2018年12月7日金曜日

雨の実感

雲の下の暗がりがポイントだと分かったで急いでガンガン削っていたら、その下方にある雲から温かく柔らかな雨を降らせたくなった。春先の芽吹きを即すあの優しい雨が恋しくなった。

トワンのせいだ。トワンが死んでからいろんなものが見えるようになった。自然の中にではなく、彫刻の中に。ブレイクが「自然は私を疎外する」と言った意味をひしひしと感じている。

生きて行くのに必要なのは超自然のパンだ、それは美という天から降り注ぐ雨だ。今夜は川を彫っていると、そこを遡っているトワンが見えるように思えてジーンとした。こういうことだったのか、死は卵だというのは。(K)


トワンの青

青い色。フタロシアンブルーにコバルトブルーやウルトラマリンを混ぜ、青の変化を作る。最後にチタン白を加える。白を入れると青の色味がすごく引き立つ。絵を習いたての頃、教師から白色はあまりたくさん使うな、色がなくなってしまうからと注意されたのと逆に、多くの色にその傾向がある。
今では強い色を使いたい。鮮やかな、時に派手すぎる色に思いを乗せたいという気持ち。トワンを思うとこれくらいがちょうどいいのだ。(画)

2018年12月5日水曜日

卵型の渦

卵型の渦をどんどん大きくしている。川を削り、雨も削った。遠景は遠景らしくずっと後方へ退いてもらった。トワンの卵がまわりを配置し直して行く。無理やりこさえたところや理屈っぽい形がだんだん取れて、自然に見えて来たのが嬉しい。こういうやさしいスフィアはトワンが残したものだ。今も降り注いでいるものだ。12月にしては暖かかった今日、少し淋しさの殻から脱した。(K)


実際にそれがそうだからという理由だけで絵の中の色や形が決定するのではない。構図や表現の便宜で決まるならばそれも虚しい。心を空にして事物事象に向かい合えれば魂の反応としてそこへ帰着する、それを良しとすべきだろう。対象の存在とも無関係に。
鎮魂であるならば花は自然にそういう形そういう色で描かれねばならないと思えるが、正しくは出来上がったそういう形色を見て絵の目的を知るのだろう。(画)


2018年12月4日火曜日

二重の存在

水中と水面の境をぼかすことを思い付いて彫り直したら、なかなかいい感じになった。そこはかとない月の光だ。夜空に浮かぶ月との対比が美しい。

今夜は水の中の月を彫りながら、二重の存在について考えていた。霊的な光を放つ月はすぐ傍まで降りて来てやさしく語りかける。

ケルビムの輪に乗って軽やかに立つ男の足先がやっと良い形になった。(K)


2018年12月3日月曜日

ルカ

トワンと散歩していた山道を一人で登り、薪ストーブで使う小枝を集めて回るのが日課になった。道を外れて山の斜面を登るとそこかしこに切られた杉の下枝が落ちている。下の道に向かって順々に落としていき後で集めれば短時間で効率よく薪が集まると分かった。
わずかに残って見える獣道を伝って斜面を登って行くと、若い頃のトワンの走り回る元気な姿が浮かんでくる。
彼の目線で見る風景は霊性を帯びる。全てが霊的な視覚の前に展開するのを感じる。これが絵を描くことの意味だと今はっきり分かった。
ルカ伝「私が死なねば救い主はあなた方の元に来ないのだ」(画)

2018年12月2日日曜日

進化する顔

トワンが死んでからガハクの顔をよく見るようになった。互いの顔を見ている時間が増えたのだ。トワンにスーッと澄んだ目で見つめられた最期の夜を思い出す。あの目に見つめられたら何かが変わる。実際にガハクの顔が変わった気がする。
石に彫ったこの人の顔がだんだん好きになってきた。今日は額の側面を少し削って顔を小さくした。目尻が爽やかになった。もっと明るく強くなるはずだ。気がつく度にいじる。見えた一瞬を逃さない。(K)


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