2019年9月21日土曜日

武装

居合の練習に庭の工房を使う。ひと練習を終えてふと頭上を見上げた。二階建ての吹き抜けで天井は張ってなく太い梁や屋根裏がむき出しになっている。その高い所を眺めていると自分の体全体が何かすーとした清々しいものに包まれていくのを感じた。コンクリートの床に刀を腰に差したまま真っ直ぐ立っていたのだ。刀と言っても真剣ではない。でもそれが腰に巻いた帯に差してあるということが、ただ立っているのと違う何かを与えているのだと思った。

人生に向かって生身で立つのは難しい。芸術は人を武装させるのだ。(画)


2019年9月20日金曜日

目の中の光

目は、透明な丸い球が入っているように彫ればいいのだと気が付いた。平ノミの角を微妙にずらしながら少しずつ深く彫っていたら、ポチッと真ん中に残しておいた小さな丘が欠けた。瞳の光を表す為にわざと彫り残している小さな突起だ。でもそれが無くなってみると、深く沈んだ夜の湖のようで却って美しい。 トワンが最期に私たちを見つめて来た目、この世のものとも思えないあの澄んだ目に近い。何処までも何処までも一緒に行こうねって、彫刻が、内なる声が呼びかけて来る。(K)


2019年9月19日木曜日

オバケ

♪「ゲ、ゲ、ゲゲゲノゲ〜」と歌いながら絵を描いていてこの歌の意味に気づいた。
「オバケにゃ学校も〜宿題も何にもない」オバケ(という生き物は)いいぞ♡それに比べて人間は可哀想なものだなという歌だと思って来たが、「会社も〜仕事も何にもない」?ふと、これは要するに学校も会社も行かない人は「オバケ」であるという事なんだなと。
超越的で純粋な生まれたばかりの赤ん坊に近い感動的な他視点を得るにはどうしたらいいのか。そこから見える世界のイメージこそ描きたいのだ。
「ワレワレハ宇宙人」でも「オバケ」でもいい。そういう視点から絵を描きたい。(画)

2019年9月18日水曜日

居合の心は鞘にあり

「居合の心は鞘にあり。抜いたら人が死ぬ」というのが極意らしい。
ガハクが毎晩刀を振るようになって4ヶ月経った。最近は昼間も庭の工房で立ち技の練習をやっている。高校の時以来だから、、、なんと50年の歳月を経て再燃したことになる。やり出したら夢中になるガハクだ。とうとう体つきまで変わって来た。こうなると意識にだって影響が出ないわけはない。

大理石で彫っているガハク像の目がいよいよ深く鋭くなって来た。鍛え直した良く切れるノミで瞼の裏側まで彫っている。できる限りのことをやってみたい。ここまで来たら、新しい形が見えた時だけ彫るのが良いようだ。(K)


2019年9月17日火曜日

もごもご言ったり誤魔化したり

人物群は完成したわけではないが一通り回ったので背景にかかり始めた。奥行きを作って広い空間にしようかとも。もともと立派な家を前にしてカメラの前に並んでいる人々というイメージで描き始めたこの絵。何を描くにも自信がなくてあちこち誤魔化してばかりいた。今でも大して変わらない技術力ではあるものの、何とかなるという信念だけは持てるようになった。だからもう大丈夫。誤魔化すことも口をつぐむことも必要ないだろう。(画)




2019年9月16日月曜日

トワンの恋人

トワンと背中合わせのこの犬、彫り始めた当初はブイヨンをイメージして彫ったのだった。トワンはまっすぐな性格だけれど、ブイヨンの方は都会派の切れ者という感じ。ソファからボールをわざと落としては、床に届く前にサッとすくい上げる奇妙な一人遊びをする犬だ。実際のトワンには恋人はいなかったけれど、彼にふさわしい犬はどんな犬だろう。トワンが好きな犬ならきっと優しい犬だろう。トワンもブイヨンも同じ年に死んじゃったけれど。
今夜は耳をいじった。長くてピンと立っている耳が好きだ。(K)


2019年9月15日日曜日

細い筆

レッドセーブルの04#という軟毛の細筆を使っている。数年来のお気に入りだ。大きな画面もこれで描き続ける。たまにやや太めの筆で広い面を塗る以外はほとんどこれを使っている。塗り面がもたもたするのが難だが反対にそのゆっくり作業だからこそ見えると思えるものがある。時間はたっぷりある。今はこの方法が一番自分にあっている。(画)


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