2020年1月25日土曜日

接地面に住む

足の裏だけが地面に接しているように彫り抜いて行けば行くほど、石の強度としてはだんだんデリケートなものになるけれど、軽やかさは生命力だ。構わず思い切って彫っている。

天使の仕事は謂ば足の裏。地面に接する小さな面積に天使が住むという。頭になりたがる人は多いけれど、足の裏の支えになろうとする人は少ない。だから、人間天使は滅多に生まれないし現れないのだ。

今夜はなかなかのらなくて苦しかったが、だいぶ遅くなってやっと天使が訪れた。腰の動き、しっぽの形、ふたりの胴が重なった境界の彫り方も思い付いた。嬉しかった。(K)


2020年1月24日金曜日

乏しい記憶力

今日は自転車のシフトケーブルの交換作業をした。今まで何の問題もなくできていた作業が全然うまくいかず、結局できるまで数時間もかかってしまった。
しかし改めて痛感した。うまくいくばかりだと何も学ばない。失敗して初めて物事の仕組みが分かる。成功は学びの機会とは遠く失敗こそ何かを理解するチャンスだと。
絵を描いていて上手くいかない時、過去の成功例を思い出そうとすることがよくあった。そこへ戻せば今の難関を突破できそうに思うのだが、そんなことをいくらやっても無駄だった。今とその時とでは自分の心境や状況も違うのだ。むしろ失敗例なら意味もあろうか。こういう考えに陥りやすいぞ、というのは過去の失敗体験から出てくる。
J.J.ルソーは自己の記憶力の乏しさのおかげで以前に見た景色や花木でも初めて出会った時と同じ感動を持てると書いていた。ガハクも何度でも描き直せる、それと同じだな。(画)


2020年1月23日木曜日

核心に触れる

ここまで出来て来ると、この先に進むのが躊躇される。下手に触ると形が甘くなるだけだ。でもまだ先に行けることは分かっている。タイミングが大事なんだ。じっと耐えて待っていたら、昨夜ついに訪れた。透き通った肌の美しい人が見えて来たので思い切って目から取りかかった。もっと強く涼しく。髪の毛もヤスリと荒砥を使って石の色の変化を見ながら進めている。やり方は自由に。変だと思ったら、いつでも後戻りしてやり直す覚悟はある。

なんでもないことなのに面倒だったり苦しかったり辛かったりしていたのが夢のようだ。悶々とした日々からずいぶん遠ざかった。新しい世界はなんでもない平穏な日常だった。(K)


2020年1月22日水曜日

異邦人

近所の婆さんが94歳で亡くなった。今思えばあの人の晩年は遠い国の住人だったような気がする。
先日地球の裏側からやって来た一人の友人に会った。彼は日本人だが異国の人でもある。彼の眺める風景を想像してみたりする。
最近ではとんとやらないが、描いている途中で目を細めて絵を眺める、すると細部が消えて全体が見える。以前はよくやったものだ。遠くから絵を見るというのもそれと同じ一つの行為で、これも最近はあまりしない。画面に張り付いて描いていることが多い。大きな画面になるといちいち退るのも面倒だしそういうことをしなくても大凡の見当はつくしあまり意味のある行為とも思えなくなった。
表面の違和感を見つけ出すことなど二の次で、大事なことは自分の内部と絵の対話ができているかどうかだ。 今ではむしろ「おかしい」所が期せずして出てくれないものかと期待さえしている。異邦人の視点に気づくきっかけにならないか。
人々の中の異邦人であれば風景がどう変わって見えるだろう?それを異邦人でない僕は想像で捉えようとしているのだ。(画)


2020年1月21日火曜日

7本の足

今夜やっと全ての足の間に風が抜けるようになった。実はこのトワンと彼女の2匹像、足は7本しかない。真ん中の足を2匹は共有しているんだ。横幅が狭くて石の量に限界があったので、そういうトリックを使った。どうせ人は一方からしか見ないし、きっと誰も気が付かないだろう。こういうことはいつも彫りながら思い付くのであって、最初から考えていたことではない。重なった腰の辺りもレリーフのテクニックを使っている。彫刻は絵画で、絵画は彫刻だ。絵を描くように彫れるようになったら、もうほんとうに自由だ。(K)


2020年1月20日月曜日

出会い

今日は驚きの出会いがあった。ツイッターを通じてその人となりを感じてはいたがリアルでもそれが証明された。正直言うと会うのが少し怖かった。でも思った通りのいや予想した以上に素晴らしい人だった。Kのバイオリンを静かに鳴らしてくれた。感動した。
「懐疑主義と慇懃とダンディズムと熱情と狡猾と専制主義、そして最後に天才に常に伴うある種の親切と適度の優しさ、これらのものの奇妙な混合物」ボードレールがドラクロアを評して言ったという。
ぴったり彼に当てはまるじゃないか。本人には迷惑かもしれないけど。

絵の方はあんまり進んでない?(画)


2020年1月19日日曜日

人間が変わった

初めてぴったり合奏できた後でガハクに「人間が変わったね」と言われた。確かにこういう音は今まで出せなかったし、相手の音も良く聴こえる。音楽は不得意なのだとずっと思って来てガチガチだったんだな。わたしは本当は音痴で、耳が遠くて、人の話を聞かない頑固者で、唯我独尊、一途なところと集中力だけが取り柄だと思って来た。そういう風に自分を客観的に規定しておいた方が安心できた。それでも、願わくば、少しずつでも自分を変えたいと思っていたんだ。

ここまで生きて来てつくづく思うのは、知識と記憶は何の役にも立たず、体験だけが資質となり性質となって意識の内部に刻まれるということだ。その経験を直に受け止め、傷付き、考え、耐え忍んだ分だけ意識の筋肉が太くなる。その活動的な筋肉は新しく入って来た人に生かされるんだ。そういうことが今日我が身に起こった。

襟元を削って衣を薄くしている。翼も薄くした。その方が胸が空になると分かったからだ。(K)


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