2019年10月5日土曜日

虫たちの声を聞きながら

風景の中に水を描くといつも気分がいい。この絵でも早い段階で水が描き込まれている。少し手前まで水路を大きくした。流れは土地の奥までぐるりと回って風景を潤す。流れのそばには花が相応しい。
期せずしてトワンの近くにたくさんの花を咲かせることになった。きっともっと増えるだろう。秋の虫たちの声を聞きながら花を描いていた。(画)

2019年10月3日木曜日

軽くなって大きく見える

腕と胸の間を彫り抜いたら、風が抜けて明るくなった。だいぶスリムになって軽くなって来たので、台の上で向きを変える時も楽に動かせる。少し離れて眺めたら、前より大きく見えた。軽やかなことは善いことなんだな。いい彫刻の条件だ。襟はすっかり削り取った。(K)


永遠?

秋だからなのか、それともトワンが死んだ季節が再び巡って来たせいなのか寂寞とした思いに包まれる。何日か前に部屋に斜めに差し込む光線を見ながらふと思った、彼はやって来た場所にまた戻ったのだと。それがどこなのか分からない。地獄とは到底思えないが天国というイメージとも違う。ある時期僕らと一緒にいて何処かへいなくなったという風にしか実感が湧かないのだ。
過去のあらゆる事象が時とともに過ぎ去り今はもう消えてしまったという事実を未だに受け入れられていないのと同様に。
全ては生まれ変化し消滅する。人も生き物も森も川も山も…全ての事物は消え去る。
変化も消滅もしないそれが芸術だ。(画)


2019年10月2日水曜日

袴姿がよく似合う

ガハクが居合用の刀を買って2ヶ月が経った。夜だけじゃなく、朝も刀を振って練習しているからずんずん形が良くなっている。体つきまで変わって来た。少年の頃ガハクは朝も夕も時間さえあれば技の工夫をして好き勝手に自主トレをしていたらしい。『好き』というのは最初からもうすでに超えているものがあるんだな。こうやっていればいつまでもやって行ける。いい方法を見つけた。(K)


2019年10月1日火曜日

内と外

土地の形を描こうと始めたが、上部で行き詰まったので下部に手を入れ始めた。絵の下三分の一を占めるし形の基本でもあるから大事な場所なのは分かっている。しかし今まで難しいから放ったらかしだった。何が難しいかと言えば何をどこまで描いたらいいかの塩梅だ。塩梅?未だそんなことを考えてる?

内部が成長しないと外部に出てこない。でも外部に出して初めて内部に何かが生まれることもある。だから冒険や跳躍を恐れてはいけないのだ。(画)


2019年9月30日月曜日

よく似合う服

革ジャンだったのをすっかり削ぎ落として着物っぽくしている。貧弱な体を覆い隠すゴワゴワ膨らんだ服よりも、体がそのまま出る服の方が今のガハクにはよく似合う。

「襟の三角は要らないんじゃない。この子に突き刺さっているみたいでよくないよ」とガハクに言われたから、明日そこも削り取ろう。襟なんか線だけでもいいんだからどうにでもなるだろうという意見。他人の言う事は聞くようにしている。最近は素直になったんだ。(K)


2019年9月29日日曜日

水平線の呪縛

人によっては何でもないのかもしれないが絵における水平線問題。僕にはどうしても気になって仕方がない。絵の中でそれがどこにあるかという事よりも、自分の表現そのものが過去の経験や知識の呪縛から逃れられずに自由になれない感覚、その元凶が水平線というものになって絵を描く意識に現れている感じがする。特に風景では顕著だ。
水平線からの離脱。簡単ではないのだが、とりあえず構図で何とかしよう。地形を考えることが突破口になればいいのだが。(画)


よく見られている記事