2021年1月6日水曜日

あの頃彫ろうとした形

今朝も彫刻を運び込んだ。ガハクと二人でなら、どのくらいのものをどのようなやり方で動かせるか、だいたい分かっている。気合を入れて、ケガをせぬよう、指を挟まぬよう、慎重にそっと置いた。

大理石を彫り始めたばかりの頃のものは初々しい。細部までやり切れずに途中で放棄されてはいるが、ノミ痕が可愛らしい。この優しさを壊さずに続きを彫ろう。今なら、あの頃彫ろうとしたことが彫れるだろう。

ここは、鬼が騒ぐ荒野からやっと解放されて辿り着いた岸辺だ。 方舟の窓から柔らかな冬至開けの日差しが入ってくる。(K)


 

2021年1月5日火曜日

色の発見

タルコフスキーの『 アンドレ・ルブリョフ』の最後の方をガハクはまた観たという。ルブリョフが描いたイコン壁画を丁寧に映し出しているシーンがしばらく続く。3時間3分の映画の中で、そこだけがカラーなんだ。 

「なんでだろうね?」と切り出したガハクは、昔の絵の方が今よりずっと魅力的な理由を知りたがっている。「あの鐘だって、ほんとに秘伝なんてあったのだろうか?」と、続けて言う。何も教わらなかったはずの次男坊の若者が遂に梵鐘の鋳造に成功しやり遂げたことを思うと、彼がずっと親父や兄貴の仕事の手伝いをしながら覚えたことだけがあったのであって、「元々秘伝なんか無かったんじゃないか」とガハクは言い出した。

やりながら思い付くこと、発見の連続がそこにはあった。それを支えるのは、追い込まれた者の両肩にずっしりとのしかかる重みに耐えて前進するシンプルな熱意だ。死んだものを生き返らせるのは個人のインスピレーションで、熱意に降りた新しい発見とその理解なのだという結論に達した。

水が青く広がって行く。歌い手の衣が風に揺れ始めた。マリオネットを操る男の顔が魅力的だ。人が動き出した。(K)


 

2021年1月4日月曜日

陽だまり

冬至から2週間、もう日差しが強くなった。日陰の霜はいつまでも融けないけれど、日が当たるところはピカピカで眩しい。この明暗が冬の寂しさと美しさなんだなあ。

トワンが死んだ時はいつまでも淋しさが続いた。もしガハクも死んでいたら、、、なんて想像は決してしない。事実はこのような形で与えられたのだから、今の状態を微細に見つめて理解しようとしている。

だからだろう、毎日アトリエの片付けに追われていても悲惨さや鬱屈した気持ちに囚われることは避けられている。ガハクが生きて還って来たことを思うと、少しぐらいの過酷な労働なんかヘッチャラなんだ。一つ一つを毎日続けて行けばいつかは達成される。そのうちそれからも解放される。そして新しい場所で始まるストーリーもすでに浮かんでいる。

今まで人の命ばかりはどうしようもないと思っていた。老いに抵抗できるはずはないと多くの人が言う。しかし、とか、それでも、とかの前置き無しに、全く違う場所があることに気が付いたんだ。愛を作るのは持続的な仕事の上にやっとチラチラとその輝きを見せ始めるということを知った。タルコフスキーのおかげかもしれない。他にも道を示してくれた人たちがいる。

芸術と信仰が何の関わりもないようになったかのようなこんな冷たい時代にも 陽だまりはある。(K)


 

2021年1月3日日曜日

勇敢な犬

 トワンの様子が変わった。ギロッと何かを睨み付けている。闘争心で背中の毛が波打っている。こういう風に描かれたのは初めてだ。

霊的な領域に住んでいるからって、ぼんやりした姿で現れるとは限らない。存在は意識によるし、そこから出ているスフィアに包まれて他より輝いて見えることだってあるんだ。

『森の生活』を書いたソーローも同じようなことに気が付いていた。保線作業の為に線路を歩いて行く男たちを遠くから眺めていると、アイルランドの出身の人たちだけが明るく光って見えたと記述している。(何でアイルランド人と分かるのかは書いてないが、おそらく服装とか姿に特徴があるのだろう)彼らの中にある何かを察知していたようだ。信仰心の根っこみたいなものか。

トワンが今年うちにやって来るというガハクの予言は、絵の中では実現し始めた。あんなに寂しがって、山の中の茂みから飛び出して来るのを期待しながら歩いていたガハクが、こんなトワンを描くなんて、、、ちょっと今夜は驚いた。何かが動き出した。(K)


 

2021年1月2日土曜日

千里の道六日目

ガハクに「最悪の事態を好機に変えたね」と言われた。ずっと苦しんでいたことからやっと飛び立つことが出来る。しかも向こうから決めてくれた。ぐずぐずしていたらそのうち船が沈んでしまって動けなくなるところだった。

工具類や道具をやっと片付け終わった。格納していた茶棚をふたつ分解して丸鋸で切断し、ストーブの脇まで運んだところで今日のノルマは達成。今月はまだ一人でやれるだろう。室内の棚の解体や、畑の杭抜き、猿よけネットの取り外し、鉄の杭は50cm以内にカット。そうしないとゴミに出せない。

何日もかけて作られたものも、数時間で破壊できる。何ヶ月もかかったアトリエも業者に頼めば数日で跡形もなく消してくれるだろう。だけど、ひとつずつ、それぞれのものは自分で作ったものがほとんどだから、ゆっくり考えながら思い出しながら壊している。立派な柱は取っておく。石の下に敷くバンコにも使えるし、フォークリフトの車庫とか、ふいご場には屋根がけをしよう。

日々太陽が高くなってゆく。今日は家の手前の坂を自転車で駆け上がっていたら、砕石工場のサイレンが鳴った。5時ジャストに門を通過。ガハクと約束した時間に帰れた。(K)




2021年1月1日金曜日

風の強い日

晦日の夜に吹いた風に吹き飛ばされた杉の枝が、山道に敷き詰められている。相当強かったようで、茶色の枝だけじゃなく緑の枝も混じっている。

ガハクの絵にも風が描いてある。どこかに吸い上げられそうな風だ。風の色はどうやって描くのだろう。上手いなあ。よく感じて観察しているからだなあ。犬がいる。ボールが転がっている。この家なら風が吹いても大丈夫だ。

 タルコフスキーも風を撮るのが上手かった。じっと待つのだろうか。大きく広く吹き抜ける風に波立つ草を克明に拾っている。『鏡』でも『サクリファイス』でも『ストーカー』でもそんな風が吹いていた。あれはこの世と地続きの霊界の風景だ。(K)



 

トワンの胸

 トワンの肩口には羽が生えたようにピンと立った毛並みの稜線があった。首から流れ落ちる毛と、肩から生えている毛がぶつかってそうなるのだ。

ふさふさの胸だったなあ。その形は、思い出そうとしなくても目の前に浮かんで来る。

覚えているものなんて、ほんの少しだ。そういう状態のときは手探りで進むしかなく、最後の仕上げは捏造になる。でも、愛しているものだったら最後まで彫れる。自ずと内側から現れて来るから、それをくっきりと彫ればいいだけだもの。そういうのが彫刻。(K)


 

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