2020年3月14日土曜日

ガハクに褒められた

朝イチに退院したガハクが、まず最初に行きたいところは彫刻のアトリエだった。
写真では見てはいても、実物を見てもらったのは何ヶ月ぶりだろうか。胸から飛び立つ小さな子の姿にいたく感銘して、「この子は素晴らしい。この子がこれだけ彫れていればあとはもう自由にやっていいと思うよ」と言う。袴も胸も顔もそれらしく似せようとしなくてもいいし、もっといい形が生まれて来るだろうと予言してもくれた。これは傑作だってさ。もうこれだけに何年もかけても構わないんじゃないとも言ってくれる。力を与えて来れるガハクの言葉がついに帰って来た。そういう日が与えられた。これからずっとこうやって生きて行こうと誓い合った。(K)


2020年3月13日金曜日

意識の覚醒

物と物との間の触れていない空間をどう彫るかで浮遊感が出ることが分かった。厳密なんだ。だいたい彫れている程度じゃどっちも浮かび上がらない。そのものの形だけじゃなくて、胸の形、袴の面が明確になって来ると、すっと離れて飛び始める。そういうものなんだ。手放すと飛び始める。くっ付いてちゃダメだ。離れてこそ飛び立つ。

明日の朝ガハクは退院する。私は9時半にナースセンターに行き、10時に担当医の関谷先生にガハクと一緒に説明を受ける。そして、41日ぶりに帰宅となる。

今夜は、三日前に移った病室の窓際のベッドからの眺めについて話すガハクの声に耳を澄ました。それまではカーテンに仕切られたベッドだったり、自分で動くことや歩くことさえままならぬ病状だったりしていたから、この数日の喜びはとても大きいのだ。

「飛んでいる鳥が見えるんだよ。なんて素敵なんだろう」と言う。新しい眺め、新しい目、その両方が出会った時のことを『意識の覚醒』と言うのだな。(K)


2020年3月12日木曜日

裸眼で見ると

メガネを外して裸眼で見ると、遠近感が変わる。全体を包み込むような視点が得られるんだ。偶々メガネを忘れて、度が付いていないただのガラスの素通しの作業用メガネをかけて彫った時に気が付いたんだ。デッサンでもそう。克明に隅々まではっきり見えても、はっきり描けるわけじゃない。

鼻の周辺の頬のえぐれをうまく彫れたのが嬉しかった。鼻の穴をヤスリで少しずつ深くするのも、時間さえ気にしなければ愉快な仕事だ。もしこれをデューターでガーッと削り取ったら、こんな形にはならないだろう。認識というのは歪むんだ。歪んだものを少しずつ正して行ってそれでも歪むのが生きている本当の形だ。

ガハクの退院がいよいよ明日か明後日という段階まで来た。先生が治療完了のハンコを押して、あとは家族の都合で決まるものらしい。すぐに迎えに行くからいつでも電話してくれるように頼んでおいた。軽い杖を持って気楽に歩いている姿を見たら、本当に元通りの体に回復して来たのを実感した。先生も「完全回復できます!」と仰ってくださったそうだ。転院した20日前に同じ先生の口からは「お年を考えてください。今のような時代だから皆長生きですけど、昔は人生50年だったのですよ。元通りの体になることを期待しないように」と言われたのだった。

体のこともあるけれど、気持ちが変わった。二人とも朝型になった。11階の病室の窓辺からは、太陽が地平線から昇るのが見えるそうだ。真横から射して来る眩しい☀のことを「僕らの新しい生活の象徴のようではありませんか」と小さな手紙に書いて来た。洗濯するパジャマに包まれていた4枚のメモ用紙の最初のページに太陽の絵といっしょに。(K)


2020年3月11日水曜日

袴を彫る

ニュアンスで誤魔化さないで一つ一つの襞や紐の重なりを彫ることにした。布の厚みはそれほど重要じゃないが構造は大事だ。袴の仕組みがどうなっているのか分かって来ると結構自由に彫れる。ちょっと無理かなと思って避けていた結び目から垂れ下がった紐も、実際に彫ってみたら蝶の長い尾羽のようでもある。なかなか美しいじゃないか。こういうことは素直にやってみるに限る。面倒がって逃げていたのじゃいつまでも出会うことのない形だ。はっきりと刻む。今持っている技術をぜんぶ出し切ったら、次が与えられる。そこまで行こうとしない者には決して与えられないのが『美』だ。

 今夜のガハクの声は元気が良かった。先生に「数値が素晴らしい!」と言われたそうだ。もう歩行器なしで、自由に11階のフロアを歩いているという。よく動いているから体重が増えなくて、減っているそうだ。でも看護師さんたちはそんなガハクの嘆きに対して「筋力を使うと軽くなるんですよ」って笑って応えるのだそうな。もっと食事を増やしてくれと頼んだら、おかゆの量が増えて、朝食に栄養ドリンクが一本追加されたと。まあ、軽い方が動きやすいし、筋肉だけの野生の猿を思えばいいかな。

退院の日程はまだ告げられない。今か今かと待ち遠しいけれど、ガハクはまた新しい部屋へ移動して、そこが気に入っているようだ。窓際のベッドからは、筑波山や赤城山に雪が被っているのがよく見えて気持ちがいいそうだ。もう少しいてもいいなと思えるほどに。ここまで来れば、帰りのドライブのイメージが湧いて来る。あんぱんを買って行こうとか、スポーツメガネもあった方がいいなとか。

リンゴの木の芽がほころび始めた。今日の空と雲はドキドキするほど鮮やかだった。(K)


2020年3月10日火曜日

独りということ

大きな絵の中にたった一人だけ描かれた人間。他はぜんぶ木で埋め尽くされている。白く光る川に投げられた網。魚なんて光の一粒だ。漁る人の孤独はそんなに寂しいものじゃなさそうだ。こんなに美しい風景に包まれて羨ましいくらいだ。

今日でガハクが入院して38日経った。こんなに離れて暮らしたのは、私が31の時に阿蘇の彫刻シンポジウムで2ヶ月間石を彫った時以来だ。生活も仕事もずっと二人でやって来たから、こんな風に引き離されるのは35年ぶりということになる。この二つの出来事の意味を考えている。

シンポジウムは華々しいイベントだった。でもすっかり体が消耗した。だって10トンの石を使って 形にするのだもの。いくら慣れているとは言え、真夏の2ヶ月の重労働はきつくて体重がグンと減った。その後に依頼の仕事も立て続けに来たので、それをやり終えた頃には完全に体を壊して寝込んでしまった。激痛で眠れない夜をひと月過ごして、少し歩けるようになるまで更にひと月。ずっとガハクに介護してもらって過ごした。その頃飼っていた黒猫が、寝たきりの私の体を跨いで通っていく。世の中は私がいなくても関係なく何事もないように動いていた。不思議な気持ちになった。それからしばらくは、あの激痛にまた襲われるんじゃないかと怯えて暮らした。野心というものに与えられた罰のように思えてひたすら祈っていた。「もう悪いことはしません」って。 

ところがもっと怖いことがあることを知ったのは、それから数年経った頃だ。ある明け方に、ガハクが無呼吸で失神して倒れていたのだ。布団の上からのしかかっている体の重さで気が付いた。口移しに息を吹き込んで、心臓マッサージをやろうとしたら、蘇生した。本人はケロッとしたものだ。逆に私が狂乱したかと思って落ち着かせようとする。夜が開けて病院に行ってCTスキャンをしたけれど、何の異常もなかった。でもそれからは私の中に怯えはしっかり根付いてしまった。独り取り残されるという怯えだ。

夜中に目が覚めると、耳を澄ます。寝息が聞こえなければ、手をかざしたりしていた。そんなことが繰り返されていた時にガハクが厳しい問いかけをして来た。

「僕の死を受け入れてくれますか?YesかNoで答えなさい」数分唸った後、Yesと答えた。するとガハクは、「ありがとう。僕はもう決して死なないよ」と言ったのだ。

今回ガハクが救急車で運び込まれた時に、廊下でずっと待たされている間、暗い空がだんだん明るくなっていくのを眺めながら、あの時の問答のことを思い出していた。 死なないということを信じて祈ろうとその時にやっと怯えから脱して勇気を持って前へ踏み出せたのだ。新しい場所へ向かって。

ガハクから今夜は電話がない。きっと同じことを考えているのだろう(K)


車椅子から脱却

ガハク、車椅子から脱却!

今朝、看護師さんがやって来て、「歩いてください!もう歩けるでしょ」と言われたのだそうだ。突然の指示に不安になったガハクが、「え、ひとりで洗面所に行くの?じゃあヘルメット欲しいなあ」と返したら皆に笑われたそうな。ナースセンターでやってみようということになり、実行するに当たっては、まず先生に電話で相談したとのこと。先生は、「あ、いいよ」と軽いノリだったそうだ。ガハクの回復力に皆が期待して、さらに加速を付けようとしている。

ガハクの観察によれば、そういう決断をする看護師はいつも決まっているそうだ。彼女がキッカケを作り、皆が従う。さっぱりしていて無駄なことは言わない人なので、ガハクとは相性がいい。

リハビリ師が、最近はもう使われなくなっていた古いコンパクトな歩行器を持ち出して来てくれて、それをガハク専用に使うことにしたそうだ。もう一々看護師を呼ばなくてもトイレに行ける。今夜の電話も自分で廊下に出て、テラスの前の公衆電話機のところに歩いて来たのだ。

今のガハクの腰の細さはこの彫刻にそっくりだ。彫刻が先行するリアル。それなら、胸のところにもっと光を彫ろう。(K)


2020年3月9日月曜日

遠足前夜

気楽に税金の申告書を作った。まるでお弁当を作っているみたいな感じでせっせせっせと電卓を叩いていた。明日は遠足なんだろうか?急いでこの仕事を片付けて、楽しいことが始まるのを心待ちにしている。これからはこんな風に毎日過ごすのだろうか?遠足前夜のような気分。

今夜はガハクから電話がかかって来なかった。テレホンカードを大事に使おうと思い始めたのかもしれない。もうすぐ直に顔を合わせていくらでも話せるんだからね。コロナウィルスのおかげで面会出来なくなってもう何日だろう?1週間くらい経ったかな?ガソリン代の節約にもコロナは貢献したって訳だ。

気持ちがワクワクしているかと思うと、ときどきとても切なくなる。これじゃまるで初恋みたいじゃないか。「新しい人よ目覚めよ」って、こういう意識のコントロール不可の明るさだろうか。

袴の腰の位置がピタッと決まった。線が四方から集まって来る。 集中感が形の中に見えた。外はずっと雨だったけど、静かで透明ないい感じの日曜日だった。(K)


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