2019年5月4日土曜日

小鳥たち

いつもの山散歩。木の中で何かが動く。じっと見ていると、頭が黒くて帽子を被ってるみたいな鳥、でもいつものシジュウカラとは違う。背中に赤い色が見えた。
「あ、こいつ図鑑で見たぞ、カラ特有の真剣な目と顔、生真面目でほんと可愛いわ」そう思いながら双眼鏡をで見ていたらその近くでビービーと鳴くコゲラの声。双眼鏡の中にそのシマ模様が見えた。木に飛び移るとクルクルとねじるように幹を伝って上がっていく姿、これも可愛い。
プロメテウスの岩までの道を登る。道を塞ぐように垂れた木の枝をくぐった途端目の前にコジュケイの赤い顔が。びっくりしたのはこっちで慌てて後ろスザリして体を伏せるようにした。向こうは気づいてないらしい。だいぶ離れてから双眼鏡を覗く。もう一羽現れた。体の大きさが違う。先日も見た二羽の番いだな。地面をついばみながら徐々に視界から消えていった。
プロメテウスの岩まで行くのはやめて山道を戻ることにした。
愉快になって足取りも軽く山を降りた。なぜ小鳥達は僕を幸せな気分にしてくれるんだろう。美しいものにある愛を感じるからだ。愛の存在は僕らを幸福にしてくれるのだ。だからそういう絵が描ければいい、それはいい絵に間違いない。(画)


2019年5月3日金曜日

最後に現れる線

今日は花の外側に美しい形を見つけた。

ノミで薄く剥ぎ取っては、荒砥で削り出す作業を交互にやっていたら、花の軸の形が見えて来た。キュッと絞り込まれた花の首。あそこをきっちり刻めたら、きっと良くなる。忘れないようにすぐにピンクのクレパスで石の上に線を引いた。白い人と花との境界線。明日やることが決まった。(K)


2019年5月2日木曜日

閃き

(万有引力なんてことに)よく気がつきましたねと言われて、「いつもそのことについて考えていましたからね」とニュートンは答えたとか。ウソかホントか知らねども。
僕だって今描いている絵やこれから描こうとしている絵のことをいつも考えている。と言いながら多くの時間は別のことをしているから、実を言えば常に考えているわけではない。でもやっぱり考えている考え続けている。そして描いているうちに素敵な描き方として閃くことがある。それでも絵の中に確かなものとして定着できるのはその内のほんの僅かなものでしかないように思うけれど、それなくして描く意味さえなくなるような閃き。それだけが絵を成立させるなにかだ。(画)


2019年5月1日水曜日

展覧会のDM作り

デジカメを新しくしたのも、実は内心DMを作ることを想定していたからなんだ。でもガハクはずっと面倒がっていたから、まあ仕方がない、適当にやろう、楽なやり方でやろうと思っていたのだけれど、、、いよいよ七夕が迫って来て展覧会まであと二ヶ月になった。マスターに原案を出してお店のプリンターで印刷してもらうことになっていたのを突如変更したのは昨夜だ。京都の印刷会社のホームページを久しぶりに覗いたら、俄然意欲が湧いて来たからだ。

ガハクにきれいな作品の写真を載せたDMにしたいと言ったら、なんと意外なことに素直な反応、「いいよ、幾らでできるの?」と返って来た。この人は変わった。どんどん動いている。分からないこともやりながら進んで行く。これまでも音楽ソフトやホームページソフトも何にも知らないのにやって来た。

今夜もマスターのアドバイスを取り入れて編集の手直しをして、また2階の画室に上がって行った。今はギターの音が聞こえる。自由とは必然に従う柔らかな心のことだ。たった一人の理解者を得ていたから、ここまで来れた。(K)


2019年4月30日火曜日

未完

この絵が完成するまでには未だ未だ長い時間が必要だ。と感じながらしかし完成って?情けないことに未だにそれが分からないままだ。今までそういう実感を味わった経験もない。ある時これ以上手を加えられない感じがして終わりになってしまう。寂しい終わり方だ。できればいつまででも描き続けたい。描けば描くほど良くなると思えたらなおさらだ。芸術が永遠なら人生もまた永遠なり。(画)


2019年4月29日月曜日

ふたりの手

若い頃に彫ったものだ。いつもこの辺りでやめている。これも完成させておきたい。今なら出来るだろう。ガハクは腕の間を彫り抜いたらどうだろうと言う。多分そこに風が抜けたら収拾がつかなくなるのが怖いからやらなかったのだ。まだ30代の頃だもの。空間が抜けると素っ気なくて器物的になって神秘性がなくなるのが分かっていたからだな。今は感覚的なものに惑わされなくなったからその先に進める。形は抽象を経て霊的な領域に入って行くんだ。そこでは美しいものは善いもので香りで判別される。この中にある汚れと曖昧さをゆっくり削り落として行こう。(K)


2019年4月28日日曜日

生殺与奪の権利

描いているものを生かすも殺すも画家の腕次第だ。気持ち次第とも言える。積極性を買えば生殺与奪の権利になる。黒猫を縞模様のトラ猫にしたって構わない。何でも描いていいし描かなくてもいい。全てはリアリティーの問題にかかっている。
立っていた猫が素っ気ない風だったのでゴロンと寝かせてみた。しかしそのままでは風景と何の関わりもなく佇んでいるような感じがした。絨毯の上にオモチャを転がし絨毯と関係づけた。犬に向けていた顔を部屋の奥の方へ回した。そこには白い人がいるのだ。
画家の生殺与奪の権利をガンガンと行使中。(画)


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