2020年6月27日土曜日

版画室21時

夜になっても2階は暑くて、扇風機が回っていた。
クッサンに載せた銅板をゆっくり回しながら彫っているので、きっと背景の円弧を彫っているのだと思って近づいてみたら、ひらがなの一文字だった。ビュランを握る右手は力が入り易い一方向へ固定しながら押していて、左手で持った銅版の方を 回転させたり、斜めに傾斜させたりしていた。

両手のコンビネーションが面白くて感心しながら眺めていると、
「いやあ僕なんかまだ下手だよ。ブレイクはもっとスムースに軽やかに彫っていたんだろうなあ」と、古の人のことを親しく語るガハクである。
 窓の外からガマガエルの声が聴こえて来た。線路脇の側溝で鳴いているのだろう。(K)


2020年6月26日金曜日

理想主義

たとえ1日半錠でもステロイドの影響はあって、まだ足が浮腫んだり、瞼や頬が腫れぼったくなったりする。今朝はスッキリした顔をしているガハクを ピザトーストを食べながら眺めた。
 「けっこう皺がいっぱいあるのね。その皺を全部彫るとなると大変だなあ。形がガタガタになりそう」と言ったら、
「kは理想主義的に彫っているのだから、好きなように彫ればいいんじゃないの」と返って来た。

ハーバート・リードが『芸術の意味』の中で述べている。芸術には理想主義と写実主義と表現主義がある。時代は関係なく、古代からこの三つのどれかに入る。この三つしかないと書いている。

アトリエに着いてしげしげと彫刻の顔を見つめた。昨日砥石をかけた頬に線を刻んだ。すると、小鼻と頬骨の位置も形も修正したくなった。一つの発見は連鎖するんだ。気が付けたから、今日はラッキーだった。(K)


2020年6月25日木曜日

見つめ合う鳥と犬

トワンと鳥が見つめあっている距離と角度が素敵だ。

今日ガハクは、山でキジのような大きな鳥の姿を見たそうだ。ヤマドリかもしれない。ずっと以前にこの裏山でヤマドリに出会った。その鳥と来たら、犬を連れた私たちの後をずっと家まで付いて来たんだ。縄張りを主張しているにしては随分しつこいし、距離が近過ぎて変な鳥だった。それから数日経ったある朝、庭にバサバサバサと大きな羽音がして、ヤマドリが飛来。たぶん同じ個体だと思う。
その時連れていた犬は、トワンじゃなくて、先代犬。犬の方も不思議な気持ちがしたのだろう。吠えたりせずに、トコトコ一緒に家まで歩いていたっけ。

私たちのことを森の梢の間からじっと観察している動物や鳥がいるようだ。(K)


2020年6月24日水曜日

103%復活

完全復活が100%とすれば、今のガハクは103%くらいか。手も震えなくなったし集中力も増した。夜に版画室でゴソゴソ何かやっている。二階を覗いたら、ジーンズの生地を丸めて固く縛ったものが机の上に置いてあった。

「これでインクを版に詰めるんだよ。こっちのはクッサン。銅板を上に載せてクルクル回しながら線を刻む。小さい版ならこれで充分だね。中身は砂だ。馬に載せる鞍の皮で作られているらしいよ。でも僕はこれで充分。買えば相当高いから自分で作ったんだ」

寒冷紗でインクを拭き取る。溝の中に残ったインクがプレス機で圧迫されて紙に染み込むのだ、、、と言うより、圧迫された紙が、版の溝に喰い込んでインクにつくことで刷り上がる。エングレービングの醍醐味と妙味と清楚さは、本物を直に手に取り、目で触れたものでなければ決して分からないだろうな。(K)


2020年6月23日火曜日

小鳥のように

明け方4時を過ぎて少し明るくなった頃、小鳥達が小さな声で鳴き始める。梢の中で身繕いしながら鳴いているのだ。美しい時間だ。完全に太陽が上り切ると、かえって静かになる。餌を探して活動中だからだ。

源氏物語で『夕顔』のところが妖艶で怖くて迫力があったけれど、 『須磨』の夜明けと同時に辺りから聞こえて来る庶民の日常の音に源氏が驚くところが愉快だった。生活とは音なんだな。

今日は雨が止んでさーっと薄日がさして気持ち良かったので、石を彫る手を休めてしばし畑で遊んだ。 カボチャの蔓がネットを伝って這い出そうとしているのを 一々引っ張っては地面に払い落とす作業をした。で、ふっといいアイデアが浮かんだので、篠竹を取りに川に向かった。

ゴム長で川っぷちの砂や石の上を歩く。水音が高く響いていて水は透明だった。梅雨時の川は濁らない。8本、その場で短くして枝を払った。

篠竹でピンと張ったネットの垂直壁は、中が広々としている。 今日のように愉快に小鳥のように生きて行けたら最高だ。(K)


2020年6月22日月曜日

詩の銅版画

昨日、キッチンの壁に掛けてある『とおめいなまるい球』を読み返した。つまらないことに捕まりそうになったら、前に立って読む。これが書かれたあの頃の 切羽詰まってギリギリに追い詰められた意識が蘇る。すると、ぼんやりした霊たちが出て行ってくれる。

そんな話をガハクに話したせいだろう。今日は久しぶりに版画室にいて、彫り直しに取り掛かっていた。もっと色々やってみることにしたそうな。文字と背景は色を変えることにして、2色刷りにするとのこと。

以心伝心、もう実行された。そういうところがガハク生還後に大きく変わったところだ。(K)


2020年6月21日日曜日

ガハクの山散歩

退院する1週間前に「完全復活もあり得ます」と大学病院の担当医に言われた。その時初めて超重症肺炎からの回復がそんなに稀有なことだと知って、改めて気持ちを引き締めたことを思い出す。

あれから3ヶ月、今朝は珍しくガハクが動画を撮って来て、パソコンのデスクトップに置いてあった。
「Kに見せようと思ってさ。息が入らないように堪えていたら、却ってハアハアしちゃった」と言う。ガハクの呼吸音と草を踏む音を聞いていると、胸が熱くなる。長い小枝を手に持って、刀の素振りの練習をしながら歩いているのだそうだ。だいたい200回くらいは振るとのこと。ときどき邪魔な石があると、棒の先で傍に転がしていると言うから、だいぶ歩き易くなっている山の小道だ。

ステロイドも1日半錠で、あと二十日分になった。足の浮腫みも減ったので、今日は袴を付けて居合の練習も2時間やっていた。その後、膝の真上の筋肉が突っ張ったという。一つ一つの筋肉が意識される。作られて行くのが分かる。
 「ハアハアするくらいでないと筋肉は付きません」とリハビリ療法士にも言われたっけ。(K)




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