2019年9月28日土曜日

独り徒弟と師匠

彫り直しをぜんぶやるつもりだから、これからあと何年かかるか分からない。この子だって前とは全く変わってしまった。今の方が良いのは確実だ。弟子に粗彫りまでやらせて、いよいよ仕上げに師匠自ら乗り出した感じだ。

「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」とか、「物言えば唇寒し秋の風」と母が度々口に出していたのを思い出す。自分は偉くなったと思った途端に堕ちてしまった人たちを見て来た。得意そうな顔も、妬みに染まった顔も、同じくらい醜い。

それに比べたらトワンのなんと可愛らしかったことか。トワンが死んでしまって、今は心の中に住むようになった天使。今夜も「トワン!」と声に出して、自転車を漕ぎ始めた。無事に家に着いたらトワンを埋めてある場所に置いた石を撫でる。「ありがとう」って。(K)


2019年9月27日金曜日

正しい輪郭線

「先生、輪郭だけとってくださいよ、その中を色で塗れば簡単だから」と言われたことがある。
色んな意味で不遜とも言えそうな提案だし随分雑な表現の捉え方にも思えるが、言われた僕はそう思うより実は内心舌を巻いたのだった。いやその通り。輪郭線が正しく引ければ絵の90%は完成である。「正しければ」だけど。
ウィリアムブレイクも輪郭線の重要性を強調していた。曖昧な輪郭線は曖昧な意識を意味する、針金のごときしっかりした輪郭線を求めよと。
確かに明瞭な輪郭線は意識の形を確かなものにする。そういう線を求めること自体が意識を明瞭にする道だとも言える。道を求めることそれ自体が道である。「正しい」線さえ引ければ後は色を塗るばかりだ。(画)

2019年9月25日水曜日

黒い結晶

この大理石はUSA産でキメが粗い。縞模様は味があるからいい場所に配置するように彫ればいいけれど、ときどき出て来る黒い粒には参ってしまう。大理石は太古の湖に沈んだ樹木が炭化し高圧で圧縮されて白く結晶化したものなわけだけど、これは完全に白くなれなかった泥炭なのだろう。擦ると鉛筆か炭みたいに辺りを汚す。

今日はその黒い粒がお腹のところに出て来たので、形を無視してずんずん抉った。黒い粒を発掘除去する為にだ。臍より深くなった。形は必然。自意識を超えている。新しい体が生まれるきっかけとなった。その時々に出て来る困難や不都合は新しい場所に飛び移る跳躍に使われることを体験から知っている。だから怖れることはないんだ。(K)


様式美

絵を習い始めた頃、人物ばかり練習していた。静物画も風景画もほとんど描かなかった。大学を出てからは抽象画のようなものしか描いていなかった。だから山郷に住み始めて周囲の風景を描きたいと思ってもそれが難しかった。まず一本の木を描く方法が見えなかった。
ある時ギリシャの壺絵を見てその美しさに感動した。数色の色しかなく、形の捉え方、構図もある鋳型にはめられているのに絵は自由で生き生きしているように思えた。様式美。ある独特の形式に閉じ込められているようで実はその中で表現は自由度を増して輝く。エジプト美術にもデューラーにも大和絵、浮世絵にもある様式美。
現代の様式美にはどんなものがあるのだろう。あるのだろうか。(画)


2019年9月24日火曜日

少年

顔がだいぶ小さくなった。それに合わせて体のバランスを見ながら彫っている。貧弱と精悍の間を行ったり来たりしながら形を探っていると、「少年老い易く学成り難し」という一節が思い出された。中学生の時に職員室や事務室のある本館の廊下の高い壁にこれが墨で書かれてあって、そこを通る度に覚えたのだった。でも、今は分かる。忘れる知識は要らない知識なんだ。

その後に続く「一寸の光陰軽んずべからず」

野原が赤く染まっているので外に出た。美しい夕焼けだった。近くの梢からパッと飛び立った小鳥のシルエットが小さな扇型をしていて可愛らしかった。このシーンを忘れないようにしよう。情愛といっしょに刻まれたものはずっと無くならないものなんだ。

家に帰ってこの画像をガハクに見せたら、この角度がいいと言う。そして面白いことにガハクも「少年老い易く学成り難し」と声に出した。この少年、ガハクの中に住んでいる。(K)



2019年9月23日月曜日

眠れぬ夜のために

明け方布団の中で目覚めた。最近では珍しいが体調不良の時期にはよくあったことで、そんな時は必ずどこかが痛くなる。痛みで目覚めるのではなく、これから来る痛みを察知して眠りが中断するようだった。だから今回もそれかと怖くなり布団の中で身構えるようにしていた。眠る直前に食べたドーナッツがいけなかったかも、などと反省したり…でも中々その痛みらしきものがやって来ない。その内過去の色々な人々の顔が脳裏に浮かんで来た。父母や叔母達、従兄弟たち、思い出せない親戚の顔…が次々と。それも彼らがずっと若い頃、数十年前の姿で。もうとっくに死んだ人もいれば多分死んだだろうと思われる人たち…。やがて自分の目が涙で濡れているのに気づいた。

Kは幼い頃、馬に乗るのが楽しいので阿蘇にある父親の実家に行きたかったそうだ。厩から引き出された農耕馬の広い背に父親が乗せてくれたのだ。(画)

2019年9月22日日曜日

人形とは違う

意識の快活さがそのまま形に反映される。沈鬱なことを思いながら彫っていても現実とは無関係に表れる形は、無意識が住む領域から流れ込むもののようだ。そういうのが彫刻だ。人形には人形の美しさがあるということは知っている。でも今そんなことを解説する気はない。今夜は人形が彫刻になった。ガハクの顔が清冽さを増して来れば彫刻もそれに応じて強くなり、胸に抱かれた内なる人も明るく動き出すというわけだ。(K)


よく見られている記事