2019年2月16日土曜日

月と目が合う

月と目が合うことがある。そういう時は、何とも言えない不思議な気持ちになる。月は澄んだ眼のようだ。そう思ったら月を彫り直す勇気が出た。感情的な月の姿を彫ろう。

海の水は透き通っているから月を映す。静謐で希薄な森の気体。森はもっと奥へ退がらせよう。ピアニストのまわりに留まる光の粉の薄い皮膜。

外に出たら、この冬いちばんの冷え込みのマイナス3度だった。(K)


2019年2月15日金曜日

まなざし

「曲というものは楽譜を書いたらそれで終わりじゃなくて、聴く人がいてその人の心に音楽として響いて初めて曲になるんだということにやっと気づきました」とある作曲家が言っているのを聞いた。
絵も同じことではないか。絵は描かれて終わりではなくその絵を観る人が何かを心に感じた時、初めて絵になる、いや絵が始まると言ってもいい。(芸術がコミュニケーションツールだとか交通手段だとかいうくだらない事を言いたいのではない)
ジャコメッティは晩年に、
「人は眼だ、なぜなら眼にはその人の心が表れているからだ、眼が描ければ人が描けるはずだ」とありふれたような言い方をした。けれどもそれはあの人でなければ言えない非常に重要な認識に到達したという事だったのだ。
人は見る、と同時に見るものから見られている、見るということは見られるということだ、眼差しがそこにある、人や動物に限らず存在するもの全てと。
絵はけっきょく「眼差し」こそを描かねばならないのだ。(画)



2019年2月14日木曜日

やわらかな線

最初は肩から手までのラインをふんわりとさせて翼のようにしようと彫り出したのだったが、翼の先端を少し曲げたら、ひらりと揺れる薄く繊細な手になった。再び腕と手に戻ったわけだけれど、元の形とは違う。やわらかい生きている線だ。こういう不思議なことが起こるのが彫刻だ。そうでなければいつまでも人形か物のまま、意識はずっと同じ場所にいて動かない。

ボイスが『芸術と政治について』の討論会で言った言葉、「負債は払おうじゃないか」が、やっと分かった。作品を売って暮らしていることは負債にこそなれ、決して自慢にはならんのだ。(K)


2019年2月13日水曜日

宗教的感情

いつもの山道を外れ、枯れ葉が堆積した小さな涸れ沢状の斜面を登ってみた。潅木の下をくぐったり岩を巻いたりしながら登ると棚状の広場に出た。目の前に巨大な円筒が3機並んでいた。廃坑跡の遺物だ。これもいずれ絵にしようと思いしげしげと眺めた。
さらにその脇の斜面を登る。この先はどうなっているんだろう?トワンはこういう場所も歩いたに違いないと考えながら。するといつもの山道にひょっこり出た。そうか、そうだよなとその地形に納得しつつ山を降りたのだった。
高校のサイクリング、大学山岳部の山行、マウンテンバイクの峠越え、そして山散歩、今それら全てが一つに繋がった感じがした。
見ているものに見たいものがある、それを絵に描こうとしているのだ。(画)


2019年2月12日火曜日

翼のある人

ひどい痛みに耐えて一月寝たきりだったガハクがやっと起き出して、風呂に入った時のことを思い出す。「あれから僕は変わった」とガハクが言うのを証明するように、トワンが風呂から上がって来たガハクを嗅ぎまわり、精一杯尻尾を降って、最大級の敬愛を示す低い姿勢の伏せをして、熱い視線を送り続けていた。

変わろうとしても変われないのが人の性質だけど、あれから彼ははっきりと変わった。絵を描いて生きて行きたいという純粋な思いにくっ付いていた余計なものが、だんだんと落ちて行った。

よちよち歩きで室内を何とか移動して過ごしたその後の1ヶ月も、窓から見える近所の老人の散歩姿に、「あゝあの人は自分の足で歩いている」と、羨ましそうに眺めていた。ガハクはあの時の落ち込みは今も忘れていないそうだ。 死ぬのはもう怖くないと言う。描きたいものがはっきりと見えて来たからだろう。(K)


2019年2月11日月曜日

青い顔

ゴッホが木炭で描いたモノクロの肖像画を見て、当のモデルがクレームをつけた。自分の被っている赤いトルコ帽を手でくるくる回しながら「どこにも黒い色などついてないじゃないか」と。
僕らは今だに青い色をみれば空では?赤い色を見れば血では?黄色を見れば光では?というような見方から入ってしまう。しかしそれが民族や時代により変わる。黒い色で描かれていてもそれを赤いトルコ帽と見る為にはある程度の教養が必要になる。
色だけじゃない、形だって同じ事、丸いものを見れば月だとか、横に一直線を引けば海だとか…考えてみれば人の認識の仕方の不思議。いや不思議でもなんでもないか。人の動物的本性だとも思えるし。
いずれにしろ画家をそれを時に利用したり時に裏切ったりしながら絵を作っていくわけなのだ。(画)


2019年2月10日日曜日

香り立つ雪の日

今夜はトワンの胸から前足にかけての形を辛抱強く探した。こうやって彫り直してみると、ケーナ(前に飼っていた犬)とトワンでは体のバランスがずいぶん違うのが分かる。ケーナは霊的だったけど、トワンは天的だったな。

精一杯体を伸ばしている犬は、いい匂いのする方へ吸い込まれそうだ。体だけではなく気持ちも、その存在全体が大好きなものの方へ向かっている。ただ立っているだけの姿が美しいのは、自分を忘れているからだろう。その示す方向に香り立つ大好きな人がいるからだ。シューッと空まで伸びる大きな白い人と足を並べて立つトワン。美しいものは同じ地表から生まれる。(K)


よく見られている記事