2022年1月13日木曜日

パレット

今日の結果はこれだ。

僕が救急車で運ばれる直前まで使っていたこのパレットを入院中にKyokoが掃除してくれたのを思い出す。あの時はもっと絵の具で汚れていたがこんな感じだった。それ以外にパレットを掃除させた事など一度もない。いい思い出になるんだろうか。

現実の過酷さに比べれば絵は夢想の中にあると思えたが今日それも又違うような気がして来た。これも一つの過酷な現実かもしれないと。鳥のように歌うように絵を描けるなら夢想は続くだろう。そうできない画家はやはり現実の中にいるしかない。いやそうあるべきだろう。過酷な現実に向かわねば本当の絵は描けないはずだ。

勇気を出せ。(ガハク)



2022年1月12日水曜日

『癒す手』

今日はこの絵を描いていた。小さな画面だ。10cmくらいしかない。

時々ひどく苦しくなる。今日もアトリエに入り絵の前に立つと、そのままじっと立っていられず、ただぐるぐると歩き回っていた。パレットさえ持つ気になれない。パレットは生きていく杖のようなものだと言ったこともあるのだ。その杖を持てなければ生きていけないではないか。

とにかく描こうと小さなのを選んだ。ずいぶん以前の天使の絵だ。ほとんど潰すように描き直しながら、
「あ、これは、Kyokoだ」と気づいた。「そうだ、彼女を描けばいいんだ」
そう思うといつの間にか描くことに集中できたのだ。

Kの彫刻に『癒す手』というのがあった。それを思い出した。彫刻でも同じように胸の前にもう一人の人が立っている。ただその人たちには目がない、または隠されているのだが。
(ガハク)


 

2022年1月11日火曜日

恐怖

面会に行った。ベッドが個室に移っていた。今までよりずっと静かで気持ちがいい。

病人の上にかがみ込んで顔を覗き込んだり、話しかけたり、浮腫んで大きい手を握ったり、額や髪を撫でたりしていると、唯ぐっすり眠っているようにしか見えない。ベッドの脇の椅子に腰掛けて静かに顔を見ていた。

そうか俺はこの人から片時も離れたくないんだな、ここに住めばいいんだと思った。

多くの励ましと慰めを思い出すと感謝の涙が流れる。心が折れそうになるとそれを思い出す。時に四方に深くお辞儀をする。自分の傲慢さが少しずつ削らて行くのだ。

でもいろんな用事が済むと、さて俺は何をしたらいいのかと考えてしまう。勿論分かってる絵を描かねば。しかしアトリエに入るのが実は怖いのだ。絵の前に立っている時間が怖いのだ。絵を描いていると彼女から自分が離れていくようで怖いのだ。

『悲しい、と思ったらその気持ちを俳句にしようとしたらいい、俳句にする為に言葉を選び出した瞬間から悲しみが癒されていく』という漱石の言葉が胸に刻まれている。

絵を描いていた。その瞬間は時空の別の場所にいるように思えた。これは人生の色々な脚色された一部分を演じているのだというような感覚。しかし時々ギクっとして

いまわたくしがそれを夢でないと考へて
あたらしくぎくつとしなければならないほどの
あんまりひどいげんじつなのだ』宮沢賢治

絵の前で慟哭。悲しみと孤独の圧迫感で胸が詰まってくる。気が狂うんじゃなかろうか。でも負けてはならない。狂気につかまるほど俺は利口じゃない。絵を無茶苦茶にしてしまいたいと思って筆を動かしていた。
(ガハク)



2022年1月10日月曜日

未来へのヒント

アトリエにある作品にはさっきまで手がけていたものと、完成したもの、終わったものに分けられてある。完成したものは少なく終わったものが大半だ。彫り直したくてもスペースの関係で隅に片付けられているものが多い。 今はこれをやろう、次はこれだ。という心算でアトリエの中央にいくつか置く。

この作品もKyokoが直前まで手を加えていたものだった。でも数日前のある時、僕に言うでもなく独り言のように「これはもうできた」というのを僕は聞いた。

今になって思うと作品の完成感というのは作者にとっては常に曖昧なもので、その実感を持ち得る瞬間を持つ人はそれほど多くない。そう思う。Kyokoにしても多分そうだ。若い頃はともかくある時期からは間違いなくそうだったに違いない。

だから「これはもうできた」と言う言葉はこの作品だけでなく、彼女の作品全てを理解すること。そしてさらに彼女そのものを理解する上で大きな意味を持つ。未来の僕に与えられた大きなヒントになるのだ。
(ガハク)


2022年1月9日日曜日

人は死なない

今日は絵が描けた。気持ちの不透明さが柔らぎ少し遠くが見えたような気がした。絵を描く意味は描かれた絵の方にではなく描く行為そのものの中にある。

自分の一生はそれを証明することになるのだろう。

そういう事を言うのを今までずっと避けてきた。自分の持分をはみ出し誠実さに欠けると思ってきたのか。傲慢に陥るのを恐れていたのか。頭が悪いのを隠してきたのか。

多分勇気が足りなかったのだ。意志力の弱さだ。いつまでも曖昧さの中に居続けられる生温さが心地よかったのだ。今はもうそれではダメだ。人は死なないと分かったのだから。
(ガハク)


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