ていたものだ。

しかしそんな中で担当医が今は安定しているように見えるがいつ発作が起きてもおかしくない、最悪の場合は植物状態もありうるという言葉が恐ろしい。よく理解できない。シーツの上から足に触り、彼女の頬に手で触れて「キョウコがんばってねキョウコしっかりしてねボクがいるよトワンもついてるよ」と言うのが精一杯だった。

寝台から離れて元の待機室までもどった。何も思いつかない。考えるということが苦痛だった。手が震えた。要するに怯えていたのだ。何に?彼女が死ぬことによって俺が孤独になることが。二人の生活がこれから新しく始まるとさえ思っていた瞬間に、終わるのか、、

タクシーでの帰路雪が降って来た。アガノの道も真っ白に変わっていた。持ち帰り品の詰まった大きな青いビニール袋を家まで運ぶ道も白い。庭も玄関前も白い。家の中に袋を下ろして中を開けた時山に履いて行った彼女の靴がその中にないのを思い出した。付き添いの看護師が入院用の私物として持って行ったのだった。すぐ死ぬ人間に日常用の靴は必要ないだろう。そうだよね、すぐ死ぬと決まった訳じゃない。

2021年12月31日→2022年1月1日→2日と過ぎてだいぶ気持ちも落ち着いて来た。病院からの連絡は緊急でなければなし。順調であればなし、あれば悪い知らせ。ないことを願う。安心していよう。

料理もずいぶんやってなかった。やればできる子だからね俺は(笑)
(ガハク)


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