2025年10月1日水曜日

夜の木

 


メゾチントという版画技法に初挑戦。
かなり繊細な技法だ。他の技法に比べて修正も難しいと分かった。予想ではもう少し試行に自由さがあると思っていた。むしろ計画性とか決断力の大きさが要求される。不器用なガハクには苦手な部類に入りそうだ。それでも面白いところもある。不自由さの向こうに開けた場所が見えそうな感じもする。

「夜の木」
夜の森はけっこう明るいんだよ。満月なんかだと懐中電灯がなくても歩ける。よく知った場所だからというのもあるけど。気分が詩的なものに満たされる。

実は知人から『夜の絵』(村山亜土 作.柚木沙弥郎 絵)という絵本を頂きそこから閃いた。これならいくつか絵が描けるかも先ずは銅版画でやってみようと思った。メゾチントもその流れ。

絵画において技法と表現との関係は音楽で言う曲と歌との関係に似ているんじゃないかと思う。
曲作りに凝るばかりに本来の歌の心とか表現したい内容が無視されたりしたらどうなるか。
その反対に美しいとか力強いとか語りかける為の技術をまったく無視してただ心のおもむくままにがなりたてるだけだったら歌そのものはどう聴こえるか。

技術と表現の一致はどうしても必要だ。形式と内容の一致。どちらも相手を無視したら絵も曲も成り立たない。絵も曲も心から出る歌だとすれば。

最近はギターばかり触っていて絵の時間はうんと疎かになってる感じ。その代わりにみている時間は以前よりずっと多くなってるのはいい傾向だとも感じている。音楽をやって心を育ててると言ってくれ。だから広く大きく解放されるまでもう少し。何に向かってかは分からないけど。
 ガハク

2025年5月21日水曜日

全てが洗い流される

 

今日は妻の命日。シルバーをお休みさせてもらいました。

3年前初仕事で草刈りに出かけて帰った事務所でこれなら仕事続けられそうですねと励まされた。慣れない作業ですっかり疲れてはいたが新しい生活に戸惑いはあってもどこかに希望みたいな活気を感じもして眠りについたのを覚えている。

その日の深夜を過ぎ日付が変わった明け方に病院からの電話で起こされ人気も車も少ない真っ暗な、でも何度も通った道を車を飛ばして病院まで。

これであの人はこの世からいなくなるのだ。オレの空間に彼女は存在しなくなるんだとぼんやり考えていた。でも実感というのはなかった。はっきりしてたのはシルバー事務所に休みの連絡しなきゃという事だったかな。

この懐かしい写真に自分の中にはっきりと変わったものがあるのを見る。それは「女よお前は許された」という言葉を読んで心の底から安心したという妻の涙。その安堵の意味。今はわかる気がする。

この白い犬はトワンがいなくなった翌年の春、親しい友人夫妻の飼い犬になって我が家に現れた。トワンは茶色この子とは色が違うがどことなく似て見えるのは柴系だからかな。トワンの生まれ変わりかもしれない。あれから時々わたし一人の家に現れてくれている。

さて今では前と違って絵もコンスタントに描けるようになったしギターも改めて楽しんでいる。すべてが洗い流されていくようだ。

2025.5.21(火)

2025年5月7日水曜日

むらさき色のアイシャドウ

むらさき色の アイシャドウ
強く引いて 強く引いて
金色のハイヒール
黒いストッキング
男たちに囲まれて
けばけばしくて
(浅川マキ『こころ隠して』より)

というような絵です。
 ガハク

2025年4月21日月曜日

一人でいる不思議さ

一年で一番気になる季節がやってきた。

去年ギターを再開して新しい機種も購入。嬉しくて毎日触っている。そうしてるともっと何かをしたいというような気持ち(衝動)がしなければという気持ち(義務感)を上回る。

きっとそうだ。だから抱えてたギターを突然脇に置いて金魚の水換えを始めたり雑巾がけをし始めたり、時には急に筆とパレットを手に取って画面に色を塗り出したり。

でもそれでいいんだよ。自分の気まぐれに任せればいいんだ。できるだけ計画など立てないようにして。できるだけ。やらねばならないと本当に思ってるならどこかで必ず始める時が来る。それもそのタイミングでしかできないというような。できる時に始める。できないままならそれだけの事だったんだよというような。自分に言い聞かせている。

今までほとんどほっぽらかしだった庭の草抜きを始めた。いつも人まかせ自然まかせの場所だったからぼうぼうの草の塊。でもいざ手を突っ込んでみるとそこはこの数年のシルバー業務のおかげか。それほどストレスを感じない。手を動かしてればそれなりに綺麗になるし。

一人ということの不思議さにも慣れってものがね。きっとね。
 ガハク

2025年1月3日金曜日

生きる意欲

 


新しい年の朝。いつもの山道を行く。冬至から2週間くらい経って少し陽の強さが戻ってきたように見える。
正月は近くの採石工場もお休みで静かな山歩きだ。草達もすっかり縮こまり木は葉を落としほっそりとして視界良好。さっぱりした風景の中を歩く。

生きる意欲の小ささが売り?のガハクだがそれだと実際どうにも苦しくてならない。強さを身につけないと。ただ死なないようにしているだけじゃあ辛いままだろう。
この前ギターを買ったら少し生きる勇気が湧いてきたように感じた。
生きたいと思うのは、その前に何かをやりたいとか何かが欲しいとか何かになりたいとか。そういう事があるからだろう。
生きる意欲を言う前にそういうような「何か」が向こうに見えてないと。
(画)

2024年12月31日火曜日

 ちょうど3年になるんだね。

Kがいなくなったのはもう少し後(5月)になるわけだけど晦日の山散歩で倒れてから彼女との会話も連絡も交流というものが全くなくなった時からすれば。

受け容れる事ができたのかどうか、そんなことはよくわからないがずっと書く気になれなかったブログを急に書こうと思い立ったのは歳の瀬で何か感傷的になってるだけじゃない気もする。

日々の生活がすっかり変わり、ほぼ毎日が労働者のような暮らしにも慣れた。こういうのも悪くない。今まで一番自分には合ってる気さえする。確実に貰える給金であんなに苦労した画材もまあまあ買える。多少高価だとしても新しい道具だって買える。最近ではメゾチント用のベルソーというのを購入したしオイルスティックというのも試しに買ってみた。

それからこの夏には新しいギターも買った。毎日触っている。絵を描かない日はあっても(たくさんある)ギターを弾かない日はほとんどない。

今日は朝から映画をずっと見ていた。前観たやつでも気に入ったのは何回でも観る。最近の発見は『マルホランド・ドライブ』ってやつ。絵も筋も面白いし女優さんが素晴らしい。

気づいたらしい。何を支えに生きていったらいいのかに。

(画)

2023年8月22日火曜日

Kのその後










 Kのその後を報告すべきだった。
2022年5月21日の午前3時に電話で起こされた。病院からですぐ来てくれと言う。何度も通った道ではあったが夜中の走行は初めてだった。昼間より早く着き裏口から入ると看護師に案内され病室へ。転院時以外週に一度ネットで見るしかなかった彼女を間近で見る。静かに寝ている。懐かしい人に会ったような気持ち。
やがて医師が入って来て死亡を確認する。午前4時ちょうどと言う事だった。
看護師に部屋から追い出され暫くして呼ばれて入った。やっぱり眠っている。名前を呼んでみたが相変わらず返事はない。君は死んじゃったんだってね。
二人きりでマスクなしでベッドの傍に座っていた。肩を抱いてみる。予期した通りにか細くはなっていたが間違いなく彼女の体だ。薄く口紅が引かれている唇に接吻した。

大晦日の救急車の中で交わした会話と眼差しを見て以来、半年近くをずっと眠ったまま彼女は逝ってしまった。享年69歳。ガハクの70歳の誕生日の三日後だった。Kyokoちゃん。今どこにいるんだい?いっぱい彫刻が残っているよ。俺はどうしたらいいんだろう教えてくれよ。
 Kのいないガハクなんだよ。



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