2021年1月27日水曜日

『りすの女』運び出し

 大理石の『りすの女』をアトリエから外に出した。これをうちのライトバンの荷台にどうやって入れるか、ずっと考えて来たんだ。で、ついに今日ガハクに手伝ってもらって決行した。

ゆっくりと2本の帯で吊るし下ろしている。この後、これを1本に縛り直して、頭から荷台に差し込み、丸太のコロを数本背中に差し込み、コロコロコロと荷台の奥へと押し入れた。完璧だった。二人でやれば何とかなる。何でも出来るということがまた実証された。

庭まで車を入れて、台車に引きずり下ろす時も、コロコロコロと転がしながらゆっくり載せた。庭の工房に立つ『りすの女』を眺めながら、ガハクが「大理石の模様がこんなにあるとは気がつかなかったよ。いいねえ」と言う。

夕暮れにアトリエでトワンを彫っていたら、窓に月が現れた。ガハク出動第一日目無事終了。(K)



2021年1月26日火曜日

無垢が潜む曲

 光が強くなった。苔の色にさえ春を感じる。山の中はけっこう暖かいんだ。

ここはガハクの山散歩のちょうど真ん中辺りで、夏になれば湿地になってクレソンが自生する。サラダの緑に使えそうだ。わさび園にするには水量が足りない。それにカラカラに乾いてしまう年もあるし。向こうの方までスカスカ見渡せるのも春までだ。夏になったら、スカンポと葛とススキが森の隙間を埋め尽くす。人の存在なんてちっぽけだけど、毎日歩いていると溶け込んで、そんなことも考えなくなる。星を見上げて泣くこともなくなる。自分という奴に取り憑かれたらお終いだ。

昼間ガハクのギターに合わせて『白い自転車』をバイオリンで弾いた後、涙が溢れてしまった。この曲を作ったピアソラ自身は、(自分でも言っていたが)スポーツ好きで陽気な人らしい。そんな彼が音楽の中には、熱情や憂いや悲嘆を思いっきりぶち込んでいる。とても頭の中でだけ考えたものとは思えない。

ガハクが言うには、人の中の無意識の領域は広大で、知られないまま放って置かれているということだ。その領域を探索し続けている冒険家が、このような熱くて永遠で死なないものを作って見せてくれる。こんな辛く寂しい時代に孤独に耐えることが出来るのは、そういうメッセージを直に受け取った時だ。(K)



2021年1月25日月曜日

黒は光

いつも トントンと声でノックする。画室に入ったらすぐに、「マーエダさん 負けちゃたのかなあ」と言うので、何に?と聞き返したら、「悪にだよ」とガハクはそれまで考えていたことを一言で示してくれた。誰かに助けを求めることもせず、独りで死に向かうことが出来るものだろうか?昨日亡くなったという。

ガハクはずっと前田ただし氏のことを天才の特質を全てそなえた純粋な人だと言って来た。私はと言うと、彼の訳のわからない発言に触れる度に 疑ったり嫌いになったりしたが、その度にガハクは「複雑なのが天才の特徴なんだよ」と弁護していた。それは彼が亡くなった今も 変わらない。

今夜は久しぶりに『白い旗』に加筆していた。しかも黒ばかりをあちこちに塗っている。「もっと強い黒が欲しい。黒は光なんだよ。光になるくらい強い黒が欲しいんだ。白は闇にもなるからね」と透徹したことを言う。よほど戦友の死が辛いのだ。

石の上にトカゲがいて、ガハクの筆を狙っている。捉えようもないものを食べたがるメフィストのように。ダメだよ!(K)



2021年1月24日日曜日

いよいよ運び出し

明日からガハクに手伝ってもらって大理石の彫刻の運び出しをするので、被せてあったビニール袋を外して埃を払った。蜘蛛の巣や蓑虫が付いていた。もう随分長い間ここでじっと置かれたままだったものねえ。もっと温かくて優しい空間に引っ越しましょうねと、心の中で呟きながら、せっせと細々とした準備に勤しんだ。

うちのライトバンで、この『リスの女』を上手に運べるかが、最大のミッションだ。クルッと半回転させるのはフォークリフトの爪に帯を掛けるときに捻ればいいのは分かっている。その場でゆっくりと横倒しにする方がいいだろう。また立てるのは、新たな場所に移ってからだ。

この後だんだん小さな彫刻を作り始めたのは、個展でもやろうと思ったからだったか?苦しかった頃のテーマだ。子供達に守られて何とか彫り続けていた。子供達からの信頼と月謝で暮らしていたんだ。意識も鍛えられた。子供の言葉は直球だからね。ガハクといっしょに絵を教えることで他人の子らを育てた。あれがなかったら今の意識は持てなかっただろう。(K)



2021年1月23日土曜日

最後の試練

ガハクは「こんな綺麗な色が出せるとは思わなかったなあ」と、喜んでいる。描きながら感動すると言うことは、実際にあるんだ。

今日は、丸鋸で切った廃材を紐で束ねた。薪ストーブだけでは処理が間に合わないから、燃えるゴミにも出して行こうという計画。畑の柵やネットの固定に使っていた鉄の棒やアングルも、グラインダーで50cmにカットした。こっちは月一で回収される不燃ゴミに出す。トタン板も50cm角に金切り鋏で切り、四隅を折り曲げておいた。以前、ゴミ処分場に直に搬入した際に、手伝ってくれた係員のオジさんが腕を切っちゃって、申し訳なかった。だから今は、金属物の端っこはバリを落とすか、ガムテープを貼るようにしている。

ぴゅっと血が吹き出たオジさんの腕にマーキュロバンを貼ってあげたら、それまで乱暴な物言いをしていたのに、急に恥ずかしそうに照れていたのが新鮮だった。あの人の住んでいる世界、生きて来た世界を垣間見たように思った。タオルで止血したのをガハクが鮮明に覚えていた。あゝそうだったっけ。もう30年くらい前だ。

6という数字は試練を表す。とすれば、アトリエの土地を借りた36年間は試練に試練を掛け合わせたと言うことになるのね。日々刻々と荷物を運び出していると、一つ一つ重いものが無くなって消えていくのが分かる。軽やかさは、試練と労働の果てに与えられるもののようだ。(K)





2021年1月22日金曜日

白い人の谷にも陽だまり

ガハクが観た動画で、一緒に飼われている犬よりも 猫の方が先にボールを咥えて持って来たと!つまりその猫は、訓練中の犬よりも飼い主を信頼しているから、その意図を読み取っちゃって即反応したのだろう。賢さだったら犬の方が勝るだろうに、猫の情愛ゆえの集中力と遊び心だ。(犬は柴犬でまだ子犬)

今日も自転車に乗った。夕暮れの空に浮かぶ半月を見上げながら、「自転車に乗らなくなったらどうするの?」と聞かれたことを思い出した。ガハクの後ろからゆっくりと自転車の低いギアで漕ぎ登ろうかな。

だいぶ太陽が高くなった。(K)



2021年1月21日木曜日

やさしい胸

アトリエの片付けに追われて、今日も夕暮れの少しの時間しか彫れなかったけれど、トワンの柔らかな胸のうねりが出せた。

机の周りを片付けていたら、犬のデッサンが出て来た。2006年と書いてあるから、どうもトワンのようだけど、ただの犬にしか見えない絵でつまらなかった。トワンという形の中に愛が宿ったのは、もっとずっと後になってからなんだな。いや、トワンが死んでからかもしれない。

トワンを埋めたところにガハクが彫った唯一の石の彫刻が置いてある。デンドロビウムという洋蘭を安山岩で彫ってあって、ボソボソした石の植物なんだ。そのてっぺんにヤシの実のような頭がのぞいていて、つい撫でてしまう。ガハクもそうらしい。昨日は石に向かって、「トワン!ママが帰って来るよ」と言ったそうだ。

37年ぶりにガハクと同じ場所で仕事ができる。その日を楽しみにしながら、アトリエ解体に励んでいる。(K)





2021年1月20日水曜日

大寒の空

今朝雨戸を開けた時は辺り一面霜で真っ白だったけれど、冬至からひと月、すでに日差しは春の気配で昼前には融けて消えた。 

『緑のエヴァ』のグリーンは、強烈過ぎてそのままじゃ使えない新色の緑に、これまた単色ではキツ過ぎる赤を混ぜてあるのだと昨夜ガハクが話してくれた。緑と赤はケンカするから混ぜないようにと子供らには言って来たが、上手く使えるようになったら、柿の熟した色なんかは緑と朱色を混ぜると出せるということが分かって来る。何にも教えなくても、いろいろ混ぜたり試したりしているうちに自分で発見して、「おゝ先生できたよ!ほら、そっくりでしょ」と叫んでいたっけ。

アトリエの周りがだいぶ片付いて来たから、いよいよ建物の解体に踏み込める。来週からガハクが出動してくれることになった。今夜から1時間早く寝ることにした。作戦会議で決まったんだ。二人で考えるといい知恵が浮かぶ。

山のてっぺんに聳え立つ白くセクシーな木がエヴァで、その横で斜めにのけぞっているのがアダムだそうだ。(K)



2021年1月19日火曜日

緑のエヴァ

エヴァのイメージらしい。蝶が飛んでいたはずなのだけど、いつの間にか消されている。そのうちまた描かれるだろう。 彼女の視線がどこを向いているか、彼女の手が何に触れようとしているかを見ていけば、そこに生まれて来るのものの姿と位置が浮かび上がって来る。

芸術とは愛だ。愛ある人には、蝶や小鳥の方からやって来て、肩や手にとまってくれる。とまったものをじっと見つめて描いて行くのが画家なのだ。

スーパーボランティアと呼ばれて有名になった赤いタオルを頭に巻いたあの人の指先にトンボが留まった。あれを見た時、あゝこの人には天使が付いていると思ったのだった。(K)



2021年1月18日月曜日

箱ジャッキ

久しぶりに箱ジャッキを使った。隣家にやって来た庭師の軽トラ4台が、仕事を終えて帰ろうとして次々とバックで降り始めた時の出来事だ。たぶんもう疲れてたのだろう。シルバー派遣のお爺さん達だもの。皆私より年上に見えた。

この箱ジャッキは10t用でかなり重い。一人で運ぶのはお相撲さんかレスラーでないと無理だろう。アトリエから引きずり出したら、すぐに庭師が駆け寄って来て手伝ってくれた。最初は私とお爺さんと二人で、それから途中で交代して運んでもらったのだけど、あまりの重さに片方のお爺さんが転んでしまった。そのくらい重いのだ。

藝大にだって5トン用のしか置いてない。何で私がこんな大袈裟なものを持っているかと言うと、大学に出入りしていた御用商人に「もう箱ジャッキの作り手がいなくなるから、今のうちに買っておいた方がいいですよ。やっと店に10トン用が一つだけ入ったから今のうちに!」と唆されて慌てて買ったのだった。

箱の中にギアが幾つも噛み合って、少ない力で大重量のものを持ち上げる仕組みになっている。ハンドルを回すと、箱の頭に突き出ている角がジリジリ上がる。裏側の足元に出ている爪も同時にせり上がって行く。爪に石の端っこを噛ませて、ぐいぐい持ち上げては角材を差し込み、また持ち上げては横に角材を置くと、どんなに大きな石でもひっくり返せる。危険を回避する為の技術と目と慎重さがあれば、女の私にだって巨大な石も動かせるし、脱輪したトラックだって救出できるのだ。

お爺さん達を指示しながら、浮き上がったタイヤの下に角材を押し込んで、無事に脱出した時は拍手が湧いた。良かった良かったと笑って別れて、トタン板をゴミに出す為の作業に戻った。

しばらくしたら、「奥さん、奥さん!」と声がする。落ちた車の持ち主のお爺さんが、手に千円札2枚持って立っていた。どうしてもと言われて、ありがたくいただいた。まだ私は現役なんだな。アドレナリンが久しぶりにブワーッと出たもの♪(K)



霊気が変わった

王子の傍にいつもいる二人の守護神は、男と女のカップルのようだ。みんな大きな目をしている。「おいでください」と夢で呼ばれたあの夜から、ガハクはこの王子を 親友で画友だったS氏に重ねてイメージして来た。山で死んでからも、彼はずっと向こうの世界で生きていて、しかも王子になって帰って来た。

この世で純粋な美を希求することは不可能なんだろうか?独りでやるしかないのだろうかと覚悟した時に、一緒にやろうよと誘ってくれた王子は、続けて言った。「あなたは私たちのシュゾクです」と。

今ガハクは、善と美が一致することを確信している。それはきっと、超重症という魔界から救出された時に見たこと体験したことに起因する。もう懐疑的な霊達は、いなくなった。重く引き摺り下ろそうとする者らが、消えた。

軽やかに舞うミューズと小鳥たちが祝福している。(K)



2021年1月16日土曜日

煙突掃除

 今日は煙突掃除から始めた。廃材を処理しながら解体作業を進めているので、ストーブの燃焼力は大事なんだ。ところが、またもや煙が逆流。途中のどこかで詰まっている。

暖炉のように焚き口から排出口まで縦に真っ直ぐに伸びる構造なら、何の問題も発生しない。でも私のアトリエの煙突は3度も曲がる。そこに煤やタールが溜まるのだ。

筒を外して分解掃除してたら2時間近くかかったが、煙は紫色になった。ストーブにかけたヤカンのお湯もすぐに沸いた。

夕暮れにバンコ置き場と薪置き場を解体して、今日はここまで。自転車だから、明るいうちに帰らなきゃ♪(K)



2021年1月15日金曜日

精霊から逃げた

今朝ガハクは凍った山道でツルンと滑って転んだそうだ。そのこと自体は別に危ないこともなかったそうだけど、その時にそこに「精霊がいたんだよね」と言う。

山から滲み出て来た水が夜になると凍って、その上にまた水が流れては凍る。氷はだんだん厚くなって、道を白く覆う。そういう場所を見つけると突いてみたくなるのが、子供の意識。子供のやることには意味がある。理由はない。

コツコツと棒で突いてみたら割れたので、面白くなって少しずつ場所を変えながらあちこち突いていたんだそうだ。そしたら、ツルンって。

「精霊から慌てて逃げたよ」と言う。つい道草をしてしまったからだ。ガハクによれば、天使と精霊は違うのだそうだ。「トワンは天使だけど、精霊じゃない」という説明で十分納得し、理解できた。

今朝の出来事がさっそく絵の中に描かれている。白い霊気と赤い情愛が溶け合う森だ。(K)


 

2021年1月14日木曜日

鼻が匂いを嗅ぐとき

 トワンの鼻を彫っていて気が付いた。いい形になって来たなと思った時に、鼻がふっと浮き上がって見えたんだ。鼻だけが空間に浮遊している感じ。

スエデンボルグが面白いことを書いていた。耳は、音のするところに出かけて行くと言うのだ。トワンが耳を澄ましている時、間近にその実態を見ていたということになる。

 目もそうだ。見たものに感動した時、目はそのものに触れんばかりに近づいている。雲の間を飛べるようになったからこそ、ガハクは雲が描けるようになったのだ。

ウォーコップによれば、光というものは無いという。遠くにライオンを見つけたシマウマは、その距離からして今は危険はないと見て、安心している。(『ものの考え方』O・S・ウォーコップ)

ライオンを見ているだけか。今を生きるものたちの器官はいつも冷静で正常に働いている。(K)


 

2021年1月13日水曜日

挑んでこそ迎えられる

山の湧水は、すっかり凍っている。庭の蛇口からは久しぶりに水が出たけど、彫刻のアトリエの水はまだ出ない。ポリタン2本に水を汲んで車で出かけた。

今日からいよいよアトリエ本体の取り壊しに取り掛かった。まずは、軒下に積み上げてあるバンコ(石の下に当てがう木材)の選別から始めた。軽くて丈夫なのがいい。短いのから長いのまで、これから石を運び出すのに必要な本数だけを広場の隅にまとめてシートで包んだ。残りは全部薪にする。相当な量になった。

丸鋸を両手で抱え、足で木材の片方を押さえ、次々と切って行く。耳栓とイヤーウォーマーを嵌めれば快適だ。谷間に響き渡る丸鋸の音。煙突から立ち昇る煙が紫色になったら、薪を焼べに部屋に入る。

夕暮れの5時半に作業終了。薄い紅茶を入れて柚子ジャムサンドイッチを食べてから、トワンの唇を彫った。(K)


 

2021年1月12日火曜日

雲が描けるようになったのは

こんな雲も描けるようになったんだねと言ったら、「何かに見えるようなのが嫌だったから何とかそれを避けようとして描いてい来たんだけど、今は何かに見えても構わないと思って描いている。それが良かったんだな」とガハクは、雲が遊んでいる空を見上げながら話してくれた。

雲はいろんなことをする。涙をこらえて見上げていると、どんどん流れて拭い取ってくれる。苦しい時に見た空の方が記憶に残っている。

奇跡のような美しい空も見た。金色とオレンジ色に真っ二つにくっきりと分けられた空の異様な輝きに見入った。光を分けているのは、黒い雲だった。(K)



2021年1月11日月曜日

トワンが来るよ!

頭の形が良くなったから、トワンらしくなって来た。削り過ぎたところを補うのは、天頂の膨らみと、目だ。耳はこれ以上細くはできない。2匹の耳がくっ付いているからこそ、この細さを保っているのだ。でも、もう動かすことなんか考えなくても良いんだ。そっとうちまで運んだら、後はずっとそこにいればいいんだし。もう遠くに行く必要はない。旅は終わった。

 ずいぶん長い間つまらないことでクヨクヨしたり小さなことでケンカしたりして来たけれど、これからはどうでもいいことで体や心を消耗することは止めよう。「(今年は)トワンが来るよ!」というガハクの予言は、そういう意味だ。じっと見つめて来る目の中に 愛がある。(K)


 

2021年1月10日日曜日

ウハチさんの柱時計

ネジを巻いていないのに 昨日も今日も止まらずに動いている!不思議なこともあるもんだ。時計に向かって「ウハチさん!」と呼びかけた。この建物のことをいつも「工場(こうば)」と呼んでいたウハチさんに許可をもらった気がして、なんだか嬉しくなった。これからここを根拠地として仕事をする私への励ましのようにも感じた。

半分吹き抜けになっているのは、ワックスが舞うからだろうか?最初にここに入った時、壁や床に蝋がびっしり張り付いていて驚いた。早速ガハクとヘラでせっせと剥がして回ったのだった。今はすっかりワックスの痕跡も消えて、ボイラーも煙突も取り外したから、何も言わなきゃここが蝋燭工場だったなんて誰も気が付かないだろう。

この高さがあれば、300号の絵だって描けるだろう。ダビデくらいの彫像も作れるだろうけれど、出すのが大変だ。壁を壊さなきゃ外に出せないだろう。でも、もうそんなことはやらなくていいんだ。

今日は片付けは少しだけにして、三日振りにトワンを彫った。ガハクの胸に砥石もかけた。千里の道を歩くなら、日々の超自然のパンを忘れずに食さねば、歩き疲れて目的地に着いた途端に死んでしまう。今夜は四日振りにバイオリンを弾いた。ガハクがギターを弾いている。(K)


 

2021年1月9日土曜日

後ろの木

 この女の人の後ろの木がかっこよくなっている。いつの間に描いたの?と聞いたら、「どの木も描き変えているよ」と言う。そう思って絵の中の森に生えている木を一々眺めた。確かに、木がみんな違う。ガハクは毎日山の中を歩き回っているうちに、木の色や形だけじゃなく、内部にぎゅっと圧縮されている生命力の強弱まで透視している風だ。

知識が役に立たなくなる時が来て、新しい目が開かれる。そこまで辿り着いたようだ。(K)


 

2021年1月8日金曜日

蘇った意識

 畑を片付けたら、彫刻が前面に出て来た。久しぶりの眺めだ。ここに来たばかりの頃はこうだったんだ。それが、だんだん周りにいろんなものが立ち並び、いつの間にか彫刻が隠れてしまっていたのだった。

ここでの30年間の孤独も、ガハクが生還してくれたおかげで意味がすっかり変わった。今は嬉しくて楽しくて仕方がない。これらの彫刻をうちの庭に移す手順を考えながら、毎日ゆっくりじりじりと片付けている。(K)


 

2021年1月7日木曜日

赤い空

 画室のドアを開けたら、ガハクは真っ赤な絵に向かっていた。画面がライトで反射して何を描いているのかすぐには分からなかった。人の顔だろうと思って近づいて、驚いた。真っ赤な空を馬が駆けてゆく。

「1日ずっと考えていたんだ、どうしようかと思ってさ」青が赤に塗り替えられるまで何がガハクにあったのか、、、ずいぶんダイナミックな転換だ。

朝私も一緒にパンを仕込んだ。あれからガハクは山に登ったんだ。午後に天使がやって来てピザを降らせてくれた。イタリアンクワトロなんとかピッザで、2種類のチーズがたっぷり載っている。う〜ん、どれも意識に働きかけるいい香りいい風いい味だ。いいものに触れると人は変われる。変わりたくなる。

私はと言うと、1日ずっと畑の片付けをしていた。腐った杭も、新たに打ち込んだ杭も、次々と揺さぶっては引っこ抜いて行った。横に渡した板を打ちつけた釘はとうの昔に朽ち落ちて、今は荷造りヒモで結えてある。どんどんナイフで切ってゆく。猿よけネットもハサミでジョキジョキ切っては丸めた。

 すっかり更地になった荒野に昔彫った御影石のモニュメントが並ぶ。清々しい眺めだった。ここに来たばかりの頃の意識が蘇って来る。こういうことをしたかったんだ。ありがたいことに再び元気になれた、また立ち上がれた。これから二人とも生き直せるとは、奇跡だ。(K)



 

2021年1月6日水曜日

あの頃彫ろうとした形

今朝も彫刻を運び込んだ。ガハクと二人でなら、どのくらいのものをどのようなやり方で動かせるか、だいたい分かっている。気合を入れて、ケガをせぬよう、指を挟まぬよう、慎重にそっと置いた。

大理石を彫り始めたばかりの頃のものは初々しい。細部までやり切れずに途中で放棄されてはいるが、ノミ痕が可愛らしい。この優しさを壊さずに続きを彫ろう。今なら、あの頃彫ろうとしたことが彫れるだろう。

ここは、鬼が騒ぐ荒野からやっと解放されて辿り着いた岸辺だ。 方舟の窓から柔らかな冬至開けの日差しが入ってくる。(K)


 

2021年1月5日火曜日

色の発見

タルコフスキーの『 アンドレ・ルブリョフ』の最後の方をガハクはまた観たという。ルブリョフが描いたイコン壁画を丁寧に映し出しているシーンがしばらく続く。3時間3分の映画の中で、そこだけがカラーなんだ。 

「なんでだろうね?」と切り出したガハクは、昔の絵の方が今よりずっと魅力的な理由を知りたがっている。「あの鐘だって、ほんとに秘伝なんてあったのだろうか?」と、続けて言う。何も教わらなかったはずの次男坊の若者が遂に梵鐘の鋳造に成功しやり遂げたことを思うと、彼がずっと親父や兄貴の仕事の手伝いをしながら覚えたことだけがあったのであって、「元々秘伝なんか無かったんじゃないか」とガハクは言い出した。

やりながら思い付くこと、発見の連続がそこにはあった。それを支えるのは、追い込まれた者の両肩にずっしりとのしかかる重みに耐えて前進するシンプルな熱意だ。死んだものを生き返らせるのは個人のインスピレーションで、熱意に降りた新しい発見とその理解なのだという結論に達した。

水が青く広がって行く。歌い手の衣が風に揺れ始めた。マリオネットを操る男の顔が魅力的だ。人が動き出した。(K)


 

2021年1月4日月曜日

陽だまり

冬至から2週間、もう日差しが強くなった。日陰の霜はいつまでも融けないけれど、日が当たるところはピカピカで眩しい。この明暗が冬の寂しさと美しさなんだなあ。

トワンが死んだ時はいつまでも淋しさが続いた。もしガハクも死んでいたら、、、なんて想像は決してしない。事実はこのような形で与えられたのだから、今の状態を微細に見つめて理解しようとしている。

だからだろう、毎日アトリエの片付けに追われていても悲惨さや鬱屈した気持ちに囚われることは避けられている。ガハクが生きて還って来たことを思うと、少しぐらいの過酷な労働なんかヘッチャラなんだ。一つ一つを毎日続けて行けばいつかは達成される。そのうちそれからも解放される。そして新しい場所で始まるストーリーもすでに浮かんでいる。

今まで人の命ばかりはどうしようもないと思っていた。老いに抵抗できるはずはないと多くの人が言う。しかし、とか、それでも、とかの前置き無しに、全く違う場所があることに気が付いたんだ。愛を作るのは持続的な仕事の上にやっとチラチラとその輝きを見せ始めるということを知った。タルコフスキーのおかげかもしれない。他にも道を示してくれた人たちがいる。

芸術と信仰が何の関わりもないようになったかのようなこんな冷たい時代にも 陽だまりはある。(K)


 

2021年1月3日日曜日

勇敢な犬

 トワンの様子が変わった。ギロッと何かを睨み付けている。闘争心で背中の毛が波打っている。こういう風に描かれたのは初めてだ。

霊的な領域に住んでいるからって、ぼんやりした姿で現れるとは限らない。存在は意識によるし、そこから出ているスフィアに包まれて他より輝いて見えることだってあるんだ。

『森の生活』を書いたソーローも同じようなことに気が付いていた。保線作業の為に線路を歩いて行く男たちを遠くから眺めていると、アイルランドの出身の人たちだけが明るく光って見えたと記述している。(何でアイルランド人と分かるのかは書いてないが、おそらく服装とか姿に特徴があるのだろう)彼らの中にある何かを察知していたようだ。信仰心の根っこみたいなものか。

トワンが今年うちにやって来るというガハクの予言は、絵の中では実現し始めた。あんなに寂しがって、山の中の茂みから飛び出して来るのを期待しながら歩いていたガハクが、こんなトワンを描くなんて、、、ちょっと今夜は驚いた。何かが動き出した。(K)


 

2021年1月2日土曜日

千里の道六日目

ガハクに「最悪の事態を好機に変えたね」と言われた。ずっと苦しんでいたことからやっと飛び立つことが出来る。しかも向こうから決めてくれた。ぐずぐずしていたらそのうち船が沈んでしまって動けなくなるところだった。

工具類や道具をやっと片付け終わった。格納していた茶棚をふたつ分解して丸鋸で切断し、ストーブの脇まで運んだところで今日のノルマは達成。今月はまだ一人でやれるだろう。室内の棚の解体や、畑の杭抜き、猿よけネットの取り外し、鉄の杭は50cm以内にカット。そうしないとゴミに出せない。

何日もかけて作られたものも、数時間で破壊できる。何ヶ月もかかったアトリエも業者に頼めば数日で跡形もなく消してくれるだろう。だけど、ひとつずつ、それぞれのものは自分で作ったものがほとんどだから、ゆっくり考えながら思い出しながら壊している。立派な柱は取っておく。石の下に敷くバンコにも使えるし、フォークリフトの車庫とか、ふいご場には屋根がけをしよう。

日々太陽が高くなってゆく。今日は家の手前の坂を自転車で駆け上がっていたら、砕石工場のサイレンが鳴った。5時ジャストに門を通過。ガハクと約束した時間に帰れた。(K)




2021年1月1日金曜日

風の強い日

晦日の夜に吹いた風に吹き飛ばされた杉の枝が、山道に敷き詰められている。相当強かったようで、茶色の枝だけじゃなく緑の枝も混じっている。

ガハクの絵にも風が描いてある。どこかに吸い上げられそうな風だ。風の色はどうやって描くのだろう。上手いなあ。よく感じて観察しているからだなあ。犬がいる。ボールが転がっている。この家なら風が吹いても大丈夫だ。

 タルコフスキーも風を撮るのが上手かった。じっと待つのだろうか。大きく広く吹き抜ける風に波立つ草を克明に拾っている。『鏡』でも『サクリファイス』でも『ストーカー』でもそんな風が吹いていた。あれはこの世と地続きの霊界の風景だ。(K)



 

トワンの胸

 トワンの肩口には羽が生えたようにピンと立った毛並みの稜線があった。首から流れ落ちる毛と、肩から生えている毛がぶつかってそうなるのだ。

ふさふさの胸だったなあ。その形は、思い出そうとしなくても目の前に浮かんで来る。

覚えているものなんて、ほんの少しだ。そういう状態のときは手探りで進むしかなく、最後の仕上げは捏造になる。でも、愛しているものだったら最後まで彫れる。自ずと内側から現れて来るから、それをくっきりと彫ればいいだけだもの。そういうのが彫刻。(K)


 

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