2020年4月18日土曜日

肺の音

ガハクの寝息を聞いていると、その日の疲れの度合いが分かるようになった。もちろん、たまに起きた時に耳を澄ます程度の観察だけど。充分休養が取れた明け方はうんと静かだ。

肺の空洞を想像させるボワーンとした音がすると、スピーカーの箱みたいだと思う。息を吐き出し切った瞬間にキュンと小さな音がすると、胸の中に天使がいるように感じる。

昨日先生が、ガハクの胸に聴診器を当てた後に、パソコンに向かって文字を打ち始めた。「軽度のなんとか音あり」と横文字で書き込んでいた。たぶんその音は、ザーザーと風のような音だろう。まだうっすらと白い霞があったから。

今夜のガハクのトレーニング、ついにエキスパンダのバネが2本に増やされた。 ぐっと両手を広げて、やっと3回できた。じりじりと筋肉が太くなっている。腿にやっと肉が付いて来た。

彫刻の胸の形をとらえ直している。脇をキュッと締めたら、翼がゆったりと動き始めた。(K)


2020年4月17日金曜日

祝福された日

これよりもっと人物を減らしたらしい。この中に消えた人がいる。今夜は画室を覗いていないので、明朝確認しよう。それにしても、左から押し寄せる色のなんと爽やかなことか。

ガハクの通院は今日で終わった。血液検査の分析をしながら話している先生の声がだんだん柔らかくなって行くのが分かった。「結局、あの時点でステロイドを止めても良かったんですよね」と、数値に何の問題も出ていないことに励まされて、また元気の良い先生の声が戻って来た。つまり用心の為に撮ったCTが、疑心暗鬼を呼び出したのだ。

先生は来月から群馬の病院に8月まで臨時勤務されるそうで、今日で最後になった。ひと月後に確認のCTをもう一度撮りに行くのだけれど、その時には会えない。「またお会いできたら」と言ったけれど、すぐに「あ、もう会えない方がいいんですよね。完全回復したってことですもんね」と言ったら、「そうです!」と先生が微笑んで仰った。(K)


2020年4月16日木曜日

木が蘇る時

夕食後、ガハクがいなくなったと思ったら、絵を描いていた。トワンの周りの色を塗り替えている最中だった。手が震えなくなったからどんどん描いている。ときどき右手が引き攣るそうだ。横で見ていたら、「いたたた、、、」と、手のひらを開いたり閉じたり指のストレッチをしては、また筆を取って描いていた。

全てがリハビリだ。歩くのも、皿を洗うのも、掃除をするのも、絵を描くことも。面倒臭いということも無くなった。動けることが楽しいのだ。こういう風にずっとやって行けたらいい絵になるに決まっている。生きているものが向こうからやって来るのだから、こんなにありがたいことはない。目に飛びこんで来るものを描くだけだもの。力はそれに応じて蘇って来るはずだ。(K)


2020年4月15日水曜日

脱皮する顔

フケが出なくなって喜んでいるガハクは、40日もの入院中は体を拭いてもらうだけだった。家に帰って体を洗う時さぞ臭うだろうと警戒していたようだけど、不思議なことに何にも臭わなかった。ステロイドのせいなのかな?

額の角度を変えた。それに合わせて髪も彫り直している。頭髪の動きを出すのがとても難しい。そっと彫らないと首がポロンと落ちてしまうから、じわじわ慎重に刻んでいる。

少し離れて眺めたら、ずいぶん尖った顔になっている。先鋭的な意識は額の角度に出るんだな。 (K)


2020年4月14日火曜日

ツガルの花

ツガルがやっと花弁を覗かせた。大々的に根元の人工樹皮を張り替えてからは、急に勢いが出た。ずっと足踏みしながら待っていたアルプス乙女と一緒に開花を迎えられそうだ。蕾はこんなに赤いけれど、花はピンクに咲くんだよ。

ガハクは今日は裏山のてっぺんまで登った。途中で2回くらい休憩したそうだけど。
 「足元の藪から突然コジュケイが飛び立ってびっくりしたよ」と言っていた。鉱山跡で荒れ放題だった禿山が、だんだん木が伸びて森になろうとしている。

蕾と一緒にガハクの指が写っている。病み上がりの頃は、押すと凹んだままなかなか戻らない指先だったが、今は肉が付いて来てぷっくらしている。「今日は指先が震えなかったよ」と、細かいところも描けたそうだ。人は、老人になっても、生まれ変わることができる。(K)


2020年4月13日月曜日

リハビリ人形

ガハク人形は、日付の数字で埋められて行くデザインになった。びっしり嵌ってなかなか迫力がある。顔色はもっと明るくして欲しかったな。今日の数字はまだ書き込まれていないようだ。

たかだか数分の体操だけれど、毎日続けると体幹がしっかりして来るのは実証済みだ。私が仕事前に筋トレをするようになって、もう6年になる。畑にしゃがんで土いじりをやった後、立ち上がって腰が痛いということはなくなった。大理石の前に立って、コツコツとハンマーを振り続けていても疲れるということはない。疲れる前に気力や意識の集中の方が途切れる。

小鳥が歌うように彫れるとは、どこも痛いところはなくて、何も煩うことのない状態で、思い浮かぶままにやってみようとする好奇心と、それに動かされる素直な手足を持つということだ。器の用意がなければ、降りてくるものを受け止められない。

ホームページを新しく作り替えようと思い立った。うまく行くかしら?まあ、知らないこともやりながら覚えてやって来た。今回も何とかなるだろう。七夕あたりを目標に、ガハク奮闘開始!(K)


2020年4月12日日曜日

小鳥が歌うように描く


ガハクが72日ぶりに筆を取った。どの絵から始めるのだろうと見に行ったら、倒れる直前まで描いていた『Mの家族』だった。しかも踏み台に乗って高いところを描いていた。

また絵が描ける日が来るなんて、しかも今日は日曜日だ、朝の明るい光線の中で描いている 、、、ジーンとする想いに浸っていたら、二階からドンと大きな音がした。慌てて階段を駆け上った。「尻餅をついたんだよ」とお尻を撫でていた。踏み台から落っこちたのだそうだ。後ろに何も置いてないし、カーペットが柔らかいから大丈夫だ。

ガハクのリハビリの過程を見ていると面白い。前日やれなかったことを、次の日はやれるようになっている。手が震えて紐さえ結べなかったのに、結べるようになった。ICUで初めて書いた字を今も覚えている。ぶるぶる振動する線が、急に大きくなったりしながらのたうっていた。絵を描く方が字を書くことより高度だと身をもって体験したガハクが、今日を選んだのは必然だったのだろう。何気なく始めたようだけど。

「僕はピカソを超えるよ」と微笑みながら言うガハクは、今は何も考えないで描いているそうだ。

絵の意味を問われて「あなたは、小鳥の声の意味を理解しようとするんですか?」と答えたというピカソはきっと小鳥のようには描いていなかったと思う。(K)


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