2019年11月15日金曜日

翼の美しさ

羽の美しさは光の反射と色の輝きだと思っていたが、飛翔する力を宿しているから美しいのだと分かった。この子の腕が後ろに大きく引かれるとき、空がその翼の形をくっきりと描き出す。翼の角度、その奥行きをいくらいじってもダメだったのが、首と腕の間にできる空間を広くとったら、やっと肩から腕を通って翼の先まで力が行き渡った。体のどの部分も飛ぼうとしてる状態は、夢中で、可愛らしくて、美しい。(K)


当たり前のこと

体調不良から回復してみると、毎日目の前にしていた絵がずいぶん縮こまった姿をしているように見えた。色も冴えなければ何だか主張も弱い。何の為にこの絵なのか。いや目的などどうでもいい、描きたいという気持ちが生まれている場所がどこなのか?
画面をナイフでガリガリ削り新しい色を塗りつける。たくさん絵具がいる。大きな絵には大量の絵具が必要だ。 そして塗る作業時間が必要だ。当たり前のことをサボっていたらしい。当たり前だからサボっていたのか?不思議なことだ。病み上がりには病む前に気づかなかった色んな当たり前のことが見えて来る。(画)


2019年11月14日木曜日

病んで知る

丸一日伏せっていたから、体に力が少しずつ湧いて来るのが分かった。だんだん飛び始めて、最後は翼をもっと細くした。その方が高く舞い上がれるだろう。空もずっと広くなる。胸に喰い込んでいた翼をそっと離した。この胸があのセルリアンブルーの空に見えるように、明日も磨いたり削ったりしながら傾斜と陰影を探って行く。(K)


2019年11月13日水曜日

ゴッホ

ようやく体調が回復して来たと思ったら今日は妻が寝込んでしまった。そうなると今日の一日の時間をどう過ごすかがひどく難しかった。毎日の時間を二人一緒に使っているのだという事を痛感。深夜に近づいてやっと制作できた。
今度ゴッホの映画が新しくできるそうだ。俳優も監督も超一流らしい。ゴッホはいいよね。僕はいつもゴッホの悲劇的生涯と彼の絵の美しさを考えるといつも勇気が湧いて来るのだ。絵を描くというのは夢のような時間を生きるということだし、自分ではない誰かの人生を過ごすような気持ちがする。(画)


2019年11月12日火曜日

名のない小鳥

今朝メジロが庭にやって来た。十羽くらいの群れがさーっと流れて来て林檎の小枝にとまった。しばらくしたらまたさーっと次の木へ移って行く。その姿のなんと可愛らしいことか。
「メジロはよくシジュウカラと一緒にいるね。も少ししたらエナガたちも来るよ」とガハク。

今夜も翼の形を直した。蝶のようだったのが、やっと鳥になった。 小鳥にも個体差があるのだろうが、メジロはどの子もメジロだ。天使はどれも天使だろう。名はない。名を求める人は天使にはなれないということだ。それでもピアソラは名を残すだろう。今夜はYouTubeでピアソラをひたすら聴いた。顔を真っ赤にした老人がバンドネオンを艶っぽく熱く弾いていた。若い演奏家に囲まれて。永遠なる人だ。(K)


2019年11月11日月曜日

動き

トワンを描き直した。絵が進んでくると色々な部分が不満になってくる。硬直しているのだ。タルコフスキーの「死んだものは固く動かない、生きているものは軟らかく動いている」というセリフを思い出す。「動き」。たぶんこの意味は描かれたものに関わっているのではなく、画家の心のあり方にあるのだ。(画)


2019年11月10日日曜日

翼の帯

首の周りの空間を広げたらやっと翼の輪郭が決まった。肩口から出た翼がぐっと後ろに引いて空に舞う。胸の両端まで届く大きな翼にした。ちょっと離れて眺めたら、胸に食い込んでいる様子がきゅっと締めた帯のようだった。刀を挿す為の帯の締め方はかなり強く固く巻き付ける。そうしないと、刀がグラグラして動きが鈍くなるらしい。翼の帯ならば、身も心も軽く動けるだろう。ちょうどこんな具合に、この子のように、空を舞っているような風に最期まで面白い闘い方をしたい。(K)


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