2018年10月27日土曜日

香りの天使

花の軸を小さな顔に作り変えた。唇に触れている手をどんどん小さくしていったら、こうなった。

ずっと以前、まだ街の幼稚園で絵の教室をやっていた頃に「先生んちにはコビトいる?」と聞かれたことがあった。「きっと先生の家ならいるよ」とも。そしてもし出るのならぜひ会いに行きたいと小学生の子供らがそろって言うほどの人気の高さに驚いたが、そのコビトって存在は何なのかその頃全く知らなくて、後で親たちに教えてもらった。可愛いらしいイタズラをする小さな存在で、何の役に立つわけでもないのに皆に愛されていて子供らとはとても仲良しというのが特徴か。この世のことには頓着しないで生きていられるというところが素敵なんだな。

絵を描いているといつも夢がすぐ傍まで降りて来る。石に形を刻んでいると苦しさも悲しさも寂しさも力強いものを生む糧となる。そういう事実は実際にやって喜びを掴んだ人にしか分からないだろうけれど、子供らにはダイレクトに伝わるんだ。ときどき脱落してしまうこともあるけれど、また取り戻す。今夜は7時過ぎたら力が戻った。度々攻めて寄って来るが、いつも悪霊には勝つ。(K)


2018年10月26日金曜日

描けるものだけを描く

どう描くかどう描いたらいいかを気にするよりも、描けるものだけを見つけることだ。
そう思えるようになったらうまく描けないことで苛立たなくなった。うまく描けないのは描くべきものではないということに過ぎない。そうさ恍惚の領域に入ればどんなことだって受け容れられる。
何でもいい、何かをすればそいつは動き何かが現れる。現れたものをどうするか、そこにいくらかの力を加えれば変化が生まれる。微細な変化さえ見逃さないようにすればいいのだ。そうすれば自ずと道は開かれる。(画)


2018年10月25日木曜日

見ているものを見る

今彼が見ているものを説明してもきっと誰も分かってくれないだろう。ならば、その目を見せたらどうか?驚きに大きく見開かれた目が感情を刺激して、頑なに閉ざされた個の殻にヒビを入れることが出来るかもしれない。

トワンが久しぶりにササミのジャーキーにかぶり付いた夜、「おゝ、、、おゝ、、、」と感嘆の声を上げているガハクを見て内心驚いた。こういう予期せぬ場面にその人の本質を見せられる。いい人である。ほんとうにやさしい人だ。滅多にいない高貴な魂の持ち主は今夜も誰に見せるでもない絵を描いている。彼が見ているものを一緒に見ることができたら生き直せるはずだ。(K)

2018年10月24日水曜日

母子像の顔

母子像に父親不在なのは彼らを見ているのが父その人だからという理屈もなりたつ。父の視点は神の視点と重なりもするとか。
でもまあそんなことはどうでもいい。僕が母子像にこだわるのはKの母とその母の母親、つまりKの母と祖母との像に描きたいものを見つけたところから始まっている。
しかしもう今では無意識の領域に入ってしまった。主題の意味を考えることはない今も描き続けている。
顔を描いているといろんな人の事を思い出す。好きな顔もあれば嫌いな顔も浮かぶ。とにかく自分にとってリアルにさえなればいいのだ。(画)

2018年10月23日火曜日

顔が彫れる時

つまらない顔をどうしたらいい顔にできるか?今日は唇から彫り始めた。それから鼻へ。目はもっとぐりぐりに抉って。頰のあたりを彫っていたら、突然ガバッと大きく欠けてしまった。そこに小さなヒビ割れがあったのだ。しかし却ってそれが功を奏して思い切って形を変えることができた。この頃はどこを彫っていても、何を彫っていても割れたり壊れたりすることがいい形に結びつくキッカケを作ってくれているのが分かるようになった。内的流入の受信装置を得たようだ。それに形が生きているか死んでいるかは一目瞭然なんだ。この『天界の夢』彫り直し始めてほんとうに良かった。面白い!(K)

2018年10月22日月曜日

天使

今夜は驚喜した。なんとトワンが手から直接ドライササミの塊に噛み付いてグイグイと噛み始めたではないか。
復活の前兆か。
トワンを飼い始めて先ずその活発さに驚いた。家の近くの山に一緒に登ると斜面を飛ぶように駆け上がり鹿のような速さで走り回る。野生の力強さだ。同時に彼の可愛さはそれまで飼ってきたどの動物よりも大きかった。まるで天使だった。天使が犬の形をして僕ら二人の生活に寄り添ってじっと観察してくれている。 そんな大きな喜びと安心感があった。
絵の主題にどんなものが相応しいのか、なんてことを考えていた時期があった。そんな時には主題はさっぱり浮かんでこないものだ。主題の為に絵があるのではない。絵が生まれると同時に主題はそこにあるのだ。(画)


2018年10月21日日曜日

人の子のようなもの

 「人の子のような者が現れて唇に触れたので、やっと口を開いて喋ることができた」というくだりが好きだ。幻ではなく実在する天使たち。愛しいものの姿を見るだけで愉快になるのに、ましてやその手に触れられたら頑なな心もほぐされるだろう。グワーッと満たされるあの熱い勇気は、恐怖からは決して生まれない。若い頃の戦闘的アドレナリンでは補えない、今向かおうとする美しい世界に向かって飛び立つための大きな翼が与えられた。小さな羽ばたきが歌なら、大きな翼は深慮のことだ。
 夜はトーストとカフェラテで簡単な食事にした。パンを焼いていると、ガハクが面白いことを言う。
「意識の改革は、例えばカネはあるに越したことはないというのじゃなくて、無い方がいいということなんだよ」誰も理解できないし向かおうともしないからこそ、これが意識の革命なんだな。(K)



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